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「心折れてもおかしくなかった」・・・チリ・サンホセ鉱山・奇跡の全員生還

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8月5日の落盤事故発生後、69日に及んだ地下700mでの苛酷な「地下生活」で彼らは生き延びるために何をしていたのか。大量に舞い上がる粉塵の中で各々脱出をはかろうとパニックに陥る作業員達を落ち着かせ、統率したリーダーがいた。33人のうち最後に救出されたルイス・ウルスアさん(54才)。                                                                              

『助けは必ず来る。絶対に希望を失うな。』自身も”突然心が折れそうになりながら”必死で仲間を励まし、冷静に状況を把握するのに3時間。食料は少量しかなかった。『48時間ごとにスプーン2杯のツナと少量のミルク。これを守ること。』そして体調の悪い者を除いて「電気関係」「医療」「周辺調査」・・など各々の得意分野で分業体制を作り、全員を斑に分けて班長を作り、各班の居場所も決めて生きるための規律を徹底した。詩の好きな作業員は詩で皆を励ました。(「毎日新聞」)                                                                                       

それでも地上との連絡がとれるまでの17日間はおそらく絶望との闘いだっただろう。連絡が付いた後も「救出に4ヶ月かかる」との声にどれだけ落ち込んだことだろう。坑内の温度33度、湿度95%のなかでの生活は想像を絶するものだったと思う。全員が8~9kg体重が減った。地上との連絡を最初につけたのもウルスアさんだった。彼は父親から2代続きの筋金入りの鉱山労働者である。落盤の周辺状況にももっとも精通しており、絶えず地上との連絡ルートを探っていたという。 食料や生活物資が届くようになった後は「体重をふやすな」と食欲を自重。(引き上げられる時のため)そして最後には全員の希望、体調をもとに救出順のリストを作り、自身は最後の救出になった。                              

この事件で自ら陣頭指揮を取ることによって低落していた支持率を10%も伸ばしたピニェラ Ajennde  大統領はこの「労働者の英雄」の足下にも及ばないだろう。                  

チリといえば「アメリカ・9.11 同時多発テロ」の約20年前に起こった軍事クーデターを思い出す。1973年、世界で初めて議会制民主主義の手続きを経て(国民の選挙)誕生した人民連合政権・アジェンデ政権(写真右)が、アメリカCIAの関与する軍事クーデターによって打倒された。クーデターの翌日だけでもサンチャゴ市内のスタジアムに集められ殺された市民は7000人。以後15年の軍事独裁政権(アウグスト・ピノチェトによる)で少なくとも数万人の市民や学生の命が奪われたという。(アジェンデ博士は勿論、前年にノーベル文学賞を受賞 していた詩人パブロ・ネルーダも)ピノチェトは抗議するカトリック牧師らに対して「拷問は必要。祖国の幸福のために。」と豪語し、彼らを国外追放した。さらに武力による恐怖政治を敷き、民主化運動の拠点となった大学を軍事監視下に置いた。この間チリ総人口の10%が国外に亡命したという。一方、アメリカ流の「新自由主Photo_9 義」経済を持ち込み、国民の経済格差は一層拡大した。  ところが1988年国民投票によって自らの任期を「さらに8年延長する」ことを問うはずが国民に否定され、これを押し切ろうとして軍隊、警察に離反され、ついにはアメリカにも見捨てられて1990年に引退、その後渡英するもスペイン司法局から「チリ在住のスペイン人への弾圧罪」で起訴され、イギリスの”温情”で帰国、チリ市民団体の”殺人罪”での起訴を受けたまま病気で出廷不能とされ2006年91才で亡くなった。                         

以後は2010年春まで「コンセルタシオン・デモクラシア(中道・左派政党連合)」の政権が続いPhoto_8 たが今春の選挙で再び保守派が返り咲き、ピニェラ大統領が僅差で当選したのである。(野党連合の候補者が複数出馬したため)ピニェラ氏の兄は元ピノチェト政権の閣僚、氏は「チリのビル・ゲイツ」ともいうべき存在、世界富豪ランキングにリストアップされているため国民の反発も強く就任以来支持率は低迷していた。彼にとってこの事故は(絶好の)パフォーマンスの場であったことは間違いなく、すでに世論の反発が一部で強まっている。                                

チリは国内に数千の鉱山を有する世界一の銅産出国だ。かってアジェンデ政権が掲げたメインの政策も「チリ鉱山の国有化」「大土地所有制度(小作制度)の解消」だった。今回事故のあったサンホセ鉱山も1990年代から既に危険な鉱山として労働組合が改善、閉鎖を要求していたにも拘わらず、増産のために逆に採掘ルートを新設し、この3年で数度の事故を起こしている(2名死亡)。チリでは経営者と鉱山管理局との癒着(収賄)はつねづね指摘されてきていたという。事故は偶然のものではなく「起こるべくして起こった」ということだ。(事故直後 経営者は行方をくらましていた。)                                   

Photo_5 映画「愛と精霊の家」はチリの或る名家(大土地所有者)の女性たちの人生を描いたもので、原作者はイザベル・アジェンデ(アジェンデ大統領の姪。当時はベネズェラに亡命)。 「アジェンデを潰すのには賛成したが、軍事政権ができて保守派議員まで脅迫されるとは思わなかった」と述懐する家長、アジェンデ政権を支持して逮捕され、ひどい拷問を受ける孫娘や恋人の小作人の息子など、一家の3代の女たちの物語りになっている。「サンチャゴに雨が降る」はクーデター前後の生々しい情勢を描いたもので監督、スタッフはフランスに亡命した人々。こちらは見たいと思いつつ見る機会のないまま現在に至っている。Photo_6

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コメント

世界中の人がこの33人の労働者から多くのものを学んだであろう。また、今後まだ私たちには知らされていない多くのことが明らかにされていくとともにまなぶことがあるはずだ。大統領はもちろんの事、ジャーナリズムも彼らをいっときの英雄に仕立てて己の利益を図るのだけはヤメテ欲しい。この労働者たちのこの度の体験は多くの人間にとって希望と教訓となるはずであるから。

ピノチェトやピニュエラについて詳しく書かれていたので、今回の事件の背景を理解できました。僕も昨日、ネルーダやゲバラの詩と関連させてブログでこの事故について書いたので参考にしてください。
僕の方のブログの記事からも紹介させてもらいます。
それにしてもピニェラも相当腹黒そうっすね。。。
アジェンデの娘イザベルさんは、サンホセ鉱山に閉じ込められている労働者を励まし続け、救出を待つ家族の心の拠り所にもなっているそうです。今世界中のマスコミがこのニュースで騒ぎ立てているが、鉱山労働者の悲惨な労働環境には全く焦点があてられていない。サンホセ鉱山は過去にも落盤事故が起きているが、命よりも金のほうが尊重されている、とイザベルさんは主張されていますが、なんとも嘆かわしいことっすね

とても魅力的な記事でした。
また遊びに来ます!!

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