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2010年9月

アメリカ人の選ぶヒーロー・・・「アラバマ物語」・アティカス・フィンチ(グレゴリーペック)

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2003年度『アメリカ映画のヒーローと悪役ベスト10』(最新の情報)。 悪役の方は置くとして ヒーローのランク5位までを上げると ① アティカス・フィンチ「アラバマ物語」 ② インディ・ジョーンズ「インディ・ジョーンズ」 ③ ジェームズ・ボンド「007シリーズ」 ④ リック・ブレイン「カサブランカ」 ⑤ ウィル・ケーン「真昼の決闘」 となっている。選出したのはどういう人々であるのか記されていないが、②③などを見ると、かなり幅広い大衆的アンケートによるものと想像される。そうだとすればインディ・ジョーンズ(ハリソン・フォード)やロッキー(シルベスタ・スタローン)を押さえて①位にアティカス・フィンチが上げられていることに少し驚いPhoto_5 た。                                                    

「アラバマ物語」は1962年にアメリカで公開されるや大ヒットし、その年のアカデミー賞の各部門を総なめにし、アティカスを演じたグレゴリー・ペックが最高主演男優賞に輝いた作品である。                                                

この映画には原作「To Kill a mockinbird」(ハーパー・リー 1962)があり、こちらはその年のピューリッツア賞を受賞している。1960年代前半といえばアメリカは公民権運動の最盛期であったから、これらの小説や映画が高く評価されたのは分かるとしても今だに主人公のアティカス・フィンチが多くのアメリカ人のヒーローであり続けていることは、アメリカ人が今でも彼を”アメリカの正義と勇気の象徴”だとしていることに驚いたのだ。             

私(ブログ主)は小説を先に読み(「暮らしの手帖社」)、映画はその後TVで放送されたものを見て、そのあとレンタルで再度見た。映画は小説にかなり忠実に作られている。
(なお、物語りはアティカスの娘スカウトの目線で語られている。)
ものがたり:1930年代のアラバマ州のメイコム(架空)という田舎町で起こるある事件。ジェムとスカウトという兄妹と友だちのディルはいつも一緒に遊んでいる。彼らの関心は近所に住む”怪人・ブー”。(ブーは3人が勝手につけた名前)古い屋敷に住み、外に出た事のない恐ろしい大男Photo_2 だ。ブーが気になって仕方がない3人は彼の家の前の大木のほこらに子どもにとっては宝物の”人形や小石やちょっとした小物”を入れてブーの反応を試そうとするが、ある日それらが消えており代わりにブーからのプレゼント(同じような他愛のないもの)が入っていることを発見して驚く。兄妹の家庭では母はすでに亡くなっており、黒人メイドが子どものめんどうや家事一切をしている。このメイドは子どもが間違ったことをしたらビシビシ叱り、また子どもらは父を”アティカス”と名前で呼ぶような当時では少し変わった家庭である。                         

一方、町では「黒人青年による白人女性強姦事件」が起こり、町は騒然となっている。そして兄妹の父で弁護士のアティカスはこの事件の弁護を引き受けることになる。事件は「ボブ(貧農)の娘メイエラが黒人青年トムに家に押し込まれて強姦された」というもので、トムは容疑を一貫して否認している。当時のアメリカ(南部)ではおそらくこの容疑者を町の人々がリンチにかけて殺しても是認される時代であったろうし、当然この町でもトムが収監された警察に町の男達が押しかけて騒ぎ立てている。アティカスが青年の弁護をすることで兄妹は学校でいじめられたりもし、またこの裁判の勝ち目はまずない。「どうしてそんな弁護を引き受けるPhoto_8 の?」と問う娘に父は「一番の理由は、もしやらなければ私は顔を上げて町を歩くことも、お前達に”何かをするな”なんて言えなくなる」と答える。                      

町中の人々が傍聴する法廷で(黒人は 2階の椅子のない場所しか与えられない)、アティカスの弁護によって次第に事件の真相が明るみに出る。”貧農ボブの娘メイエラは毎日死んだ母親に代わって酔っ払った父親の暴力に耐えながら小さい弟や妹たちの世話、家事に明け暮れて、ひとなみの青春などない。そして毎日家の前を通る黒人青年(超真面目で新婚)を”家具の修理をして”といってつい家の中に呼び入れ誘 惑?しようとしたところを帰宅した父親に見つかったということだ。父娘は逆に「トムが娘を強姦しようとして押し込んだ」と主張し,ついに陪審員(すべて白人)による判決「トムの有罪」が下る。二階の席から黒人の牧師がスカウトに呼びかける。「お嬢さん、立って下さい。あなたのお父様が通りますよ。」                                
Photo_9 しばらく過ぎた或る夜、学校のハロウィーンの行事から帰る兄妹がもう少しで家に着くあたりの暗い道を通った時、何者かに襲われる。スカウトは服を無くして劇中で着ていたハムの被り物を(目の部分だけ空いた)着ており、何が起こったのか分からないまま誰かに抱きかかえられて家に運ばれる。兄のジェムはショックでベッドに寝かされている。現場には胸にナイフが刺さってすでに死んでいるボブの遺体があった。スカウトはベランダの隅にうずくまって いる青年に気が付く。ブーだ。ブーが助けてくれたのだ。彼は先天性白皮症のため家に引きこもる青年、路上で遊ぶ子どもたちを毎日窓から眺めていたのかもしれない。(そして事件 夜も)保安官が来てアティカスに言う。「ボブが子どもを襲おうとして転んだためにナイフを自分に刺してしまったんだ。」(この保安官 立派)そしてラスト、「絶対勝てるから控訴しよう」とアティカスに励まされ、再び刑務所に収監されたトムが脱走をはかり監視官に銃殺されて「事件」は決着を迎える。                                          

小説の作者ハイパー・リーは(物語りがフィクションであることを述べた上で)アティカス役のグレゴリー・ペックが余りに少女時代の自分の父親に似ていることに驚いたという。また仲良しのディルは子ども時代のトルーマン・カポーティがモデルということだ。(カポーティの大作「冷血」は彼女の助けなしに完成しなかったという。)監督はロバート・マリガン、プロデュースはアラン・パクラ。アラン・パクラはこの後監督として「大統領の陰謀」「ソフィーの選択」「ペリカン文書」「推定無罪」「デビル」など秀作を生み出したが1998年に交通事故で亡くなった。(かれの映画のひとつひとつについて取り上げたいほどで、彼の死は私にとってショックだった。)物語がキング牧師達たちの起こした公民権運動の発祥の地であるアラバマ州に設定されていることは60年代に入り、公民権運動に対抗する白色テロの横行”long hot summer”への製作者の強い意思表示とも受け取れるのである。 Photo_12                                                         

韓流にはまる日々(その12)・・・「拝啓、ご両親様」

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「拝啓、ご両親様」は2005年に公開されて最高視聴率40%前後を取った大ヒットドラマである。”韓国ドラマ界の大御所、視聴率の女王”と呼ばれるキム・スヒョン女史の脚本で、同年の大鐘賞・放送作家ドラマ部門賞も受賞している。                           

物語はソウルからクルマで1時間ほどの田舎町の、或る旧家の日々の出来事、これといった波瀾万丈もなくどこの家族にも起こりそうな小さな悲喜こもごもが綴られていく。万年教頭でまもなく定年を迎えようとしている父は出世Photo_2 慾もなく毎日自転車で職場に通う平凡な生活であるが、一家の長として苦労の多い老妻 をいたわり、子ども達に起こる幸不幸を気遣う良き父である。このアボジが毎晩寝る前に亡き両親にあてて書く日記が「拝啓、ご両親様」のタイトルの由来であり、主としてこの父のナレーション(目線)で一家の日々が描かれる。アボジの家族への労わり、気遣い、そして距離の置き方が絶妙で(例えば大学まで出した次男が友達とテントの屋台を始めることについて、心中は反対だったが息子が決していい加減な気持ちでやるのではないことを理解して一切批判がましいことは言わない。夜中に仕事を終えてクルマに汚れた鍋などを山済みにして帰宅するまで自分も寝付けないのに、クルマの音が聞こえて手伝いに出ようとする妻に「親が手伝いに出る方が彼には負担になるから出るな」といって妻を制止するあたりなど。)ブログ主は”数多い韓国ドラマの中の最高のアボジ像”とする。 Photo_9
大恋愛して結婚したものの夫の浮気で離婚する長女、彼女には良く出来た高校生の娘と、自閉症の小学生の息子がいる。(写真左)         

勤勉な銀行員の長男は金持ちの娘との結婚で悩み、末娘はソウルでOL、ルームメイトとアパート暮らしをしているが資産家のプータローとの恋に悩んでいる。そしてここに又ひとり、お父さんの妹(出戻り)がいて町で美容室を開いていPhoto_3 る。これだけの大一族に起こる日々の出来事、持ち込む悩ましい問題で両親は決して心静かな生活をしているわけではないのだが、小柄で一見頼りなさそうなアボジが家族全員の絶対の信頼を得ていること、そしてオモニのかわいらしさと楽天性、小姑(アガシ)の明るさと生活力がこのドラマの柱となって、子どもたちそれぞれの幸不幸に一喜一憂し、涙を流しながらも揺れることはない。新Photo_5 しく家族に加わったふたりの嫁(金持ちのお嬢さんと町のチキン屋のひとり娘)の微妙な人間関係も面白く、また長女の夫が離婚後、次第に自閉症の息子の存在を受け入れ、良き父になっていく過程も丁寧に描かれている。  

そして何といってもソウル郊外の田舎の風景、中庭を囲む作りの伝統的な家屋、季節の移り変わりとあれこれの儀式がとても美しい。こういう家族がどこかにいることだけで癒される気持ちになるような秀作として”韓国ドラマ・ベスト3”のひとつに上げたい。(ベスト3にしたのは「砂時計」「クッキ」など思い出すだけであと複数はあるため)Photo_8           

韓流にはまる日々(その11)・・・「花よりも美しく」・ノ・ヒギョンの世界

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「彼らが生きる世界」で脚本家ノ・ヒギョンに注目し、彼女の過去の作品をいくつか見た。「愛の群像」「グッバイソロ」「花よりも美しく」。とりわけ「愛の群像」は「愛群」と呼ばれてコアなファンに愛され続けておりノ・ヒギョン・ワールドの代表作されているが、主人公の青年(ヨン様)が最後は失明のあげく死んでしまうので、私としては見るに堪えず最終4話を残して現在中止中である。「グッバイソロ」はそれぞれ傷ついたり不幸を背負っている若者たちの青春ものでこれは視聴者を選ぶだろうとは思うが私は面白く見た。                      

さて今日取り上げる「花よりも美しく」(2004)は全世代向きに作られており、そのため最も多くの人に観られ賞賛されたドラマである。主人公役のコ・ドゥシムさんはこれでその年の数多く の賞を得た。ものがたりはコ・ドゥシム演ずるヨンジャさんの半生をたどるもので、彼女は若 く  して結婚し、夫の両親を看取り、小姑(まだ小学生だった)を育て上げ、自分の4人の子を育 てたが、その苦労の甲斐もなく夫は娘ほども年の違う愛人を作って家を出てしまい孫ほどの息子と3人で暮らしている。残されたヨンジャさんには「これでもか、これでもか」という程次々と不幸が襲いかかる。                                         

大学生だった長男が親しい友人たちと酒を飲んでいて、つい喧嘩になり殴り合いの結果死んでしまう。(倒れたとき打ち所が悪くて?)長女(ノ・ヒギョン・ドラマの常連ペ・ジョンオク)は賭け事にはまる夫と離婚して子連れで出戻ってくる。次男(末っ子)は「兄を殺した奴を見つけて復讐する」ために現場のクラブの客引きをして定職につかないままだ。唯一、家族の希望の星で米国留学後、一流企業のキャリアウーマンとして、独立してひとり高級マンションに住む次女もまた不倫の恋に走り、恋人が結婚生活を清算して真剣に結婚しようとする矢先に、実は彼が兄を”殺した”親友だったことがわかりふたりは絶望のどん底に突き落とされる。              

Photo_19 さらに夫の若い愛人は腎臓移植をしないと 生きていけないことがわかり、あれこれの事情を経て、ヨンジャさんが彼女に腎臓を提供することになる。このような不幸続きのドラマが、決して暗くお涙頂戴モノにならないのは、主人公のヨンジャさんの性格が”どことなく抜けていて、気が利かないからいろいろ仕事についても(例えば家政婦)長続きせず解雇され、いいたいことはいうけど最後は貧乏くじを引く”というあたりにあること。次に登場人物の全てが善人であ り、いわゆる憎まれ役やイヤな奴は出 てこないということにある。夫の若い愛人ですら非常 に善人であり、小姑(すでに結婚して夫と雑貨屋を営み、呆けた姑の世話をしている)も徹底 的に兄を非難し、ヨンジャさん(母に等しい存在)の味方であり、ましてや3人の子どもらも父親を許さず、会おうともしない。とりわけ次男は末っ子で”恋人よりも母が好き”というほどだ。従って敢えて憎まれ役のワル役といえば家を出て愛人と暮らす夫であるが、彼もまた自業自得とはいえ病妻を抱えカネもなく屋台を押して生きており、子どもの結婚式(長女の再婚)にも呼んでもらえない。ヨンジャさんの腎臓をもらったため(結局ははヨンジャさんの意志で)子どもたちや妹から”犬畜生”呼ばわりされることになる。                                         
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そして最後の衝撃的な不幸が”彼女が50代そこそこにして認知症になる”ヨンジャさんを襲う。現実を認めようとしない子どもたちも結局は母の病気を受け入れ、最後は長女の夫(大学講師)の赴任先の田舎(近くに老人ケア施設もある)にヨンジャさんを連れて引っ越すと言うところで終わる。見終わったあとの気持ちは決して暗いものではなくむしろこれから大変だろうけれど、幼女に返ったヨンジャさんを周囲の人々が支えて行くのだろうなあとむしろ羨ましく思ったくらいである。(万年講師の長女の夫がとてもいい。それから夫の妹(小姑)役のパク・ソンミさんは「シュリ」「ブラザーフッド」の監督夫人です。)                                        

