久しぶりに映画を見た・・「マイレージ マイライフ」(2009米)
心が安らかでないとなかなか映画を観る気になれない。(何しろドラマとは密度が違う。)しかし憂さを晴らす手段もなく、ここのところ観る韓ドラがもひとつということもあり久しぶりに映画(DVDレンタル)を観た。「マイレージ・マイライフ」・・原題は「Up In The Air」であるが邦題のほうが内容を上手く表わしている。
ライアン・ビンガム(ジョージ・クルーニー)はオマハに本社を持つ「リストラ後始末」の専門会社の社員。彼は全米の企業から依頼される「リストラ通告代行屋」のプロ中のプロ。1年間のうち300日以上を仕事に費やし全米各都市をめまぐるしく飛行機で飛び回る日々を送っている。彼の信条は「人生は重いバックパックを背負って歩くようなもの。バックパックに入りきらない(または重い)荷物は背負わない。家族、人間関係etc・・バックパッカーは軽いほどいい。」 彼自身すでに中年の域に達しているが結婚しておらず、ワンルームにひとり暮らし、1年の300日は飛行機の中とホテルで過ごす。そして次から次へと依頼される企業のリストラでさまざまな人々と面談して解雇を通告するのだ。
「われわれの仕事はリストラを宣告される人々の苦痛を少しでも和らげること。」
勤め先の上司やオーナーに「あなたは要らなくなった」といわれるショックよりも、第三者から丁寧に親身に寄り添われ(プロとしてのパフォーマンス)「このことを前向きに人生の転機と考えて・・。今後の身の振り方についてのお手伝いもします。その袋に資料一式が入っていますから。」といって渡す資料も実は3ケ月分程度の給料と半年程度の健康保険証だけなのだが・・。
そんな彼に二人の女性との出会いが訪れる。ひとりはたまたま旅先で知り合ったキャリアウ
ーマンのアレックス、もうひとりは新しく入社してきた、アメリカでも超名門のコーネル大学を首席で卒業したナタリー。ナタリーは「社員が莫大な出張費を使って全米を飛び回るのは大きなロス。本社のPCで解雇通告をしたほうが効率的だ。」と提案し会社も乗り気になる。ライアンはナタリーの提案に愕然とする。「少なくとも解雇される人に最低のリスペクトを払うべき。最低でも生身の人間が会って告げるべきだ。」「彼女は現場での仕事を一度は経験するべきだ。」というライアンの意見によってライアンとともに研修?の旅に出ることになる。「超エリートなのになぜこんな仕事を選んだんだ?」「恋人を追ってきたから。」
ライアンはナタリーに旅の仕方から始め仕事のコツを全て伝授する。「バックパックは可能な限り軽く・・旅の仕方はアジア人が最も上手いんだ。」「それって人種差別よ。」(なぜ人種差別になるのか私はわからなかった?)かくいうナタリーも「恋人は白人でホワイトカラーのみ」と豪語する白人女性。しかし新人のナタリーは「解雇通告」現場に立ち会ってこの仕事の非情さに愕然とする。
一方アレックスと”いい仲”になったライアンは「あくまで旅先で会うだけの割り切った関係。愛だの結婚だのとは無縁」というルールを作りひとときの安らぎを楽しむ。
おりしもライアンの妹が結婚するという知らせが届き、彼は急遽アレックスを伴い故郷の町に帰る。日ごろ連絡のひとつもしないライアンに姉は「あなたはいつも家族と無関係に生きてきた。家族の一員とは考えなかった。」となじられる。前夜のパーティも和やかに終わった結婚式の当日、新郎ジムが突然「結婚はしない」といいだす。「結婚した後、年老いるまでの道すじが全部見えている。つまらない人生だ。ライアンの自由な生活が羨ましい。」というジムに「人生行き着く先は皆同じだ。しかし君は過去を振り返って”しあわせ”だった想い出も
あるだろ。そのときひとりぽっちだったかい?それとも傍に誰かいた?」と説得、ジムの迷いを翻意させ結婚式は無事終わる。姉は「あなたも家族の一員ね。」とライアンを頼母しがる。故郷の人々は寄り添いあい、時にはいさかいながらもあまりにも濃密に人間臭く生きていた。
この頃からライアンの気持ちも次第に揺らぎはじめる。「本当にバックパックの空っぽの人生がいいのだろうか? 人間関係を面倒だと切り捨ててしまっていいのか?」 仕事に戻った彼は突然、飛行機にのりアレックスの住むシカゴに向かう。前触れなく訪れた彼女の家には夫やこどもがいた。「私にとってはあなたは日常の憂さを晴らす非日常の中の存在。それ以上に何を求めるの?」と問われるライアン。
