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広州アジア大会・・今だに釈然としない後味の悪さ「柔道」「囲碁」の判定

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或る国や民族だけの中で行われていたスポーツが次第に普及(大抵は国際大会への参加により)し、世界各地に広まると、そのスポーツの当初のあり方から大きく変化して次第に「似て非なる」スポーツへ変貌していくのはやむを得ないしそれだけの理由もあるからなのだが、やはり今大会での「柔道」と「囲碁」競技には大きな疑問を持った。(囲碁で健闘した日本の棋士たち)              

Photo_4 「柔道」については先にブログでも触れたのだが、福見(日本)vs 呉(中国)の一戦の結果は今でも承服しがたい。たしかに柔道がグローバルな競技になるに連れて技術も向上するとなかなか「1本勝ち」が難しくなるため、それにいたる過程での「ワザあり」「効果」「有効」などを点数化することにより判定で勝利を決しなければならないことはわかるが、今度の福見の場合、素人が見ても逃げの一手の呉に対して絶えず積極的に仕掛けていたのは福見だったのに点数が出ず、最後はレフリー3人の揚げた旗で勝敗が決まってしまった。(韓国、モンゴルの審判が呉に白旗、レバノンが福見に白旗) 呉はその後他の級の決勝戦でも韓国選手に投げられ背中を畳につけたにも拘わらず、逆に「呉の1本勝ち」で優勝した。これら疑惑の判定は当事者である呉がいちばん良く知っているだろうから、彼女がまともなスポーツマン(に決まっていると思うけれど)であるなら、逆にこれ以上の彼女への侮辱はないだろう。                 

以上の件は「国際的スポーツ:JUDO」のあり方が本来の日本式と別物になってしまっている(国際理事中、日本人はただひとり)ことにもよるが、アジアの審判のレベルの低さに起因する方が大きいかもしれないが。(自信のなさから来るプロ意識の欠如のため開催国や大国の圧力に屈する)  「だから、谷亮子みたいにアウェーでは1本勝ちしなければならないんだよ。ボクシングでも黒人が白人に勝つには判定ではダメ、K.O.勝ちしないと。」とは家族の弁。福見自身も「1本が取れなかったのが私の負け」と言っていた。                                                    

次のテーマに移るが、かねがねぐずぐずと悪い気分を引きずっていたのが「囲碁」で起こっ た問題。今朝の毎日新聞「記者の目」(記名記事)に取りあげられていたので改めてここで気持ちに整理をつけたい。私(ブログ主)は囲碁の超初心者「自称・9級」、職場で好き者が集まって打っているのを見覚え始め時には上手の人に教授碁をして頂き、最近は打つ相手がいないので専らPCの「AI囲碁」で遊んでいる。(このソフトでは最難関クラスで白を握って、互い先で打ち、6~70%の勝率というところ・・最難関ですらそんなレベルのゲームなのだが)

そんな素人の私だからいうこともトンチンカンがあるかもしれないが、結論を先にいうと「今後、大会参加はやめた方がよい」。理由はグローバル化された(といっても中国がルーツ)囲碁は”日本で行われている囲碁”とはあまりにもかけ離れてしまっており、それならば「囲碁・鎖国」の方がよいからだ。

 『・・優勝候補の中国と韓国が対戦した20日の混合ダブルス。終盤で負けが確定的になった韓国ペアは、全く意味のない地点への着手を始めた。 この種目は各45分の持ち時間を使い切ってしまうと、内容に関係なく負けとなり、普通日本で行われている「制限時間を設けた囲碁の場合、持ち時間を使い果たしても、30秒以内の着手時間は保障されているというルールがとられていなかった。圧倒的に盤上で優勢だった中国の残り持ち時間の少ないのを逆手に取った韓国は(中国1分30秒、韓国4分)「中国の時間切れ敗北」を狙って次々に10手に及ぶ 無意味な(無茶苦茶な)着手を始めたのだ。(中国は時間切れになるまでこれに応じざるを得ず)激怒した中国審判の抗議により(時間キレを狙った異常なプレーは審判が止められるという規定があった)韓国は反則負けとなった。』(以上”記者の目”より)                                           

このような素人でも恥ずかしい作戦を堂々と行った(ペア二人は互いに口をきいてはならな いというルールがあったので、多分最初から敗色濃くなったら実行しようと計画していたのだろう。)ということはすでに日本の囲碁がこだわる「勝敗より内容が大切、美しい勝ち、美しい負け、中押し負け(囲碁は将棋と違って最後の数手での大逆転は100%ありえないため、それ以上恥を広げないため敗者が自主的に投了すること)」などという美学が完全に消滅し、結果・勝敗にのみ拘る「早撃ち囲碁ゲーム」になってしまっているということだ。プロ棋士がよくいう「恥ずかしい棋譜が残れば一生の恥になる」などという精神は国際社会では通用しないどころか「犬にでも食わせろ」という扱いなのか。日本選手団々長・大竹九段もどっと疲れて(精神的に)帰国されたとか。何せ彼は「厚みのある味良い大竹流美学」の主ですから。それに男女のダブルス(お互いに意思疎通は禁止)に何の意義があるのか教えてほしいものだ。                                                 

『信じられないのは情報がきちんと公開されないことだ。記者が試合を取材できたのは、対局が始まって15分間の冒頭撮影タイムだけ。全てが終わって全選手が退場するまでシャットアウトで、その後公表された結果も勝ち負けのみで、内容(勝敗差、時間切れの有無など)はまったくアナウンスされない。前記のさまざまな 出来事も、選手や関係者から取材して初めて分かった。100m走に例えれば、スタートだけ見せて後はトンネルを走らせ、着順だけを発表するようなもの。40年以上、囲碁の世界に関わってきたが、このような大会で公式棋譜(終了までの打ち手順の記録)が残っていないのも初めての経験だ。これについてある中国の棋士は「中国、韓国では何目勝つとか時間切れとか途中経過はどうでもいい。問題は勝ちか負けかの1点」と話した。やはり中韓では囲碁はスポーツとして捉えられているのかと考えさせられた。・・次回のアジア大会は韓国で行われ、囲碁競技が残ることは十分考えられる。伝統文化の囲碁として日本独自の道を進むのか、スポーツとして勝敗に徹して結果を求めるのか。囲碁界の総本山である日本棋院は早急に方針を決める必要があろう。』(以上、”記者の目”)(写真上:大竹英雄団長、下:金メダルを取った韓国選手たち)                                                  

シロウト囲碁愛好者として希望する。今後のアジア大会「囲碁」には参加しないで貰いたい。今度の大会で3位に甘んじた(韓国1位、中国2位)ことの雪辱など不必要。偏狭なナショナリズムと言われようが「過去の先人の名勝負の棋譜を暗記するまでに読みかえし、プロのさまざまな棋譜(出版されている)を教科書にし、こよなく囲碁を愛する日本式囲碁」を残し続けたいから。日本の囲碁はスポーツではないのだ。

付記:「JUDO」の不可解な判定に比して、今大会の「女子サッカー」のレフリーはどの人も(全て女性)公正、几帳面、見るべきモノはきちんと見ているという点で、とても気持ちよく、信頼がおけた。だから日本がファウルを取られても納得だった。女性の方が公正、周囲に惑わされないということなのでしょうかね。        

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