ノ・ヒギョンの書くセリフはとても細やかに慎重に言葉が選ばれており、ウソめいたところがみじんもない。自分がこの人だったらやっぱり同じことを考えて同じ事をいうだろうなあと思い、改めて脚本家の人間洞察力に感心させられる。見終わって後味もいいドラマだった。

三浦カズの快挙・・サッカー第24節

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三浦知良(横浜FC)がJリーガー最年長ゴール(今期2点目)をあげました。自己の記録を更新する”43才7ケ月”のゴールです。彼はお洒落で私生活でもあれこれと派手な一面を云々されていますがシーズン中は必ず8時に寝るというストイックな生活をするとか、やはり偉大な人は普通人のできないことをやり遂げる意思力を持っています。昨夜TVで川口能活・二宮清純の対談を見ましたが、致命的な怪我から復帰した彼にまだまだ現役続行を期待しています。ヨーロッパ最高のGKといわれるファン・デル・サール(マンU)40才で現役ですから。ヨーロッパから見ると日本のJリーガーの選手生命はまだまだ短すぎるように思います。  

李・忠成がまたまたゴールをあげました。ニュースで見るとゴール前での身体を投げ出して の渾身のシュートは日韓大会での鈴木のゴールに似ていた。(日本のリーグ勝ち上がりの大きな第一歩となった)サンフレッチェ広島は結局後半に大迫のミドルシュートで追いつかれ鹿 島アントラーズと1:1の引き分けとなりました。

この試合でのGK西川周作(広島)の活躍は視察に来ていた日本代表GKのコーチ、クィード氏に絶賛されました。楢崎の代表引退によって川島、川口に続くGKの育成が緊急の課題である今、西川が早く国際舞台で活躍することを期待します。(優れたGKの育成はどこの国でも難しい課題であるとか)西川はU16から活躍、その後北京オリンピック、オシムジャパン、岡田ジャパンにも招集されたことがあります。                                          
                                                                 

名古屋はダントツの1位、昨日は玉田のハットトリック、ケネディのゴールで5:1と清水に圧勝です。玉田といえばW杯ドイツ大会での対ブラジル戦でのあざやかなシュートが思い出されま すが、南アでは岡田監督の直前での戦術転換”ゼロトップ”システムにより、活躍の機会はありませんでした。そのうっぷん晴らしであるかのような今シーズンでの活躍です。    

海外では、まず長谷部(ヴォルフスブルク)が 久々にフル出場して果敢なドリブルでの攻めで2:0とチームの勝利に貢献しました。今期の活躍を遠くから応援しています。      
                           
香川は今やヒデや俊輔をしのぐスーパースター、サンクトパウリ戦で4点目をあげ3:1とチーム 5連勝に貢献しました。地元紙の採点は香川ひとり満点がついたそうです。                     

チョン・テセ(ブンデス2部・ボーフム)の情報が久しぶりに入りました。開幕戦でフル出場(vsミュンヘン1860)し、2ゴールをあげてチームも勝利しました。                              


ここのところメディアは大詰めのプロ野球(ソフトバンクの逆転優勝etc)、白鳳の連勝記録の更新、同じくイチローのシーズン200安打の達成(同じくヤクルトの青木も)、石川遼のホール・イン・ワンなどで大賑わいですが、願わくばJの試合の実況放送をもう少し増やして貰いたいものです。

「映画の中の青春」(その1)・・「明日に向かって撃て」「真夜中のカーボーイ」

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1960年代から70年代初めに出現したいわゆる”アメリカン・ニューシネマ”は、60年代のベトナム反戦運動、ヒッピームーブメントetc.の影響を強く受けて、従来の”WASP(白人エリート層)を主人公に据えたハリウッド映画(体制)に対して”反体制”というより社会からドロップアウトした若者たちの”無残な青春”を描いて、映画ファンに大きな衝撃を与えた。             

「イージーライダー」、「俺たちに明日はない」(Bonnie&Clyde)実話の映画化)、「カッコーの巣の上で」、「スケアクロー」(これは未見)などの中でとりわけ私の印象に強く残っているのは「明日に向かって撃て」(1969/ジョージ・ロイ・ヒル監督)と「真夜中のカーボーイ」(1969/ジョン・シュレンジャー)の2作である。(というより多くの人が今だにこよなくである愛する映画である) これらの映画についてははすでに多くの人々によって語り尽くされているので今更書くこともないが、ブログ主として追加したいのは、今まで見た映画の中で最も美しい青春のヒトコマのシーPhoto_2 ンが「明日に向かって撃て」(原題:Buch &Sundance)の中にあることだ。   

物語は実在した列車強盗のブッチとサンダンスがキャサリン・ロス扮するガールフレンド(名前は忘れた)3人で夢を求めて未知の国ボリビアに行くが、そこは貧しい夢破れた国であり、ふたりは再び銀行強盗などを繰り返し、最後は警察に包囲された小屋の中から未だに未来に希望をつないで飛び出す・・。彼らに浴びせかけられる銃弾・ふたりのストップモーションに被さる「Rain drops keep falling on my head」・・これは多くのファンが”映画史に残るラストシーン”としている。            

3人が旅立つ日に草原の彼女の家の周辺でブッチと自転車に乗るシーン。「こんなぼろい自転車で(ボリビアに)行くPhoto_5 の?」などと冗談を言い合いながら秋の草原を駆け抜けるふたりの姿は(ちょうど今日みたいな秋の晴れた日)忘れられない美しい光景だった。                                              

サンダンス役を演じた当時は無名のロバート・レッドフォードは後に「サンダンス映画祭」を主催し、若い映画人を育てるチャンスを提供している。(現在はNHKも後援・視聴料がこういうところに使われるのなら喜んで払いたい。)ブッチ役のポール・ニューマンは今は亡き人になってしまった。                                                                      
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Photo_3 「真夜中のカーボーイ」を初めて見たときは衝撃を受けた。今まで映画で描かれてきたあこがれのNYの余りにも異なる裏の姿に。テキサスの田舎からNYに憧れて出てきたジョー(ジョン・ヴォイト)は全身カーボーイ姿でばっちり決めて”NYの女どもをたらし込んでやる”と張り切る田舎者。対するラッツィオ(ダスティン・ホフマン)は足の悪いイタリア系の若者。彼の住まPhoto_4 いは廃墟化したビルの電気もガスも水も出ない一室でローソクで暮らしている。ジョーのNYへの夢は早々に破れ、行く場所とて無く、たまたま知り合ったラッツイオの住まいに転がり込んで、金持ちの中年女専門の男娼をしてカネを稼ぐことになる。                

ラストは風邪が治らず絶えず咳き込んでいるラッツィオ(実は結核?)のために「暖かいフロリダに行って女どもをひっかけてのんびり休養しよう」ということでフロリダ行きの長距離バスにのって旅立つが、フロリダに着いた時、隣の席のラッツィオがすでに息を引き取っているところで終わる。監督のジョン・シュレンジャーはドイツ人で、「監督はやはりアメリカ人じゃなかったんだ。」と変に納得した。 

アメリカン・ニューシネマは70年後半以後終焉を迎えるが、これ以後のアメリカ映画に”アンチヒーロー”の登場などさまざまな影響を与えた。 なお、カーボーイ役のジョン・ヴォイトはアンジェリーナ・ジョリーの実父であるが、彼女が赤ん坊の時に両親が離婚したということで父娘の関係は親密なものではないという。(特にアンジェリーナの方が)

「想い出の中のスターたち」(7)・・ジャン・マルク・バール「グラン・ブルー」

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「すごくきれいな映画だから見てみて」と勧められてみたのが仏映画「グラン・ブルー」(1988・リュック・ベッソン監督)だった。この映画は同年のカンヌ映画祭に出品されたが、大方の評価は余り良いものではなかった。しかし映画館での上映が始まると徐々に観客数を増やし、最終的にはフランス国内で900万の動員数を得る大ヒット作品となった。海外でも反響を呼び各国で上映されたが日本では最初東京での単館上映、しかも1週間で打ち切りとなるほど不人気だった。ところがヨーロッパでの反響をうけて徐々に人気が高まり、現在では一部のコアなファンに愛されるカルト映画の代表作として見続けられている。(DVD化されている)      

リュック・ベッソン監督はこの後「ニキータ」で監督としての名をさらに上げ、ハリウッドに進出して「レオン」で世界的に有名な監督としての地位を手に入れた。その後はアメリカに活躍の場を移し「フィフス・エレメンツ」「ジャンヌ・ダルク」などの次々と作品を送り出した。(監督と共に渡米し「レオン」で身寄りのない少女を守る殺し屋を演じたジャン・レノも日本のCMにまで出る人気者になった。)ブログ主としては「ニキータ」までは良かったが、「レオン」「ジャンヌ・ダルク」は良しとせず、従ってベッソンのそれ以後のハリウッドでの作品は見ていない。               

ジャックとエンゾ、このふたりは少年時代の遊び仲間であったが二十数年後、生身の閉息潜水の記録を争うライバルとして再会する。エンゾはイタリアの賑やかな大家族の長男であり「ママの作ったパスタしか食べない(食べさせてもらえない)」マザコン男である。一方ジャックは母に捨てられ、漁夫の父は幼いとき彼の目の前でダイビング中に事故で死んでしまい、天Photo_2 涯孤独の身で(生活力もなくだらしのない叔父がひとりいるが)イルカの飼育に雇われるその日暮らしの青年。ジャックとエンゾのふたりは再会後はダイビングの記録を競い合いながら、地中海の各地を大会から大会へと渡り歩く。水深100mという深さは、フリーダイビングをする生身の人間には普通は死を意味する。水圧によって全身の血が肺と心臓に集中してしまうのだ。エンゾはジャックの記録を破るべく105mを記録するが、その後ジャックはこれを更新し125mにまで到達する。ドクターストップを振り切って次の大会で海に潜るエンゾ、瀕死で上げられたエンゾはジャックに「海の中がいい。陸よりも」という。ジャックはエンゾを深海に葬るが、彼自身も意識不明になってしまう。                                                     

その後ジャックは次第に地上と海の中の区別がつかない状態に陥っていき、恋人アンナの懇願を振り切って夜の海に潜っていく。ラストは命綱の先のライトに照らされた水中のジャックが、イルカに誘われるように綱を放して海中に遠く去って行くところで終わる。       

賑やかな大家族に囲まれて陽気でおおらかなエンゾに対して「家族の写真を見せて」とアンPhoto_3 ナにいわれてイルカの写真を見せるジャック、恋人を愛していてもなおイルカに会いに海に出かけるジャックをアンナは止めようもない。海で嬉々としてイルカの群れと戯れるジャックを岸辺で見守るアンナの孤独な姿。NYから来たアンナと出会う最初のシーン(ペルーのアンデス標高6000mの氷河湖に沈んだトラックを雇われて調査のため潜るジャックと出会う) 後に「どうして,あのとき私を好きになったの?」と聞かれて「君がイルカに似ていたから」と答えるジャックに、後で思えばその後のふたりの行く先が暗示されていることがわかる。                         

「海に潜るのは辛い」というジャックに「なぜ?」と聞くアンナ、「陸に帰る理由がなくなってしまうから」と答えるジャック。3人の男女の関わりも充分ドラマだが、何よりも美しいのは深い海中でぼんやりとしたライトに浮かび上がるイルカの群れ、青い地中海でイルカと戯れるジャック。朝、夕、そして夜のそれぞれの海の表情が何よりも美しい。     

ラストで彼女の懇願を振り切って夜の海に向かうジャックに最後にアンナが「海のなかの私に会いに行って。」というセリフもアンデスでの出会いに始まるふたりの最後の別れを納得させられる。 Photo_4                                                 

リュック・ベッソンは両親ともにスキューバ・ダイビングのインストラクターで彼自身もインストラクターを目指していたが体調を崩し、以後の潜水を医者に禁じられてしまった体験を持つ。失意の夜、ベッソンは映画を見る。それは実在の潜水記録保持者であるジャック・マイヨールの姿を写したものだった。                                     

「海中でカメラに向かって上げたマイヨールの顔は・・喜びに溢れていた。苦痛も圧力も一切感じていない、ただ平穏な微少、平静だけがあった。彼はまるで、我々哀れな地上人の目では見ることの出来ない、何かとても美しいものを認めているかのようだった。その時、僕自身の目は、ただただ涙を流していた。・・・」                               

なおブログ主は、その後ビデオテープの「グラン・ブルー・完全版162分」「グレート・ブルー・120分劇場版」「メイキング特集97分」を購入したが、「完全版」の方がはるかに良かった。恋人ふたりの延々としたあてのない地上での”道行き”が、いかにジャックが人間の生活に不適応かということ、アンナが普通の幸せな結婚生活を求めながら、絶望に陥りながらも彼と別れられないかを哀切に描いているから。なお「メイキング版」は地中海各地を転々としながら、CGその他の最新機器もなく手作り、アナログで製作するとてつもない苦労が記録されていて、こちらも別の意味で感動した。                                 

書き忘れていた。ジャン・マルク・バールはジャック役のフランス人俳優です。瞳がとてもきれいなのが印象的、最近「レッド・サイレーン」で中年の元特殊部隊兵士になって出ていたが、魅力的なまなざしは相変わらずだった。

韓流にはまる日々(その10)・・「スターの恋人」

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ブログ更新の時間が殆ど無かったので、書きっぱなしになったため確認(ウラ取り)が緩くなった部分もあるかと思いますがお許しを・・・。