ライアンは再び仕事に戻る。一方本社ではナタリーの提案で「出張なしのデスクのPCでの解雇通告」プログラムが始まり、ライアンの「In The Air」人生も終わり彼もデスク人間になるかに見えた矢先、PCで解雇通告をされた女性が(ナタリーに)「いいわ。死んでやるから。」といったとおりに橋から身投げして死んでしまうという衝撃的な事件が起こり、会社は世論を恐れて再び「出張」に戻す。ライアンの「出張人生」が再び始まった。「辞職届」をメールで送り退社したナタリーを気遣うライアンだったが、ナタリーは振られた恋人を追いかけて、LAで再就職したのだった。(ちゃっかり現代っ子!)ライアンは彼女の再就職に際して前上司として彼女の優秀さをアピールする推薦状を書いてやるのだ。今までだったらおそらくしなかったであろう彼女との人間関係ができた(それがいかに希薄であろうと)彼の行為だった。
ライアンは「出張」のため、身軽ないでたちで再び机上の人になるべく空港に向かう。
そしてラストシーン、ライアンのセリフ「空が俺の帰る場所だ。」 しかし彼の行動は矛盾するように思えるのだ。キャリーバッグを運ぶ手がキャリーバッグのバーから離れるショット、次にライアンは全世界に飛ぶ飛行機の発着時刻表の前に立ち、表を見上げる。→ライアンは再び今までの日常に戻ったのか、それとも自由などこかに飛び立ったのか?ネットでいろいろなレビューを見ても解釈はそれぞれに違い、いわゆる観る人に解釈を委ねるということなら私は後者を強く感じたのだが。
* サブプライム・ローン破綻から始まるアメリカのすざまじい不況の実態をシンプルに切り取り、「リストラ請負業」(これは日本にもある?)の盛況を見せる。ライトマン監督の前作「サンキュー・スモーキング」と手法は同じ。社会の深刻さをあまり重くならずに見られるが、私にはこの手の映画はもひとつ??だ。しかしジョージ・クルーニーは現在のアメリカを代表する名俳優。ゴールデングローブ賞に輝きオスカーにノミネートされ、映画自体も多くの栄冠を得た。
*解雇される人々が「家族のために働いてきたが、この苦境も家族が支えてくれる。」と異口同音に話すところに監督の(小さくはあるが)メッセージを感じた。おそらくライアンの気持ちの揺らぎの伏線でもあったと思われる。
*アレックスとナタリーというふたりのキャリアウーマンもおそらく現代アメリカ女性の典型なのだろうか?しかし彼女たちはふたりとも「家族」「恋人」という”重い”荷物をバックパックに入れているのも興味深い。
* ライアンは航空会社のマイレージ(フライト距離に付くサービスポイント)を貯め、史上7人目の100万マイル達成を間近にしている。すでに現在でも「ゴールドカード」の持ち主で超VIPの待遇を受けている。(ラスト近くに100万マイルを達成し、世界一周飛行の特典を得てこれをお金がなくて新婚旅行のできなかった故郷の妹夫婦に進呈するのだ。)
れず、案の定昼ごろから久しぶりに胸苦しさを感じるほどの不整脈が出始めた。なので今夜の日韓戦は観るの(もちろんTVで)きついなあと思いながらもスルーできる筈もなかったのである。
そして先制ゴールは前半35分、イ・グノから奪ったボールを遠藤が中央に出すと(実はふたりはガンバのチームメイト(^^))李がヒールで香川に、香川は相手ディフェンダーのプレスを巧にかわし、潜り抜けてゴールを決めた。
*日本代表の層の厚さの象徴が岡崎の代わりに前半36分から入った清武(C大阪 21才)の活躍。ピッチを走り回り本田の2点目と香川の3点目をアシストした。U22を飛び越えて抜擢したザックの目は正しかった。(ザック曰く「J1,2の全試合をスタッフで手分けしてチェックしにいった」)岡崎の怪我というトラブルがチャンスになったわけだが今後も招集されることは確実だと思う。
最も 切望していたのは彼自身だっただろうから。
ウソのように消え、夜明けはふとんを被らないと肌寒いのだった。帰省したとき、夜の故郷の駅の大気は冷え冷えとして気持ちが良かったものだ。人間は3才頃までに汗腺が作られるという話を聞いたが、私の汗腺はおそらく少ない方に入るに違いない。
そんな中で少しでも明るい話題。