2008年作でチェ・ジウの最新作(だと思う)。奈良・飛鳥が舞台になるというので少々期待して見たのだが、明日香でのシーンは”伝・板葺宮跡”だけ。(有名な「大化改新」があった宮。(但し「大化改新」というクーデターについては現在ではその信憑性については?となっている。) Photo_3                                                    
チェ・ジウ扮するトップスターが日本の別荘で長期滞在するという設定のため、奈良の町、猿沢池(だと思うがCG処理されていて確定はできない)、大阪の町、神戸などで撮影されている。お相手役の大学講師(ユ・ジテ)の恋人が日本の大学に留学中という設定のため大阪芸術大学のキャンパスがかなり多く出てくる。                                                      

ものがたりは有名スターあるイ・マリ(ジウ姫)と彼女のエッセイのゴーストライターを依頼された大学講師の馴れ初めからハッピーエンドまでの紆余曲折を描いたもので、いわば韓国版「ノッティングヒルの恋人」である。「ノッティングヒル・・」は世界的ハリウッドスターであるジュリア・ロバーツとイギリスのアイドル(中年になってしまったけど)ヒュー・グラントがイギリスで最もお洒落な街・ノッティングヒルを舞台に繰り広げるラブストーリーで、この映画と比べるとイギリスの街の独特の雰囲気、会話の中のエスプリ(みたいなもの)などに欠けるため、」結局はベタなラブストーリーになってしまっている。ちなみに関西でのシーンも最初の数話だけで、ほとんどがジウ姫の高級マンションとユ・ジテの下町の下宿でものがたりが展開する。従って、日本人が見てとくに目新しいモノはなく、別にジウ姫の別荘を奈良に設定する必要もないと思われた  。(日本のマーケット目当てか知らないが) ただ明日香村のシーンで「われわれの祖先がこの地にに先進文化をもたらしたんだよ。」というようなセリフがひとこと出てきたけれど。                    

しかし、今やア・ラ・サーになっているチェ・ジウはその美しさに凄みが加わり、何かこのままPhoto_7 行くと”永遠に年を取らない美女・化け物”になってしまうのでは?とさえ思ってしまった。中身は相変わらずの”世間知らずの純な少女”で(役柄からかも知れないが)、この人は今後俳優としてどういう転身をはかっていくのであろうかと他人事ながら心配になった。「エア・シテイ」ではバリバリのキャリアウーマンだったが、ひいき目に見ても”ちょっとしんどいなあ”という感じを受けたものだ。かたやユ・ジテは韓国映画界の不況から大物スターが次々とドラマに戻ってきているという流れで出演したのか知らないが、その長身(1.8m以上?)が大柄なチェ・ジウと並ぶと釣り合うというだけで、もともと華のない性格俳優のため、ミスキャストではなかろうかと思わされた。                           

そういうことが原因なのか知らないが、韓国でも視聴率はジウ姫出演作としては低く、日本の韓流ファンにもさほど騒がれなかったらしい。ブログ主としては久しぶりの明日香の風景と、この建物(写真下)が懐かしい というだけのドラマだった。Photo_9   

韓流にはまる日々(その9)・・お気に入りのスターたち(女優編)

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昨日に続いて今日はお気に入りの女優さんたち。男優ほどには、はまったり追っかけたりといことはなく、いい作品に出演して輝いた人が心に残っているという感じです。          

☆イ・ヨンエ・・何といっても品位のある美人は彼女がいちばんでしょう。最初に見たのは「JSA」の中立国調査員。こんなきれいな人がいるのかと驚いた。そして「春の日は過ぎゆく」の年上の彼女。キャリアウーマンで自立しているがちょっとした寂しさで純情な青年と恋に落ちるが、結局手ひどく振ってしまう。ヨンエは(優等生だから)この役を演じるのに苦労し、何度もホ・ジノ監督 に相談したという。仕事上初めてふたりが小さな駅で落ち合うシーン。赤いマフラーを顔まで被っていたのがとても印象的だった。ちなみに「春の日・・」は韓国映画ファンなら必ず見ている名作です。「チャングム・・」は優等生役。異色作としては「親切なクムジャさん」、パク・チャヌク監督のアクの強さばっちりの映画で、復讐の鬼クムジャさん(ヨンエ)はよほど大変だったことでしょう。現在は結婚して引退していますが、中年になっても俳優業が出来る人(演技力はともかく)だと期待しています。                   

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☆ シム・ウナ・・何といってもかの名作「八月のクリスマス」(ホ・ジノ監督)は彼女の魅力全開という感じです。物語はアジョシの死で終わりますが、そん  な結末が”悲劇”っぽくならないのは彼女の天真爛漫な若さと監督の手腕でしょう。「インタビュー」は失敗作(映画として)。「美術館の隣の動物園」は彼女の魅力が存分に発揮されていた。結末もハッピーエンドでこの映画を見るとハッピーな気持ちになるのでDVD購入しました。1990年代に大ヒットしたらしいドラマ「青春の罠」が最近DVDリリースされたので早速レンタルで見ましたが”出世慾の強い恋人にこどもまで出来たのに捨てられ、復讐をはかる貧しいOL”役。撮影中は、私生活に戻っても復讐心が抜けず、恋人役のイ・ジョンウン氏と撮影中は全く話もしたくなかっということでしたが、やはり彼女はこういう不幸な役より「美術館・・・」みたいなズボラだけど純情で楽天的な役がぴったり。惜しまれながら芸能界を去り、現在はソウル大学の教授夫人だということです。                                       

☆ コ・ヒョンジョン・・Photo_8   「砂時計」のヒロイン、これ一作しか見ていません。(この映画の直後にサムスングループの御曹司と結婚して引退した)すごい美人という人ではなく演技力もまだまだ未熟という気がしますが、何しろ長身1.72cmの存在感、富豪の娘でありながら父に反発して学生運動に走り、警察の拷問、自白(裏切り)、恋人を父親に放逐され、その後はカジノの経営、という波瀾万丈の半生を送る強靱な女性の存在感はばっちりでした。最近離婚して芸能界に復帰されているそうです。              

☆パク・シニョン・・「真実」でチェ・ジウを貶めようとするヒール役(ワル役)の彼女を見たとき、その憎たらしさに圧倒されました。一転して「オー必勝」ではアン・ジェウクの秘書として完璧なキャリアウーマン、「悲しみよさようなら」ではお金持ちだが貧しい青年との恋を貫こうとするお嬢さん、何でもできる演技派トップ女優です。美人でないのもよい。 (写真下)

                       

Photo_16                                                      ☆ ペ・ジョンオク・・ノ・ヒギョン作品には必ず 出ている、ノ・ヒギョンのミューズです。「彼らが生きる世界」のベPhoto_18 テラン女優、「華よりも美しく」では出戻りの長女.etc。丸顔で庶民的な雰囲気は決して美形とまではいきませんが、実際の彼女は「すごくきれいで魅力的」だと見た人が書いていました。彼女が出ただけでその場の雰囲気が明るく和らぎます。     

Photo_17 ☆チョン・ドヨン・・カンヌ国際映画祭で最優秀主演女優に輝いた人です。(作品は「密愛・シークレットサンシャイン・・未見です)彼女  は1990年代のドラマで脇役をしていましたが、その頃から存在感がありました。(「北の駅から」「若者のひなた」)ヨン様主演の「スキャンダル」はいよいよ本領発揮でした。何をしても存在感(アク)が強いので好き嫌いはあると思いますが間違いなく韓国の代表的女優です。                         

☆キム・ボヨン・・「拝啓ご両親様」のアボジの妹役(ドンウクたちの叔母)。出戻りで美容院を営んでいる。オモニ(キム・ヘスク)の小姑だがふたりは仲の良い”オンニとアガシ”。とても魅力的な方で”ファン・ジニ”でもびっくりするほど良かったとか(未見)、是非見てみたい。                                                                                                                                                                                                   Photo_22                     
☆ソン・ソンミ・・「美術館の・・」で劇中劇にも出るダヘ役の人。映画では顔が殆ど分からなかったので「拝啓・・」で長男の新妻で初めて顔を見て、こんなきれいな人だったのかとびっくり。長身でスタイル抜群、素直に育ったお嬢さんが大家族に嫁いで懸命にいい奥さんになろうと頑張る役。演技以前に見ていて気持ちが良くなるようなきれいな人です。(これしか見ていないけど)(写真下・)

Photo_19                                                        

                                                                             

「サラエボの花」・・・オシムの伝言

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図書館で予約していた「オシムの伝言」(千田 善著・みすず書房)の順番がようやく回ってきたので読み始めている。この本は今まで何冊か読んだスポーツライター(スポーツジャーナリスト)のサッカー本とは一線を画する質の高いもので、それは身近に語られるオシムさんの魅力に加えて著者(通訳だった)千田氏の学者、ジャーナリストとしての見識の深さによる。読後感はいずれブログに書くとして、読みながら必然的に思い出さざるを得ない映画「サラエボの花」について今日は書きたい。                                   

「サラエボの花」(原題:グルバヴィッア・監督、脚本・ヤスミラ・ジュバニッチ)は2007年に公開されたボスニア映画で、その年のベルリン国際映画祭で最優秀作品賞、その他にも各地で数々の賞を受けた作品である。サラエボのグルバヴィツアに住むエスマはひとり娘のサラと暮らしている。ボスニア紛争から12年が過ぎ、街は一見正常を取り戻したかのようだが、人々の心の中には戦争の傷跡が深く残っている。エスマは働きながらサラを懸命に育てており、父親は”シャヒード(殉教者)”であると聞かされてきたが修学旅行の時「シャヒードのこどもは証明書を出せば旅費が免除される」という先生の言葉を聞き、母親に「父さんがシャヒードだったという証明書を出して」と頼むが母親エスマはどうしても出そうとせず、クラスメイトから「お前の父さんの名前は戦死者リストにない」と聞かされ、ついに母から「サラは収容所で敵の兵士にレイプされて生まれた」という事実を知らされる。ショックのあまり、頭を丸坊主にするサラ。セラピー(戦争犯罪レイプの犠牲者が集まる)の場で「子供の存在が許せず、流産させようとお腹を叩き続けたこと、しかし生まれた子供を見たとき、こんなに美しいものが世の中にあることを忘れていた。」と告白するエスマ。                       

修学旅行出発の朝、バスを見送るエスマに、頭をスカーフで巻いたサラが元気に母親に笑顔を返すところで映画は終わる。                                   

Photo_2 サラエボ出身の監督ヤスミラ・ジュバニッチは紛争時代は10代前半、彼女にとっても”思い出したくない辛い想い出”だった筈だ。キャンペーンのため来日したこの若い監督は「戦争犯罪(レイプ)被害よりも、女性が人間としての尊厳を取り戻す姿を描きたかった」と述べている。なお原題「グルバヴィツア」はボスニア紛争時のサラエボの最前線となった激戦地の名称である。                                                

日本代表監督として日本にいたオシムさんは上映にあたって次のようなメッセージをボスニア大使館を通じて寄せている。「われわれグルバヴィツアの住人は、かってサラエボのこの地区が、すべての者がともに共存し、生活を営み、サッカーをし、音楽を奏で、愛を語らえる象徴的な場所であったことを決して忘れない。」なおオシム氏自身も紛争時の3年間、監督としてベオグラードに赴任しており、長男アマル氏も選手としてイギリスに遠征中で、セルビア人勢力に武力包囲され水もガスも絶たれ、NATO軍の空爆にさらされたサラエボに残った奥さんと娘さんのふたりと3年間会えずにいた。                            

追記:ボスニア紛争とは・・・”民族のるつぼ”と呼ばれるバルカン半島に位置するユーゴスラヴィアが「諸民族の友愛と団結」を掲げるカリスマ指導者チトーの死後、経済危機に直面する中で民族間の対立が深まり内紛が激化し武力闘争にまで発展したもの。当然サラエボもそれに巻き込まれ、特に住民の多数を占めるムスリム(ボシュニャク人・イスラム教徒)とセルビア人(主として正教会)の対立が最も先鋭化した。(オシムさんはドイツ人の血を引くクロアチア人、ユーゴ解体後はボスニア人である。)かれらは宗教は違うもののいずれも南スラブ人として人種も言葉も同じで、ボスニア住民の6割が他民族と結婚し親戚関係にあるという。隣人どうしそれぞれの宗教のお祭りの日には互いにディナーに招き合ったという。かっては「ヨーロッパの火薬庫」と呼ばれたが、実際は多民族共存の歴史ははるかに長いのだ。オシム氏はそんなサラエボで育ち”子どものころ、さまざまな民族、宗教の友人たちと遊ぶことによって、リスペクト(尊重・尊敬)する習慣を身につけた。 世の中には自分のモノサシだけが正しいのではないこと、他の家族の宗教や文化にも敬意を払うべきであることを自然に学ぶことができた。”(千田善「オシムの伝言」より)このような多民族共存の歴史が崩壊したのはチトー死後、国家権力を争い合った政治家たち(ポスト・チトーのユーゴスラヴィア大統領・ミロシェヴィッチ・セルビア人を筆頭とする)の争いに「排外的民族主義」が利用され、とりわけ住民の多数だったムスリムに対しての憎悪を扇動させたことにある。ムスリムとはかってこの地を支配していたオスマン帝国の時代にイスラム教に入信した人々(子孫)で、「民族主義政治家」たちは彼らを「侵略者の子孫」として住民の怒りを煽り立てたということだ。(オスマン帝国はトルコ人の王朝であったとはいえ、国民は多数の民族からなる多民族国家であった。)                                             

ミロシェヴィッチたちの唱える「民族浄化・ジェノサイド」はかの有名な「スレブレニツアの住民虐殺」を引き起こし、サラエボではセルビア人住民を市外に退去させた後、残った市民Photo_4 に対する武力包囲、銃撃が行われた。しかし少なくないセルビア人が市内に留まり、ムスリムや他の民族からなる市民と共に闘ったという。(この時、戦死した人々を現在ボスニア政府が”シャヒード(殉教者)”として称えている。)                                                             

この紛争、特に激戦地であったコソボ、サラエボに対するアメリカ主導のNATO軍(国連安保理の承認がなかったため)の大規模空爆は数万の民間人死者とともに、劣化ウランの使用によって”バルカン症候群”という後遺症を帰国した兵士にも与えることになった。(ちなみに空爆を指示したのは、当時の国連事務次長・明石 康氏である。)民衆は宗教や文化の違いだけで殺し合うことはない。必ず憎悪や偏狭な民族主義を煽り立てる仕掛け人がいる。紛争は多くのメディアが当たり前のように唱える「民族と民族の対立」「宗教と宗教の対立」ではなく、「偏狭な排外的民族主義」と「多民族共存主義」の対立が生んだ戦争であったということだ。

素晴らしいシュートの数々・・「サッカー第23節」

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まずはチュンちゃん(李・忠成)の広島移籍後のリーグ初ゴール! ニュースで見ましたが、後半31分の頭(顔?)で合わせた執念の一撃でした。広島はこれで神戸に追いつき1:1のドロー、ペトロヴィッチ監督は現在9位につけているチームとしては価値あるドローとして評価しました。在日4世のチュンソンは北京オリンピック・アジア予選直前の7日前に日本国籍を取りました。当時は柏に所属しており ”ポスト・ミョンボ”と呼ばれる名誉ある背番号20をつけていました。(かって柏に在籍した洪 明甫・ホンミョンボの背番号)残念ながら北京五輪では目立った活躍はできなかったけれども、去年広島に移籍し、今回のゴールになりました。大柄な身体、豊富な運動量、闘争心むきだしのプレーはともすれば”空振り”になることもありますが、見ていると応援したくなる選手です。日本名は”り・ただなり”ですがチュンソン、チュンちゃんと呼ばれています。U23は過ぎたので是非ブラジルW杯に向けての活躍を期待しています。                                        

今節は”ブラジル”に向けて期待される若手選手の活躍が目立ちました。ガンバ大阪の宇佐美の前半2分のゴール、グランパスの金崎夢生のゴール前での一瞬のグラウンダー、そして乾貴士の25mからのミドルシュート。チームは負けましたがガンバに2点先制された後、同点に追いつき、おしくも最後に1点取られての敗戦でした。    

腹立たしいのはプロ野球は毎日のように(試合があるから)長時間の実況をどこかの局がやるのに、Jの試合は土、日各1局(BS1が多い)。JFAの方針で各チームまんべんなく放送するので”大阪ダービー”も見られなかった。視聴率やスポンサーの問題もあると思うが、せめて地元局ぐらいでやって欲しいものだ。横浜は名古屋と分けましたが、俊輔の見事なアシストから天野が決めたゴールでした。”ファンタジスタ”俊輔が再び代表に招集されることを期待しています。 鹿島は来日10年目のマルキーニョスのハットトリック! 彼は誰よりもよく走り、労を厭わず、そしていつもゴールを狙う選手、そしてJリーガーのイケメンNO.1、というより”いい男”です。鹿島はあまり好みのチームではないが、彼と彼の父親オリヴェイラ監督(実父ではないが、マルキは父を亡くしているので実の父親以上に慕っている)だけは、大好きです。              

2年後のロンドン五輪に大熊監督が決まりました。韓国はすでにホンミョンボ監督が優勝を目指して着々と準備を進めているそうです。                                                                                  


追記:ヨーロッパから来た人が先ず驚くのはJリーグのチームカラーの華やかさ、というよりスタンドを埋め尽くすカラーに圧倒されるとか。ヨーロッパではバルサやマンUなどトップチームは別としてどのチームもここまでサポーターがジャージーを着ることはなく、せいぜい首に巻くスカーフ程度らしい。日本の豊かさを実感するそうですが、ヨーロッパ ではサポーターの層がより大衆的(街のおじさんやじいちゃんまで)かつ底辺が広いということもあるのかと思いますが。             

韓流にはまる日々(その7)・・韓国とベトナムの意外に近い関係

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「ハノイの花嫁」・・これは「ベトナム戦争終結30周年記念番組」としてSBSが2部作として放送した(2005)ドラマである。視聴率も高く、視聴者の要望に応えて”再放送”もされたという。ストーリーは韓国から奉仕活動(兵役の一環?)としてハノイに派遣された若い医師と、通訳のベトナム人学生とのラブストーリー。韓国史上初めてベトナム・ハノイ(ホーチミン市)、観光地ハロン・ベイがTVに登場した作品だという。(もちろん現地ロケを含む)  医師ウヌはハノイで自分の通訳の仕事をしていたベトナム女性ティブ(これは韓国人俳優が演じている)と恋仲になるが、かって韓国人と恋をしてこどもまで出来たのに捨てられ、帰国されてしまったティブの姉さんがこの恋に絶対反対し、彼女の仕業で帰国するウヌはティブとの連絡を絶たれ、以後彼らは互いの消息を知らぬまま1年(くらい?)過ぎる。ところがウヌには山村で老母とふたり暮らしをしている40才を越えた兄がいて、彼は嫁さがしに”ベトナム女性とのお見合いツアー”に参加、そこで同じくお見合いに参加していたティブに一目惚れして、その場で結婚を決めて帰国する。(こういうイベントを企画するビジネスがあるとは知らなかった。日本の”フィリピン・お見合いツアーは知っていたが)これは単なる偶然ではなく、ウヌに捨てられたと勘違いしたティブが、知り合いのお見合いビジネス事務所の叔父さんに見せてもらった資料でウヌの兄が来ることを知り、ウヌへの復讐としてあえて彼の兄と結婚するつもりでたくらんだことだったのだ。ウヌは訪韓した兄の花嫁となる女性を見て驚愕、ティブは自分を裏切った(と思いこんでいるため)、ウヌには心を開かず、その後いろいろと紆余曲折があって最後はハッピーエンドとなる。                                      Photo_4 韓国は朴政権下のもとで、ベトナム戦争の際、延べ30万余の派兵を行い(アメリカに次ぐ最大規模)、続く全斗煥、盧泰愚大統領はこの戦争の司令官だった。太陽政策など考えられない当時にあって派兵のスローガン ”北の脅威、共産主義の脅威”は国民世論の大勢の支持を得られただろう。(しかし、この頃を時代背景にした映画では、たびたび”派兵反対デモ”なども出てくる。)ベトナム戦争による特需も国民に歓迎された。しかしこの戦争での韓国人戦死者は5000人、戦傷者12~13万人で彼らの殆どが未だに枯れ葉剤(ダイオキシン)被害に苦しむという大きな代償を払わねばならなかった。李明博政府は戦傷者の国家賠償要求に対し、そのひとつとして今年の春にベトナム戦争戦傷者を”平和のために貢献した有功者”とする叙勲制度を設けた。これが”侵略者の片棒を担いだのになぜ平和貢献者なのか”とベトナム政府に反発され”平和貢献者”の部分を削除したことは新聞で読んだことがある。さらにこの戦争でベトナム人女性と韓国兵との間に生まれたこどもたちが(数千~3万ともいわれるが公式な調査はなされていない。)ベトナムに取り残された。(彼らは”ライタイハン・・ライ(混血)タイハン(大韓)と呼ばれて差別を受けている。)韓国政府はこどもたちに対しては何のフォローもしていないが、民間団体(NGO)、キリスト教団体の支援活動はかなり活発らしい。現在の韓国では”ベトナム派兵”は現代史の汚点としてあまり語られようとはしていないが国交回復後の韓国企業のベトナム進出は、特に1990年代以来目覚ましく、それによって生まれたこども”新ライタイハン”も増加しているとのこと。ベトナム人にとっては韓国はアメリカの侵略戦争に荷担した憎い相手なのだが、逆にマイナスの交流がプラスの親近感になったのか(飛行機でたった5時間という距離感もあるのか) 現在、韓流文化最大のマーケットは日本ではなくベトナムである。そして在韓ベトナム人花嫁は増加の一途をたどり、中国人妻に次いで多いという。そしてその大部分が”へき村”に集中している。                                 

韓国の人口4800万のうち約半数に近い2000万がソウル及びその近郊に住む、いわゆる後進国型一極集中の人口分布(都市部と地方の経済格差、生活レベルの格差により、都市に憧れてて出てきた人々が、都市の広大なスラム人口を形成するのはアジア・アフリカなどでの典型的現象だ。) のなかで、取り残された過疎の農山村の嫁不足は日本にとっても彼岸の出来事ではない、「ハノイの花嫁」のティブは有望な医師と結ばれて幸せになったが、現実は”韓国ドラマで見たロマンチックな生活”とはほど遠い”片田舎”に住み、場合によっては”夫のDV”に苦しめられている女性が多いことは昨今の韓国関係のニュースで報じられていた。                                     

この後、続いて見た「黄金の新婦」(全64話!)もベトナム人花嫁の物語であるが、こちらはソウルに住む善きファミリーのひとり息子(ソウル大出の大企業社員)と結婚する新・ライタイハンが主人公である。しかし、彼女が”自分を捨てた韓国の父を捜すために、一度も会ったこともない韓国人と結婚することや(斡旋ビジネスの仲介で)、一家の希望の星のひとり息子が失恋の痛手で引きこもりになってしまい、親の苦肉の策でベトナム女性を妻に迎える(母親が代わってツアーに行き)、そのひとり息子がもともと心優しい青年で最初はあてがい妻に反発し拒否するが、彼女の人柄に触れ次第に立ち直り、社会復帰(大企業に就職)するという、まずありえない話の中で、とくに母親がベトナムに行って斡旋業者から花嫁を(買って?)連れ帰るという点では、どちらの話も根っこは同じである。また、ドラマのあちこちでベトナム人妻に対する世間の蔑視が描かれていた。とりわけ「え?なぜ貴方みたいなエリートが?ベトナム人と?」と驚く人の多いのは都市部でもベトナム人と結婚するのは貧困層に多いということを伺わせた。           

話が長くなったついでに大分前に見た「19才の純情」(全167話!)も韓国で大ヒットしたドラマだが、こちらの主人公は中国からの花嫁で、彼女もたった1回のツアーで決めた、ひとまわりも年上の相手に嫁ぐ為に船で韓国に来たが、夫となるべき男性が交通事故で亡くなっていて・・という展開。しかし彼女の故郷が吉林省延辺(ヨンビョン)の朝鮮族自治州で(旧満州国時代に移住した人々で現在も200万人住む)、ベトナムに比べて言葉は同じ、親族のいる人も多いらしくて韓国での外国人妻への偏見はベトナムほどではないようだった。                                                   

思うに、世界のボーダレス化が進む中で、先進国のへき地への外国人妻の流入は、日本でのフィリピン人妻、中国人妻の増加も含めて資本主義社会の生み出した普遍的現象なのだということだ。

「想い出の中のスター達」・・イーサン・ホーク「リアリティバイツ」

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「リアリティバイツ」・・(1994/原題 Realty Bites→ 現実は噛みつく→現実は厳しい)    私がイーサンに出会った最初の映画である。舞台はテキサス州ヒューストン。大学を卒業したばかりの”ジェネレーションX”と呼ばれる世代の4人の若者たち。(ジェネレーションXとは1960年代後半から70年代前半に生まれ、ベトナム戦争後に育ったいわば日本では”何を考えているのかわからない新人類、しらけ世代”にあたる。)ちょうど大学を出た時期に94年頃の世界規模の不況が始まったため、就職もままならず、未来も見えない。4人はそれぞれ当時のアメリカが抱えるさまざまな現実に直面する。主人公リレイナ(ウィノナ・ライダー・・彼女の作品の中ではこの映画が一番はまり役、但し私の観たかぎりでは)は大学を首席で卒業し、念願かなって地元のTV局に入るが、くだらない奥様向けのバラエティショーの助手(使い走り)になり、番組の俗っぽいエセ善人キャスターにいろいろと”異議申し立て”をして嫌われ、クビを切られてしまう。その後足を棒にして求職活動をしても叶わず、現実の厳しさを思い知らされることになる。”GAP”(いわば日本のユニクロみたいな店)の売り子になった楽天家のルームメイトは男の出入りがさかんで、そのため絶えずHIV感染の恐怖にさいなまれている。このふたりの住む借家(かなり大きな一軒家)に転がり込んでくる元同級生のトロイ(イーサン)と、もひとりの若者は共に定職無しの”金欠その日暮らし”で、トロイははなから就職する気がなく学生相手の小汚い店で夜な夜な”ロックバンド”のヴォーカルをしている。相棒のもひとりの真面目男は”ゲイ”。リレイナもトロイも両親は離婚していて、リレイナの卒業式祝いのディナーには2組の(両親)夫婦が来て、祝福されるべき本人を差し置いて口げんかを始める始末だ。4人は共同生活をしていても友達以上でも以下でもなく、当然SEXとは無縁の関係だ。(こういう関係は日本では考えられないが、もはや彼らにとってSEXとはそんなに重大なモノではなくなっていると考えられた。ということは逆に友達であっても何なくいつでも行為に及ぶということでもあろうが)映画は最後まで未来への展望をつかめないままリレイナとトロイが意外に純情な恋人関係になったところで終わる。                                    

思えばこのラストは「リアリティ・・」の20数年前に作られた映画「卒業」の最後のシーン(結婚式から主人公ダスティン・ホフマンが花嫁をさらって逃げる)によく似ており、計算するとちょうど親子の世代にあたる。(第一次、第二次ベビーブーマー)  監督はベン・スティーラーで彼もまたジェネレーションXに入り、映画では”勝ち組・大企業のエリートサラリーマン”として自ら出演もしている。ジェネレーションX世代は、今やすでに40代に入りアメリカを背負う中堅層になっている筈だ。その間格差社会がいっそう進む中で、彼らは今どういう人生を歩んでいるのだろうか。  