アメリカでは60年代に高まった公民権運動がそれまでの「Separate but Equal 」のまやかしを告発した。(同じように施設や条件を作れば人種ごとに分離しても憲法違反ではないという考え方)しかし実情は黒人は白人が線引きし縄で仕切られた海岸には入れず、バスの席は後方と決められ、公園や公共施設は自由に使えず、黒人専用の劣悪な学校に通い、一部恵まれた黒人(北部の大都市の大学に進学)以外には大学教育を受けられず、貧困の中に放置されてきた。プールの利用などはとんでもない話で白人が嫌がるので黒人も入ろうとしない。(学校にプールがある日本と違い、有料のプールが殆どで黒人は入会も断られることが多い。)公民権運動以後の現在でも主として南部ではこれらの実態は殆ど変わっていないという。
サッカーW杯・ブラジル大会の3次予選のグループが決まった。(ジーコが引いた)「シリア、北朝鮮、ウズベキスタン、日本」。
(写真左上:ウズベキスタンの首都、オアシス都市として旧い歴史を持つタシケント、下はこちらも古代から繁栄してきたシリアのダマスカス)
暑さに弱く、辛い思い出のある夏を乗り越えるのが大変。ましてや「心臓」「こころ」の両方のDr.にかかっている日々である身にとっては。ここ数日”戻り梅雨”というか、むしろ”夏の終わり”を感じさせるような天候のため、少し元気を取り戻してはいるが、豪雨警報の出ている地方や大きな被害のあったソウルの人々はそんな気楽な状態ではないだろう。
た。ところが姉が事故で死んでその一人娘の小学生ポーラを引き取ることになり、母を失って傷ついている姪の小学校への送り迎え、日々の世話などがのしかかってくる。おりしも職場にはニックというシェフが新しく入ってきたのだが、彼はロクにまともな料理学校にも通わずイタリアでプータローをしているうちに料理にはまり実地からこの世界に入った男。しかしケイトの地位を脅かす辣腕家だった。
文学の研究者役でグィネス・パルトロウと共演。原作がブッカー賞をとった小説でイギリスの田舎の古い屋敷、19世紀のヴィクトリア朝と現代を行き来して2組の恋人たちを描くという私の好きなタイプの映画(イギリス臭プンプンの)でこれでアーロンのファンになった。
今年こそはきれいに咲いてほしいと、ダリアの苗を数本大切に育てている。(写真は去年の花々)故郷の実家の庭には夏になるとさまざまなダリアが、こどもの背丈を超えるほど大きくなり切っても切っても数えきれないほどの花を咲かせたものだった。
しかしその十数分後(この写真上)、ゴール前に上げられたパスを丸山が飛び込んで決めようとして、クリアされた。しかしこのクリアボールを後方から50mを疾走してきていた宮間が、相手DFの間をすり抜けて、冷静に(GKソロのプレーを熟知していた)押し込んで同点に持ち込んだ。このあたりからアメリカ選手の「想定外」の心境は次第に膨らんでいったのではないだろうか。確信を打ち破られたときの動揺ほど大きなものはない。
暑さにめげず、鮮やかな花を咲かせている我が家の花々。(写真下)
未明の午前3時30分キックオフ。目覚まし時計を合わせていたので(いつもは使わないのだが)きっちり間に合った。アメリカは立ち上がりから積極的な攻勢を仕掛けてくる。コンパクトな陣形を保ちながら日本のエリアに押し込んでくると、クロスボール、ロングボールからの素早いシュートの雨あられを降らせてくる。日本は耐えに耐えてこれをしのぎ、前半は0:0でようやく折り返した。
いよいよ女子ワールドカップ・ドイツ大会のトーナメント第1戦が今朝の未明に行われた。対戦相手は、今大会の開催国でしかも3連覇を狙う最強のドイツ。キックオフが日本時間の7/10未明(午前3時半)ということで少し迷ったのだが、このところの体調不良と気力減退のため寝ることにした。それに私のようなシロウト・ファンは1にも2にも勝敗にこだわり、せっかく頑張って起きたのに敗戦した後の眠るための「気持ちの安定」がなくなるので。
試合結果はすでにTVスポーツニュースのハイライトでチェック済み、ゴールシーンはyoutubeなどで確認していたので試合の再放送全部を見たわけではなかったのだが、家族が見ていたのをちょいちょい横から見ているうちに後半延長戦あたりから目が離せなくなった。


最近のコメント