イーサンについてはその後「今を生きる」「大いなる遺産」「ヒマラヤ杉に降る雪」「トレーニンPhoto_6 グデイ」 などを見た。「今を・・」は、いわばアメリカ版金八先生で、日本でもヒットしたが”ニューイングランドのプレップスクール(東部名門大学への進学高校)が舞台であるというだけに共感するモノがあまりなかった。(写真最下)

「大いなる遺産」はディケンズの同名小説をベースにしている大作とはいえ、全く駄作。   

「ヒマラヤ杉・・」はベストセラー小説(既読)を忠実に映画化した作品で、工藤夕貴とイーサンの純愛ものというだけで絶対見逃せない映画だった。西海岸最北端のワシントン州の小島の日本人移民の貧農一家の戦中戦後の生活と或る事件に関わる法廷モノで、アメリカでは全くヒットしなかったが(マイノリティを扱った暗い映画などを白人が見る筈がない)私はこれをイーサンの映画・ベスト3に入れたい。       

最後に「トレーニングデイ」はイーサンが唯一「アカデミー助演男優賞」にノミネートされた映画だが全くPhoto_7 くだらなかった。(デンゼル・ワシントンが主演男優賞に輝いたのもおかしい。彼はとっくに「マルコムX」で受賞してしかるべきだった。)

  
イーサンは現在、いい役にも恵まれず私生活も・・というふうに見受けられる。彼は上手く年を取れる俳優ではなくて、”永遠の青春スタ-”なのかも知れない。

イチローはえらい!・・・野球オンチの私ですが

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イチローはえらい!などど叫んでも「今更それがどうした」といわれるほど、誰もが認める事実だ。                                                  野球オンチの私はイチローについては彼が2001年にシアトルマリナーズに移籍してからの事しか知らないのだが  *移籍当初は「2割7分から3割程度の打率と、得意の盗塁とで何とか戦力になるだろう」と監督からもあまり期待はされていなかった。 *元マリナーズの選手 ランディ・ジョンソンの背番号”51”を受けついだためマリナーズファンから当初反感を買った。*ところが開幕戦でのマルチヒットに続き、守備でもかの有名な”レーザービーム”を披露、彼の堅固な守備力は”エリア51”(打ってはいけない危険区域)なる名称をグランド右翼に作ってしまった。(”エリア51”は実はネヴァダ州グレームレイク空軍基地のこと。軍事機密のため国民の立ち入り禁止、メディアの情報取材拒否、上空の飛行禁止が厳格に定められている。) いつだったかNHK特集で見た最初の試合?だったか、それまでスタンドからイチローにうるさく浴びせかけられていたブーイングが” レーザービーム”でぴたりと止み、一瞬静まりかえった場面があった。*その後は次々にメジャーリーグの過去の記録を更新し、9年連続?でMLBオールスターのファン投票に選ばれ続けている。・・・以上は多くの伝説、エピソードのごく一部にすぎない。                

朝、TVをつけると、BS1では大抵MLBの実況をやっているので(時差のため)、雑用をしながら見るともなく見ていると、たしかにイチローには野球選手というより”修行僧”のような雰囲気がある。好不調に関わらず、淡々とプレーする姿(内心はそうではないのだろうが)は禅の”雲水”にも見えてくる。                                Photo_2

そのイチローについての新たな記事を昨日の新聞で読んで驚いた。彼は”リーグ中は毎日同じ時刻に起き、同じトレーニングをして、同じメニューの食事を三食して、同じ時刻に就寝する”というのだ。特に驚いたのは”同じメニューの食事”。普通の人はこれを何ヶ月も続けられますか。ちなみに食事は決して贅沢なものではなく、朝はカレーライスだとのこと。1日の行動を完全にルーティン化することによって”不調になったときにその原因究明がしやすいから”だそうだ。(アウェーの時にはホテルに頼むのだろうが)毎日栄養たっぷりの美味しい食事をしているのでは、という”げすの勘ぐり”をすっかり打ち砕かれた。イチローは「ファンが生活の何かを犠牲にして球場に来てくれるのだから選手もそれに応えるプレーをしなければ・・」と常々いっているそうだ。元サッカー日本代表監督だったオシム氏も選手たちに「人生の中でプロキャリアでいられるのはほんの短い時期だ。だからこそそのときは24時間全てサッカーに生きろ。そして見に来てくれるサポーターに、よりいいプレーを見せろ。」と言っていたそうだ。(NHK「トップランナー」での鈴木啓太談)          

スポーツといえばサッカーを指すほど野球を知らない人の多いヨーロッパで「アジアであなたが一番よく知っている有名なスポーツ選手は?」と聞くと、最も多い返答NO.1がヒデでもパク・チソンでもなくイチローだという。これほど知名度の高いグローバル・スターの”修行僧”イチローにあらためて心から敬服する。

余談: フランス・ブルボン王朝最盛期のルイ14世は、ヴェルサイユ宮殿での豪奢な生活に明け暮れていた反面、”毎日必ず同じ時刻に起床し、同じスケジュールをこなし、同じ時刻に就寝した”という話はよく知られている。(かれに仕えた公爵サン・シモンの「回顧録」に書かれているそうだ)だから臣下たちはどんなに遠くにいても王が今何をしているかを熟知していたという。意外!と思うし、規則正しい生活はいいことだとは認める。それによって彼が立派な政治家になろうとしていたとかは考えもしないけれど。

「想い出の中のスターたち」(6)・・イーサン・ホーク「ビフォア・サンセット」

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監督リチャード・リンクレーターは「Before Sunrise・恋人までのディスタンス」の続編を”7年後の彼ら”をと計画していたようだが諸般の事情で9年目に製作された映画である。舞台はパリ。デートの制限時間は前編の十数時間よりずっと短く5時間である。(ジェシーが帰米する為に空港に行く制限時間)DVD特典の”メイキング”を見ると”超低予算、撮影期間10日、たった十数人のクルー”で、あらかじめ書かれたストーリーに従って監督とイーサン、ジュリー・デルピーの3人が話し合いながら、セリフはアドリブを中心にしたとのことで、当然のことながら映画はドキュメンタリー・タッチに仕上がっている。                                                 

かってフリーライターであったジェシーは今や新進作家で妻子持ち、一方ソルボンヌ大学の学生だったセリーヌは環境保護団体で働くキャリアウーマン、1年のうち殆どが不在の戦場カメラマンの恋人がいる。 ジェシーが”ウィーンでのひと夜”を素材とした小説を書きそのキャンペーンのためパリに来て、書店でのサイン会、ファンミーティングをしている最中に突然セリーヌが現れる。ふたりはジェシーの帰米までの5時間をパリの街を歩き、カフェに入り、公園のベンチに座り、セーヌ河の遊覧船などで相変わらずしゃべりまくりながら過ごす。ふたりの最初の関心事は「あのとき、約束の場所に行ったかどうか」ということで、セリーヌの「お祖母さんの葬儀のため家族全部でブタペストに行った」ために行けなかった、を受けて「待ちぼうけさせなくて良かった。実はボクも行かなかったんだ」というジェシー。「私は葬儀という絶対的な理由があるのに、あなたはどうして?」としつこく聞くあたりから、その後のふたりの心情が徐々に明らかになっていく。(ジェシーは実は行ったのだけれど、待ちぼうけを食らい1、2日あたりをぶらぶらして帰国していた。)<ケータイの普及していない時代とはいえ、彼女は駅の場内放送で彼に連絡するすべはあったんじゃないの?とツッコミを入れたいのは置くとして>  Photo                                                 

彼は大学同窓の小学校教師の女性と”できちゃった婚”をしたが、結婚生活はもうひとつ(優等生の奥さんと合わない)で、結婚式の当日、式に行く途中にセリーヌを見かけた?(この時期、彼女はNYの大学で学んでいたことを聞いて)などと言い出し、その後もかなりウィーンでの出来事が尾を引いている。この本を書いたのもパリでの販促にきたのもひょっとして彼女に会えるかもという期待だからだったことを正直に打ち明けるジェシーに対し、セリーヌはというとそういう彼をクールに突き放してしまう。けれどもふたりはなかなか別れられず、出版社の手配した空港までのタクシーを随行?させながら、とうとうセリーヌのアパルトマンに立ち寄ってしまう。(この古びたアパートが素敵で、住民が中庭に集まってバーベキューの準備をしている。”チェ”という(ゲバラから取った?)セリーヌの飼い猫もいる。アパートの横に待たせたタクシーに「ちょっと待っていて」と告げて結局は彼は彼女の部屋に上がりこんでしまう。(この部屋が唯一 セットだと思われるが、いろんなモノが雑然としながらもとても魅力的な部屋)置いてあるギターを見て「是非に」と望まれ「飛行機に乗り遅れるわよ」といいつつも、ラストはセリーヌ自作の歌の弾き語りが”彼女のその後の彼への思い”にあふれており、それを聞く彼。その後は? 観客におまかせというオープンエンディングになっている。                 
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30代後半に入り人生にも少し疲れ飽きて”青春の出来事”がいっそう輝きを増してくる頃、彼女(彼)に邂逅する(殆どの人にはそんな幸運はないのだが)、9年の歳月を経たとはいえまだまだあの時の面影は残している、ふたりの揺れる感情に付き合う観客は自分の実人生と重ねてある種の感傷におちいる、良く出来た映画だった。                     

背景となるパリの何気ない雰囲気のいいこと。実際にも生粋のパリジェンヌであるジュリー・デルピ-が運転手や遊覧船のおじさんと交わす短いフランス語の会話が魅力的!”アンリ4世”なとという名前の船着き場がある!・・・ジェシーが思いの外くたびれて見えたのに対し、セリーヌは上手に年を重ねてとても魅力的なア・ラ・サーのパリジェンヌになっていた。                         

結局ジェシーが飛行機に乗り遅れ、夜のバーベキューにも参加して飛行機をドタキャンしたのか、それとも思いを断ち切って飛行機に間に合ったのかはどちらでもいいけれど、願わくば40代の彼らも見てみたいと思わせる映画だった。(最後にあのタクシーの運転手さんはとても気の毒だったけど。)

「想い出の中のスターたち」(6)・・・イーサン・ホーク「恋人までのディスタンス」

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ヨーロッパを横断するユーロトレインにたまたま乗り合わせた彼と彼女。彼・ジェシーはアメリカ人のフリーライターでヨーロッパ留学中の恋人に出会うためにはるばる出向いたものの恋人には既に新・彼ができており、気晴らしを兼ねての観光旅行の途中、彼女・セリーヌはブタペストのお祖母さんの家からパリに帰る途中である。2人は向かい合う席になり何となく言葉を交わすうちに次第に親しみが増し、ジェシーの提案”ウィーン(ヴィエナ)で途中下車して、明朝 帰米の飛行機に間に合うまでの十数時間をウィーンをぶらぶらして過ごそう”が合意に達し、ここから二人の”ウィーンでの一夜”が始まるのである。これがウィーンであって、パリだとかロンドンでなかったということが先ずこの映画を成功させていると思う。Photo_3                                               

かって神聖ローマ帝国(ハプスブルク家)の帝都だったウィーン。町の雰囲気はシンプルな中にもある種の荘厳さ、住む人々の決して派手ではないが俗っぽさのない暮らしぶり(実際に訪れたことのない私の勝手な思い込みかも)は、このふたりのデートに(学生っぽい?純粋さを残す) 似合っているのだ。ちなみにウィーンは中世ヨーロッパの”東の要塞”であり、オスマン帝国の2度の包囲を受けた都市である。当時ヨーロッパの中心であったフランスの貴族達から見れば,”ド田舎”であり、ここからブルボン家に嫁いだマリア・テレジアの末娘のマリー・アントワネットは当初は,洗練されたフランス貴族たちから”ドイツ女”と陰口をたたかれていたという。

ジェシーとセリーヌは市内をあちこち散策しながらとりとめもない話題を次から次へとしゃべりまくる。(時たま密かに相手を観察しながら)、そして次第にふたりの距離は狭まり真夜中の公園で互いへの愛を確認する。(この散策途中に、かの「第三の男」の「観覧車」(”ボルジア家・・”の名セリフのシーン”で使われた)が登場する。今だに観光用として?残されているのだろうか。                                Photo_7                   

早朝のウィーン駅。セリーヌの乗る列車が出発する直前、”6ヶ月後にここで出会おう”と再会を約束、あえて互いの住所も電話番号も知らせないまま別れるところで終わる。       この映画は1995年のベルリン国際映画祭で銀熊賞(最優秀監督賞)を受賞した。監督はイーサンの友人で同世代のリチャード・リンクレーター。当時、イーサンを追いかけていた私にとって彼の”青春真只中”の魅力がウィーンの町の光景と共に忘れられない映画となっており、”果たして半年後に彼らは出会えたのだろうか”と本気で心配したものだった。けれど殆ど何のドラマも起こらず、始めから終わりまでふたりのおしゃべりに付き合わされる観客は①期待はずれで「いい加減にせえ」と途中でリタイアするか、②次第に微妙に距離をちじめて行くふたりに思い入れして、はまってしまうかに分かれるのだろう。そういう意味ではいわゆる”カルト映画”(一部の熱烈なファンによって永く見続けられる映画)といえるのかも知れない。邦題「恋人までのディスタンス」は何とも無粋、原題「Before Sunrise」の方が良い。

                                                

                        

海外で活躍する選手達・・長友佑都(セリエA/チェゼーナ)

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昨夜、TVをつけたらちょうどセリエA・開幕第3戦(チェゼーナvsミラン)が始まったところだった。(BS1)NHKもいよいよイタリアリーグの放送を始めたということを知らなかった。(今まではプレミアリーグの放映だけだったので)この放映権もさぞや高かろうと思われるがファンとしては嬉しい限りだ。                                         

この試合はすでに「長友、イブラヒモヴィッチを封じる!」というNET・ニュースで知ってはいたものの、まさか試合が観られるとは思ってもいなかった。(^^)                   

長友はすでに世界のスター選手相手に果敢な闘いを挑んでいたので(開幕でトッティを倒したり)、それほどびっくりしなかったけれど、何せ相手はACミランなのだ。フル出場した長友は、世界的スーパースターを並べたミランに対して、一歩も引かず、イブラヒモヴィッチ、パト(ブラジルの若き逸材)に最後までいい仕事をさせなかったし、90分間全く体力が落ちなかった。後半には交替出場した”ミランの大御所・インザーギ”をゴール前で倒してPKを取られたが、これを蹴ったイブラヒモヴィッチがバーに嫌われて外し、いやいや長友クンの厚かましさと運の強さに感服しました。試合は2:0でチェゼーナの勝利(という大番狂わせ)で終わり、創設1940年という旧い歴史を持ちながら低迷が続き、今期ようやく再度1部に上がったということでホームに詰めかけたサポーターはさぞ狂喜したことだろう。地元紙は「パトは恥をかいた」として長友を高く評価、観戦していたザッケローニ氏もご満悦だった由。この調子がいつまで続くか分からないが” Forza Cesena! Forza Nagatomo! ”のスタンドの声援に応え続けて欲しい。                                                

少し前、TVの長友密着取材番組を見たが、彼は今、ワンルームに一人で住み、近所のイタメシ屋で馴れない料理を「上手い、上手い」と食らい、カタカナで書いた日常に使うイタリア語を自学自習していた。サッカー選手という種族はいやはや何ともタフ、強靱だとつくづく思い知った。(ベルギーに移籍した川島も既にフロンターレ時代から海外移籍を見据えて、英語はもちろんのことドイツ語もぺらぺらだとか、全く恐れ入ります。)                

チェゼーナという町は北イタリアの人口9万の小都市だが、最近は映画「ダヴィンチ・コード」の影響で観光客が急増しているという。中世、長くボルジア家の支配下にあったことから同家をスポンサーとするダヴィンチが戦いに荒廃した城塞の修復を兼ねて都市の再建計画にPhoto_2 も携わったということで、この城塞都市は現在でも、あちこちにダヴィンチゆかりの建物や城塞跡を残しているからだ。ボルジア家といえば”残酷、冷酷、陰湿、好色、血なまぐささ”などの形容詞で語られる権力者でスペインの片田舎から移住し、あらゆる汚い手を使い、武力を使って枢機卿、教皇に成り上がり、北イタリアを支配した。マキャベリはその著「君主論」で彼らを”理想の統治者”としている。また映画「第3の男」でオーソン・ウェルズ扮する主人公(悪い奴)が「ボルジア家の悪政はルネサンスを生んだが、スイスの平和は鳩を生んだだけだ」と居直るシーンが思い出される。

ブンデスリーガの第3節”ドルトムントvsヴォルフスブルク”戦は日本人同士のバトルということで注目されたが、香川が3ゴール目をあげて勝利、ヴォルフスブルクの長谷部は怪我で不調ながら途中出場するもいいところなしで引き込まされてしまった。長谷部はブログ主の”ベスト5に入るお気に入り選手”なので、落胆している長谷部を見てこちらも落ち込んだ。彼は「サッカー人生で開幕3連敗は初体験」といっていたが、まだまだ先は長いので早く怪我を治して活躍して欲しい。あと、まだまだ書きたいのだが長くなってしまったので、今日はこれまで。でわでわ・・。

「秋田監督が初勝利!」・サッカー第22節

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今期のパープルサンガの絶不調で加藤久監督が解任されたのを受けてコーチから監督に昇格した秋田 豊監督が8戦目にしてようやく悲願の初勝利を手に入れ、J1最下位から脱出しました。(3:0 vs神戸・・逆に神戸の三浦監督は解任、悲喜こもごもの厳しいサッカー人生です。)                                                 

秋田は”鹿島の不動のCB”としてその9冠に貢献し、98年、2002年のW杯にも代表選出されました。02年トルシェJに選出されたとき、いきなりの朗報に「まず無いだろうと思っていたので子供を予防注射に連れて行っていた。」と答えていたのが妙に印象に残っています。(結局は試合出場は殆どありませんでしたが)その後、名古屋を経て京都に選手として移籍し、現在に至っています。パープルサンガには元代表柳沢や森岡(現コーチ)、元ジェフの水本もいます。京都はヨーロッパで活躍しているパク・チソン、松井のプロデビューの地でもあります。残る試合を勝ち抜いて是非とも1部に残って欲しいです。                          

プロ野球に比べて実況放送が圧倒的に少ないのが不満なJリーグですが、昨夜は”FC東京vs浦和レッズ戦”を観ました。私は特に好きなチームがなく、好きな選手を応援する素人サポPhoto_3 なので、対戦両チームにお気に入り選手がいるときはとても困るのですが、昨夜は幸いFC東京を応援しながら観ました(今野選手がそうなので)。酷暑続きで疲れ気味の中、まずまず気の入った攻防が最後まで続き、結果はPKによる1点を守り抜いた浦和が勝利しました。

今野は派手な選手ではありませんが、的確なポジション取り、ボランチ、左右のSBが出来る、時にはCBもというポビバレントな選手であるうえに、労をいとわない走り(いわゆる”水を運ぶ選手”)、フェアなプレーでジーコ、オシム、岡田も代表に選出してきました。昨夜の負けは残念です。        

あと、相変わらずのポンテ(浦和)の安定したプレーは置くとして、細貝(浦和)の成長ぶりは眼を見張るものがあっPhoto_4 た。ひと回り大きくなった身体、しつこいチェック&チェイス、先の親善試合で多くの人々が評価したのは当然かと思いました。”U23・北京オリンピック”の頃の少年の面影は消え、迫力のある大人の表情はキャプテンマークを巻くに充分な貫禄でした。今後、代表選手としても大いに期待されます。                                 


清水がこの夏失速しています。3:0で大宮に完敗、4位転落です。スポーツニュースで垣間見て驚いたのは元韓国代表・イ・チョンス(李天秀)が8月15日から大宮に移籍していたこと、昨夜は大宮の3点目で初ゴールをあげました。2002年の日韓杯でもおなじみの愛嬌のある顔で初ゴールを喜んでいました。JFAが今期から決めた”アジア枠”で韓国の選手が多くJに移籍してきて賑やかになった反面、Kリーグはスター選手を失って寂しくなったとのこと。彼らの移籍理由は「①Kのドラフト制度で入りたいチームに入れない、年俸にも制限がかかってい る。②Jリーグの環境整備の良さ、観客動員が多くモチベーションが上がる」などがあげられ、”日本経由でヨーロッパに行きたい、パク・チソンのように”といPhoto_6 うことでKの選手達はJの事情、個々の選手などについて驚くほど精通しているとのことです。鹿島のパク・チュホなどは韓国のユース代表の逸材、ドラフト1位の前評判にも関わらず、来日してJ2の水戸に入り、ここでプロデビューしました。Jファンとしては嬉しいことですが、Kリーグが衰退するのも困るという(互いに強くあってこそ成長できるから)複雑な心境です。

「それでもボクはやってない」・・・郵政不正事件にみる「検察」の体質

昨日、メディアは一斉にトップ記事として「郵政不正事件」の被告の中心である村木(元)局長の無罪を報道した。この事件は昨年以来”もしかすれば厚生労働省ぐるみの議員案件か(政治家の依頼によって本来してはいけない事を行政等がやらされる事)”ということで連日世間に大きく報道され、中心人物の村木さんが国会に召還されるという騒ぎに発展していたものだ。                                                  

事件は「障害者福祉制度」の1つとして設けられた”郵便料金割引制度(封書120円が8円に)”が不正流用され、大手家電会社、広告代理店、大手通販、大手印刷会社など約10社の数千万通に及ぶダイレクトメールに流用され、その損失額は2006年以来で約40億円という。(その損失額はその間国民の税金で補填されたということだ。)                             

石井一議員の依頼を受けた村木(元)郵政局長が下司の上村被告(現)に「証明書」の発行を指示したこと、また事の発端となった架空の障害者団体「凜の会」の代表が石井議員に”口添え”を依頼したときも上村氏が同行したことの真否など、が裁判の焦点になったが、大阪地裁の判決はこれらを明確に否定したのである。つまりこれらは全て「大阪地検特捜部」が作ったストーリーであったことになる。となると特捜部はあらかじめ作ったあらすじに従って容疑者たちを”密室での長時間に及ぶ恫喝まがいの取り調べ”で”白状させ、事件をねつ造したということだ。国会召還時にもあくまで”やっていない”という態度を変えなかった村木さんは(逃亡の恐れもないのに)数ヶ月もの間拘束された。石井議員についても依頼を受けた同時刻は”ゴルフ場でプレーしていた”ことが確認され”寝耳に水”だったという。結局、証人となった人々が”取り調べの苛酷さに耐えかねて村木さんが関わったと偽証した”ことが判明した。当日の夜、報道番組で上村氏が「お前が村木さんの指示を受けてやったのだ、という事実を作り出すために10時間に及ぶ恫喝まがいの取り調べを受けたこと、早くこの場から逃げてしまいたい、という気持ちだけになってしまった”と、供述書にハンコを付いたいきさつを述べていた。                                           

1950年代に多発したえん罪事件「財田川事件」、「徳島ラジオ商殺し事件」などから、日本の警察、検察は一歩も進んでいないのか。最高裁まで争い、もしも有罪(死刑を含む)が確定したあとは”開かずの門”と呼ばれる(新しい強力な証拠が出ない限り、まず再審は有り得ない)厚いカベの彼方に連れ去られる。                               

まだ記憶に新しい「松本サリン事件」(これは証拠不十分で”公判維持”が難しかろうと県警が迷っている間に「地下鉄サリン事件」が起き ”被害者でもあった河野さん”の潔白がようやく証明された)。さらに”服役して出獄した後に真犯人が現れた”「富山強姦事件」など数え上げればきりがない。                                        

警察の”威信”を守るために 犯人をずさんな捜査だけで”犯人”を出来るだけ早く捕まえる。「大阪地検特捜部」の場合は”陸山会・小沢事件”を扱っていた「東京地検」への対抗意識も働いたという推測もなされている。世間で指弾されても今なお横行している”官僚の天下り”は検察官僚が最も多いという。彼らは現職中に功を立て、退職後は大企業の「顧問」として雇われ、最近ではTV局にもその支流が流れ込み”元検事”の肩書きをつけた人々が”したり顔に正義の味方”ぶってコメンテーターとして出演しているのは、ああそういうことなのかと納得した。(民放の場合はかなりギャラは高い由)

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この映画、法曹界では”余りにリアルすぎて”気が重くなるので見たくない”人が多かったとか、周防監督が2年にわたりあたため続け、調査し、いくつもの公判を傍聴して作ったという力作である。痴漢行為をさっさと”白状”して即日解放される者をよそに、あくまで否定した主人公は何十日も警察に留められ、泥沼の”えん罪”裁判に入り込んでいく。「さっさと”白状”した方がトクだよ。裁判になると実刑も来るしね。」などという最初のベテラン弁護士。しかしこの主人公(加瀬亮)はまだましで良き弁護士を得、支援者を得て闘いを続けるのである。(ラストはネタバレになるので伏・・・)                                           

この映画を見た前後に実際に痴漢の被疑者として有罪が確定した人(妻子持ちの青年)のドキュメンタリーをTVで放映していた。周防監督の「容疑者の99.9%は有罪になっている」というコメントにあらためて愕然とした。                                

「取り調べの可視化」に」ついては千葉法相は”予算上、一部に限って”と回答している。  

日本国憲法に明記された 「自供だけでは有罪にならない。」 「推定無罪の原則・・有罪が確定されるまで全ての被疑者は”無罪の市民”としての扱いを受けなければならない」などの理念はいまだに”絵に描いたモチ”だ。過去の暗い時代の多くのえん罪被害者の犠牲の上に成立した日本国憲法は”人権憲法”と呼ばれるくらい多くの(全文の70%だったか?)条文が国民の人権を守るために規定されている。日頃、何気なく生活している「私」が「国家権力」にむき出しになって対峙しなければならなくなった時、それは「犯罪に巻き込まれたとき・・容疑者または犯人になったとき」だ。憲法はその際の「人権を守る」ことに最も多くの部分を割いているのだ。                                          

公務員に「憲法学習」は不可欠だが、”最もなされるべきなのになされていない”のは司直、検・警ではなかろうかとあらためて思わされた事件であった。

深津絵里さんが「モントリオール国際映画祭」で最優秀女優賞を受賞しました

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深津絵里さんが映画「悪人」(李相日監督)でモントリオール国際映画祭で最優秀女優賞を受賞したことをメディアが一斉に報道した。(以下”敬称”略)十数年前の田中裕子(「天城越え」)以来ということで、寺島しのぶ(ベルリン国際最優秀女優賞「キャタピラー」)に続く快挙である。深津絵里については殆ど知らないのだが(日本映画は殆ど観ない。自分の実生活と余りに近すぎてストレス解消にならないので)過去に観た作品を思い出すと「博士の愛した数式」「阿修羅のごとく」「ハル」があった。                               

「博士の愛した数式」は、過去の事故によって1975年以後は”80分しか記憶が持たない”ひとり暮らしの初老の男の家に派遣されたシングルマザーの家政婦と、息子の小学生(たびたび母の職場に現れ「毎日連れてきていいですよ」といわれる)と博士(男は後に母子にこう呼ばれるようになる)交流を描いた映画である。原作は小川洋子の同名小説で発表時”本屋大賞”・・全国の書店員が最も売りたい本に推薦・・に輝き話題になったがブログ主は未読。 
博士は衣服のあちこちにメモ紙を貼り付け、家政婦は毎日玄関で「派遣されてきた家政婦です」と自分の自己紹介をしなければならない。しかし母子と博士の心の交流、信頼関係は次第に深まって行き、少年は”頭のてっぺんが平坦”であるところから博士に「ルート君」(数学の√に似ているため)と呼ばれて気に入られる。博士がかって阪神タイガースの大ファン(なかでも江夏豊の)であったことも次第にわかり(博士はラジオやTVの実況も聞いたことがなく、あくまで新聞のスポーツ記事によって)少年の出る草野球の試合に出かけたりする。この映画での深津絵里は地味ながら、博士(寺尾聡)に劣らぬ存在感を発揮していた。(なお映画は後に数学の?先生になった√君が生徒達に”数式の美しさ”を語るという回顧形式でストーリーが進められている。)                                       Photo_2

「ハル 」(1996・森田芳光監督)は”面白いよ”と勧められて随分以前にみたので内容はあまり覚えていないが”東北地方のどこかの地方都市に住む恋人を事故で亡くした女性”と”東京で営業マンとして行き詰まっている青年”が(当時はまだ普及していなかった)PCのチャットで「ハル」「ほし」のハンドルネームでお互いの性別も分からずに交流をはじめ、少しづつ互いの距離を縮めながら、ラストは東京の東北新幹線ホームで出会う、という心温まるラブストーリーだった。印象的なシーンは、ようやくPCの所謂”オフ”で出会うところ。”青森へ出張する青年と田んぼのあぜ道で待つ深津”が互いにビデオカメラのファインダー越しに一瞬で出会うシーン。田舎の風景と疾走する新幹線と、深津が目印に来ていた赤い(だったか?)コートがあざやかだった。青年役はまだ若くて細い内野聖陽氏です。 この前後に公開された「ユー・ガット・メール」(米)、「接続」(韓国)よりもよかった。               

「阿修羅のごとく」はごく最近TVで観たが、1979年のNHK・連続ドラマ「阿修羅のごとく」の印象が余りにも強く(テーマ音楽・オスマントルコの軍隊行進曲「メフテルハーネ」がすごかった)ドラマでの三女役の石田あゆみの印象が強すぎて、映画版の深津は余り覚えていない。  

ともすれば女優に若くてきれいなだけの価値しか求めない映画界にあって、寺島しのぶ(この人の映画は未見)、小泉今日子(根岸吉太郎監督「雪にねがうこと」の競馬場のまかないおばさん)、宮沢リエ(「たそがれ清兵衛」「父と暮らせば」)、檀れい(「武士の一分」「母べえ」)などの活躍ぶりは頼もしい限りである。願わくば若さだけで評価されず、どの世代になっても魅力的な女性が出てくる映画がもっと増えることを期待します。(専らDVD上の映画ファンであるブログ主としては、直接映画館に足を運ぶことによって日本の映画産業を支える力になっていないことを心苦しく思っています。)

日本代表の新たな旅立ち「キリンチャレンジカップ2010」グアテマラ戦

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2戦目、台風の接近による強風と雨を心配しましたが、まずまずの大阪の天候のなかでの試合でした。立ち上がりは上々で、相手陣営に入り込んだ日本代表は前半12分に長友のクロスを受けた森本がヘッドできっちり決めてゴール、続く20分には本田のスルーパスに走り込んだ香川のシュートをGKがパンチングミスをすると、そのこぼれ球を詰めていた森本が流し込んで2点目を決めました。これじゃゴール量産かいと嬉しい期待を膨らませたものの、直後に中盤で奪われたボールをそのまま運ばれゴールを決められた。そのあとは次第にチームワークを取り戻してきたグアテマラに対して我が代表はパスミス、連携ミスを露呈、後半10分で憲剛が入り中盤の安定と試合メイクが出来始めましたが、結局2:1で辛勝という結果に終わりました。                                                    
シュート20本以上なのに2点という、日本の弱点”シュートの精度のなさ”は相変わらずでした。
香川はキレキレ、”ボールのあるところに香川あり”という健闘ぶりであったのに対して本田は仕事はよくしていたものの肝心のゴールはなく、パラグアイ戦に続いて不本意な試合であったのではないでしょうか。海外組では本田が2試合ほぼフル出場(横浜の時は不本意にも最後で交替させられたが)したのは、遠路、時差を越えてリーグに復帰しなければならない選手達への監督の配慮に対し 彼が”是非とも”と申し出ていたのではないでしょうか。          

現在のCSKAでの不調を、この親善試合で払拭したいとう気持ちがあっただろうし、さらに本田にとってはここ大阪は故郷とはいえ”ガンバ・ジュニアからユースに上がるとき、同期の家長がトップ昇格したのに対してドロップアウト組になってしまい、北陸星稜高校に進学した”という因縁の地でもあり、負けず嫌いな彼には「やってやる」という強い思いもあったかも知れません。      そして乾貴士はというと、ビッグ・マッチになれていないからか、世間の期待にがんじがらめにされたのか、これといっていいところなく、ボールに絡むことも殆どなく(でも試合後確認すると森本の1点目は乾からのパスを長友がオーバーラップして持ち上がったのだった)  後半は下げられてしまいました。しかし、まだまだ若いのですから悔しさをバネにC大阪をACL経由で世界に進出させるべく頑張れば、自ずから日本代表への道も開けるのではないでしょうか。 応援しています。                                        

追記:試合後、GK楢崎が”代表引退”を申し入れたと報道されました。南アW杯を自分の最Photo_3 後の国際大会とし、そのために全力を尽くす決意で臨んだのが、直前に第2GKの川島に代えられ、試合出場の機会を失った楢崎の落胆、悔しさは想像以上のものだと思う。彼がグアテマラ戦でキャプテンマークを巻いて授賞式に出ているのをみて少し感傷的になりました。でもピクシー率いるグランパスは現在1位、このまま快走し、是非ともACL経由でFIFA世界チャンピオンズリーグで活躍して欲しいと思います。

なお今度の「国際Aマッチデー」は、各地でもそれぞれ代表試合が行われ、アルゼンチンが4:1で優勝国スペインを下し、イングランドはルーニーの4得点で快勝、フランスは黒星発進とのことです。(対戦国はわすれましたが。)「ブラジル2014・W杯」に向けてのそれぞれの長い旅が始まりました。                                          

韓流にはまる日々(その4)・・ヒョンビンに恋して「彼らの生きる世界」

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「私の名前はキム・サムスン」で”ア・ラ・サーのちょっと太めのパティシエ”に恋してしまう傲慢なツンデレ御曹司を演じて一躍トップスター(アイドル?)の座をつかんだヒョンビンと、「秋の童話」の薄幸の少女、「ホテリア」の聡明、勤勉な少女を経て、歌手・ピ(rain)と共演した「フルハウス」で”アジアのアイドル”としての人気を手に入れたソン・ヘギョとが共演するドラマということで大いに期待されたというものの、フタを開ければ視聴率はふるわず、ネットをぐぐっても「面白くなかった」「ヒョンビンとヘギョのいちゃいちゃぶりだけが良くて、あとのシーンは早回しした」などと否定的な意見が多く、私も「どうせ、今、シュンの美男美女を並べ、誰もが憧れるTV局を舞台にした”視聴率ねらいの見え見えトレンディドラマなんだろう」と、ずっと敬遠してきたのだが、見るモノが無くなってきたこともあり、ようやく最近になって見たのです。

ところが、意外にこれが面白かったのです。全16話という「ミニシリーズ」モノと言うこともあって、中だるみもなくきっちりと最終話まで作られており、一気に見てしまった。             

物語りはTV局を舞台に、そこで働く人々の群像劇になっている。”中堅ドラマ監督でだれからも信頼されている青年(ヒョンビン)”と”大学の後輩(ソウル大学、このブランド大学はよほど韓国各界で一目置かれているようだ)である駆け出し監督(ヘギョ)との”ついたり離れたりの恋模様”をメインに、TVドラマ制作に関わるさまざまな人々(助監督、俳優、キャメラマン、脚本家、局の上層部etc)の人間模様が錯綜して描かれている。1話ごとに「敵・・」「ときめきと権力の相関関係」「アキレス腱」といったテーマがつけられているが、これらを殆ど意識せずに見ても何の不都合も無かった。又いわゆる”ディスカッションドラマ”であり、あらゆるシーンは出演者たちの長々としたおしゃべり(ディスカッション)で埋められ、”風景美”とか”ロマンチックな雰囲気”とかには全く重きが置かれていない。しかしこのディスカッションのセリフがとてもリアルで”かくもあろう”と納得させられ、面白い。                      

Photo_3  ストーリーは”難病””荒唐無稽な運命の展開”などは一切無く、ドラマチックでもなく、淡々と進み、終わる。これが視聴率低迷の原因になったものと推測されるが、スターや俳優たちが実生活で抱えているさまざまな幸不幸、監督と女優の恋、助監督の苦労、徹夜のロケでわずかな睡眠を求めて田舎の民宿になだれ込む俳優やスタッフたち、若手女性監督とベテランキャメラマンとの間の軋轢、など韓流ドラマ誕生の舞台裏を余すところなくリアルに伝え、むしろ”ヒョンビンとヘギョのいちゃいちゃ”などは最も興味を惹かないシーンであった。      ・・ということで「このドラマは脚本がいいのだ」と気づき調べてみたところ、ノ・ヒギョンという女性脚本家の作で「愛の群像」「花よりも美しく」などの作者でもあり、業界でも一目置かれた存在であること、独特の「ノ・ヒギョンワールド」にはまるコアなファンも多いということを知った。結論、私の韓国ドラマランキングではかなり上位に入るドラマといえる。惜しむらくは”中堅のキャリアを積んだ監督”にはヒョンビンはどう見ても見えず、”バリバリの新進女性監督”に見えないヘギョとともにこのミスキャストが”視聴率ねらい”とはいえドラマの欠点になっていると思った。

ジェフ・サポではないけれど・・巻、阿部の新たなる旅立ちについて

Maki   
この夏、2人のJリーガーがひっそりとヨーロッパに旅立った。                        

巻・・大学卒業後ジェフでプロデビューした。オシム氏が去ったあと、次々と主力選手が他チームに移籍する中で彼は「生涯ジェフ」をかかげ ジェフがそのチーム史上初めて2部落ちした今期もジェフに残りプレイし続けていた。2006年ドイツW杯のとき、ジーコが選出した唯一のサプライズ選手(FW)でもあった。 彼は決してテクの優れた選手ではないがどん欲に走り回り、がむしゃらにゴールを狙うプレーは多くのファンの共感を得てきた。オシムジャパンの時(いつの試合だったかは忘れたけれど)試合後のインタビューでFWとしての巻の無得点に批判的な質問が出たとき オシム氏は少しムキになって「今日の試合で巻がどれだけ走って仕事をしていたのを貴方は見ていなかったのか」と切り返し、彼をかばったことを記憶している。その巻がシーズン途中にロシアに移籍したのだ。移籍会見での巻は「ジェフを2部に落とした責任は自分にあるし、ジェフは”自分の家”みたいな存在、自分にとってはマンUやバルサと同じ価値のあるチーム、1部に上がるのを見届けたかった」といいながら涙を流した。                          たしかに巻の今期は未だノーゴールである。ジェフのフロントが「ジェフで最高の年俸を取っている選手がベンチにいるのも辛かろう」という配慮から?彼を放出したといえば聞こえは良いが逆にカネの潤沢でない弱小チームにとって巻に払う年俸が重荷になっていたというのが本音ではなかろうか。ジェフはすでに来期の巻との契約打ち切りを彼に伝え、公式練習にも参加させていなかったという。巻を欲しがっているJチームは過去にも現在も少なからずあったとはいうものの「生涯千葉」を掲げ 「ジェフ命」で来た巻が他チームに移籍し、かってのジェフ・サポ(最もコアな集団のひとつ)にののしられながらプレー出来るはずがない。                                          

「首切り」を予告された彼が選ぶ道は「海外」にしかなかったということだ。 「オシム引き抜かれ事件」も含めてジェフ・サポのジェフ・フロントへの不信感は強いという。巻を放出したことによる代償はフロントの想像以上に大きいものではないだろうか。              
巻の出発の日、成田には300人のサポが集まり、彼を見送ったという。(写真下・サポによる壮行会)                                                                   

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阿部(浦和)もジェフ・ジュニアから育った選手だ。次々と選手が出ていく中で”遅れて”浦和に出た。しかし不運にもちょうど浦和がゴタゴタして上位ランクから落ち始めた時期でもあり、阿部は十分な成果も上げられないまま今回の移籍(プレミア2部)になった。彼が”かなりの決心”でジェフを出たとき、フロントからの慰留は殆どなかったと伝えられている。J史上最高額といわれる4億の移籍金を欲しかったからと勘ぐられたとしても仕方がないだろう。(写真右・阿部)

阿部は南アのメンバーになったけどボランチ、センターバック なので、大会にはまず出られない”リザーブ”の選手だろうと思っていたところ、直前(スイス合宿)で岡田の”守備サッカー”への戦術転換により大会では全試合”アンカー”として活躍し、それはオシム氏をして「今まで、あんないい阿部を見たことがない」と言わしめるほどだった。                        

2人の活躍を期待しています。                                                                                                                        

日本代表の新たな旅立ち「キリンチャレンジカップ2010・パラグアイ戦」

昨夜の横浜・日産スタジアムはチケット完売65000人余のファンで埋まり、わが日本代表は「2010/ブラジル」に向けて第一歩を踏み出しました。対戦相手はあの南アで”120分激闘のあげく、PKで敗退してベスト8”を奪われたパラグアイでした。パラグアイはスタメン11人中9人、日本は6人が南ア・メンバーということで、ファンとしては久しぶりに懐かしい人々に再会したような気持ちでした。(FIFAの指定したナショナル代表の親善試合日はどのチームも選手の派遣を拒否できないため)マルティノ監督も「初のベスト8」を評価されて続投が決まったということです。試合は、フィジカルもテクも格上のパラグアイに何度も押し込まれるなかで、わが代表もこれに耐えて、後半19分、とうとう香川の素晴らしいゴールで勝利しました。相手のエリアに入ったものの厚いディフェンスに阻まれて横パスの繰り返しによる”いらいら”を払拭するかのような中村憲剛の縦パス、これをを受けた香川の素晴らしいワントラップのシュートが相手のGKの対応を許さない素早さで右側バーをわずかにかすってゴールに滑り込みました。(試合直後、すぐにyoutubeでチェックしました。)中村、香川は南アに行ったものの岡田監督の直前の戦術転換”超守備サッカー”で、出場機会を失った選手であっただけに喜びもひとしおだったことでしょう。

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原監督代行がラスト5分で駒野を出したのは”ファンサービス”か”駒野への配慮”だったのかは分かりませんが、当の駒野は複雑な表情をしていました。試合後、報道陣の興奮に対して中澤は「W杯のリベンジはW杯でしか返せない」と冷静なコメントを述べたそうですが、TVに映し出されたミックスゾーンでの”古井戸”選手たちの表情には、やはり「親善試合」以上の感慨があるように見えた、中でもGK川島の表情に。彼は南アでPK負けしたとき「オレが1本でも止めていたら駒野さんをこういう目に合わせずにすんだのに・・」と悔しがっていましたから。今日の新聞を読むとマルティノ監督は「日本はGKが良かった」と川島の健闘を称えるコメントを出していました。ブログ主としてはこの試合でポスト中澤・トゥーリオの候補として栗原(マリノス)の存在に期待を持ちました。  2戦目(対グアテマラ戦)は7日に大阪・長居のキンチョウスタジアム(C大阪のホームスタジアム)で行われます。 この試合ではC大阪からドルトムントに移籍した香川は勿論のこと、乾貴士(C大阪)の活躍を期待しています。

                                                                    

「想い出の中のスターたち」(5)・・イレーヌ・ジャコブ

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初めてイレーヌ・ジャコブを見たのは「トリコロール・赤」(1994・仏、スイス、ポーランド合作)でだった。アンジェ・ワイダ、ロマン・ポランスキーと並ぶポーランドを代表する監督、クシシュトフ・キェシロフスキによる「白」「青」「赤」の独立した3部作の映画は「青」・・ジュリエット・ビノシュ、「白」・・ジュリー・デルピーそして「赤・・イレーヌ・ジャコブ」を主人公とするもので、私は「青」「白」「赤」の順番に見ていったがイレーヌに巡り会ったとき、正直こんな知的で品位のある女優がいるのかと驚き、ハリウッド映画ではまずお目にかかれないタイプの女優だと思った。彼女は1966年フランス生まれ、ルイ・マルの「さよなら、子どもたち」にちょい役で映画初出演したところをキェシロフスキに見出され、「ふたりのベロニカ」に抜擢されたという。(「さよなら、子どもたち」はナチ占領下のフランスのあるカトリック校の寄宿舎で、生徒に中に紛れ込んでいた(隠れていた)2人の生徒と、彼らをかくまった校長先生がナチによって連行されるという、ルイ・マル自身の”自伝的映画”といわれるもので私も見たが、イレーヌがどのシーンで出ていたのかは今だに思い出せない。)           

映画「トリコロール・赤」はスイスのジュネーブが舞台で、モデル業をアルバイトとする大学生ヴァランティーヌと、退職して孤独に引きこもって生きる元判事(クロード・ルルーシュ監督の「男と女」で一躍有名になったジャン・ルイ・トランティニヤン・・彼もすっかり老人になっていた)の心の交流を描いたもので、3部作の中でこれが一番好きだ。かって恋人に手酷く裏切られた老人は、家の窓からいつも見る光景<近所に住む司法試験に挑む青年を過去のわが身の分身として思い入れ、窓の外のわずかな光景(情報)から”彼が恋人に手酷く裏切られたこと”を察知し、たびたび独居を訪れてくれる心優しいヴァランティーヌと青年(自分の分身)が結ばれることを願うのだが、それが奇跡のようにラストで起こるのだ。                     

    映画の中のどのシーンにもくすんだようなマットな赤色が(博愛を意味する?)(時にはシーン全体を覆うポスターであったり、書斎の小さなカップであったり)印象的に使われている。またヴァランティーヌが始め、老人の飼う犬を誤って自分のクルマで怪我させ、飼い主を探して老人の家に行く、この犬の邪心のなさ、青年の飼う白い小犬とともに映画を暖かいものにしている。       

「青」「白」が「ヴェネツイア国際映画祭・金獅子賞(最高賞)を取ったのに対し「赤」は受賞を逃した。キエシロフスキはこの映画公開の翌年、54才で心臓病のため急逝している。                     

Photo_6 91年製作の「ふたりのベロニカ」は同日同時刻にパリとポーランドのある村で生まれたふたりのベロニカの物語りで、イレーヌは2役を演じている。ふたりは最後まで全くお互いを知らず(しかし意識下ではどこかに自分の分身がいるという、少なくはない人が持ったことのある錯覚?)におり、ポーランドのベロニカは早くに急死してしまう。   パリのベロニカは訳の分からない喪失感に悩み、ラストで自分がかって一度だけワルシャワに行ったときに撮った写真の背景に写っている”自分(ポーランドのベロニカ)”を見つけて驚愕する、というところで終わる。

この映画も全体が色あせたセピア色に包まれておりイレーヌの内的美しさが存分に発揮されている。その後、イレーヌ・ジャコブがハリウッドで撮ったうちの1本「迷宮のレンブラント(1997)」を”オク”で購入したが「こんな映画に出ないで欲しい」と思った。それ以後の彼女の映画は知らないし、見ていない。

「想い出の中のスターたち」(4)・・ジョニー・デップのこと

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ジョニー・デップといえば現在では「パイレーツ・オブ・カビリアン」が頭に浮かびますが、私はそうではない。(この映画は未見)。何といっても彼は「ギルバート・グレイプ」でその印象を強く私に植えつけました。”アメリカの寂れた片田舎の町で、父が自殺したあと、長男として母や3人の兄弟という重い荷物(実際お母さんは過食症で100kgを超える巨体!)を背負って生きる青年(ギルバート)。多動性自閉症の弟役をレオナルド・ディカプリオが演じて、注目されキャリアアップしたことも知られています。何せ監督が「マイ・ライフ・アズ・ア・ドッグ」のラッセ・ハルストレムですから、映像も丁寧で、アメリカの片田舎の自然も、また貧しい青年一家についても暖かく包み込むように撮られています。最後は母が亡くなり、彼は弟をつれて恋人のトレイラーで旅立ちます。とても爽やかなラストでした。

ジョニー・デップは、貧しく育ち少年時代にすでにアルコール、ドラッグを覚えたこと、1/8 チェロキー(ネイティブ・アメリカン)の血を引いていることを自らカミングアウトしています。       1997年に彼が”脚本・監督・主演”をした「ブレイブ」はまさに”現代のアメリカ社会の底辺に置かれたネイティブ・アメリカンの実態を見据えた映画です。荒野の中の「居留地」に住むネイティブ・アメリカンの青年ラファエルが職にありつけず、家族を守るために5万ドルと引き替えにスナッフ・ムービー(人が殺される所を実写する映画)に出演するという、私の最も見たくない暗く残酷な映画でしたが、 荒野の中のゴミに埋もれた居留地や、そこにはネイティブだけではなく、同じく現在アメリカ社会の底辺を形成しているヒスパニックたちも住みついている事実を知りました。                                   
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スナッフ・ムービーの依頼人で謎の老人の役にマーロン・ブランドが出ています。(ノーギャラで出たとか) 与えられた最後の7日間を家族と共に過ごしたラファエルが撮影されるビルに向かうところで映画は終わります。                              

最後に1つ書き忘れていた映画「シザー・ハンズ」。ハサミの手を持つ心優しい男が、恋人も抱けずに(傷つけるから)孤独に古城にすむというティム・バートン監督のおとぎ話。こちらも好きですね。                                           

ジョニーは最近は(特に結婚して娘達の良き父になってから)「パイレーツ・・」や「チャーリーとチョコレート工場」など楽しい映画に出て、暗い影は消えてしまいました。きっと実生活が幸せなのでしょう。

久しぶりに虹を見ました

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久しぶりに虹が出ました(8/31・午後)。にわか雨のあとの蒸し暑い夕方の束の間の涼風に思われました。                                        

”虹”といえば映画「オズの魔法使い」を思い出します。もう随分以前にTVで見て、レンタルDVDで再度見ました。1939年に公開されたミュージカル映画で、未だにこれを超えるミュージカル映画は出ていないとまでいわれています。ストーリーは誰でも知っているように「アメリカのど真ん中に位置し、竜巻(トルネード)」で有名なカンザス州が舞台。叔父叔母と暮らすドロシーという少女が愛犬トートーと共に竜巻で吹き飛ばされ、虹の彼方に行ってしまう。途中で”脳ミソのないかかし””心のないブリキの木こり””勇気のないライオン”に出会い、それぞれ”ないモノ”を求める彼らと”カンザスに帰りたい”と願うドロシーは、願いを叶えてくれるという”エメラルドの国の大魔法使い”に会うため旅を続けます。「現実の場面・・カンザスの叔母さんの家など」はモノクロで、非現実(ドロシーの夢)の場面は鮮やかなカラーで描かれます。                                                                                                             ドロシー役のジュディ・ガーランドは当時16才で何とも可愛く、ダンスのシーンなどは今でも忘れられません。原作の童話や映画「オズ・・」が製作された19世紀末から20世紀初めはアメリカの歴史の大きな転換期にあたります。南北戦争、独立戦争で「国内市場の統一、イギリスの支配からの脱却」をはかったアメリカでは急速に資本主義が発達し、アメリカ・スペイン戦争を端緒として本格的な海外進出に乗り出し、1914年に勃発した第一次世界大戦では何の損害も受けず、両陣営に物資を売りまくって、その結果世界の金の半分以上を保有する世界の最強国の地位を確立します。                                                                    

国内では階級社会が確立し「アメリカン・ドリーム」(何も持たなくても誰もが平等に成り上がれる機会が与えられる)は過去の幻想になり、青年達は「ロスト・ジェネレーション」(夢を失った世代)と呼ばれるようになりました。ドライサーの「アメリカの悲劇」(映画・陽のあたる場所) や フィッツジェラルドの「華麗なるギャツビー」(これも映画化されている)はそのような青年達を描いています。                                           

Photo_2 このような時代を背景に生まれた「オズ・・」も単なるミュージカルではなく”さまざまな社会批判、風刺をこめた寓話”だとして多くの学者、批評家が持論を書き記しています。(例えば「わらの男」は中西部の貧しい農民、「ブリキの木こり」は家族のために働きすぎて心がからっぽにすり切れた労働者・・というふうに) しかし、このような理屈を抜いても子どもにも大人にも楽しい映画です。ドロシーを演じたジュディ・ガーランドはこの映画でオスカーを得ますが(多分?)、あまりに早く”スターとしての名声を手に入れたことが不幸となり、以後は作品にも恵まれず、アルコールに溺れて余生をすごしました。

代表監督が決まった!

とうとう日本代表・新監督が決まりました。イタリア人のアルベルト・ザッケローニ氏です。JFA原技術委員長がスペインと交渉していたので、てっきりスペイン系(バルサを理想とする)”攻撃的パスサッカー”の監督が来ると期待していたのですがまさかイタリアから来るとは!ザッケローニ氏は「美しく、これが日本だといわれるチームを作りたい」「バランスの取れたチーム」と抱負を述べています。トリノ在籍時に監督下にいた大黒(FC東京)は「雰囲気はおだやかな感じだが、守備では徹底した決まり事があり攻撃面でもいろいろな動きを指導された」といっています。(「毎日新聞」)                                 
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イタリアサッカーには「カテナチオ(かんぬき)」という伝統、それは”1:0を美学とする守備サッカー”であると聞いていたので少しがっかりしましたが、彼自身のスタイルは”3トップ、4バック”の攻撃サッカーだと聞いて安心しました。ただ、① セリエAの強豪チームを長年歴任してきた(最後はユベントス)が最近では「過去の名監督」といわれている。②代表監督の経験がない。 ということで不安の声も聞かれます。ヨーロッパから監督が日本へ来たがらないのは① 日本が東アジアのへき地であるため”監督市場”から離れて忘れられるという危惧。 ② 同様にリアルタイムのヨーロッパサッカーを肌で感じられず、カンが鈍る。ということにあるそうです。これらを考えるとオシムさんなどは損得勘定抜きでよく来てくれたものだと思います。                                      

間近に迫ったキリンチャレンジカップ(vsパラグァイ vsグァテマラ)は原氏が指揮をとるそうですが、今のところ岡田監督の”古井戸”メンバーが主力で、オシムさんの時の”新しい井戸水が湧き出たような”印象がないのは仕方のないことでしょう。新監督に徐々に新しい水脈を見つけてもらいたいものです。                              

* 追記: 日本代表の愛称「SAMURAI・ブルー」「なでしこジャパン」は、「アズーリ(イタリア代表)」「レ・ブルー (フランス)」を真似て(おそらく電通が)つけたものでしょうが、時代錯誤を超えてJFAの旧い体質(女性観)を露呈したものだと思います。私は辞めてもらいたい。 とりわけ戦前の女性観”貞節で奥ゆかしく銃後を守る”「ヤマトナデシコ」の亡霊をゾンビのように生き返らせないで欲しいと願っています。                                            

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