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2011年1月

「終わり良ければすべてよし」・・・満身創痍でつかんだ栄冠

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あらためて今度のアジアカップ・カタール大会ほど選手たちによって作られた多くのドラマとともに長く記憶に残る大会はないと思う。延長戦後半5分で決まった劇的な李忠成のボレーシュートとともに・・。遠藤から出たボールを長友がいっきに駆け上がり強敵ウィルクシャーら相手の強力な守備陣をかわして左サイドから上げたクロスボールを、ゴールマウスのファーにPhoto_2 いた李が左足ダイレクトの見事なボレーシュートでゴール.。オーストラリアの誇る名GKシュワルツアも全く反応できないものだった。「ニアに寄るとボールをスルーさせると思い、敢えてファーに残ったのが良かった。相手ディフェンスは前田さん(FW)がニアに寄ることが多いのでそれに反応すると思ったから。(殆どドフリー状態だったことに対して)」「ワントラップのヒマも(もちろん右足に持ち替えるヒマも)なかったので思い切って振り切ることだけを考えた。」浮き気味のボールを左足でボレーを蹴るのは、とても難しい技術なのだそうだ。                                     

李が延長戦に投入されて十数分でこのシュートを決めたことに今大会の勝利のカギのひとつがあらわれている。ベンチスタートした選手たち(伊野波、細貝、李)が各試合の勝利を呼び込むキーマンになった事がそうだ。「スタメンを保証されている海外組に対してむくれるベ ンチ組の感情的対立」(ドイツW杯)といったものは微塵もなく、全員一丸となって勝利のみ目指した証拠であるといえよう。李、細貝、岩政らの投入時の彼らの厳しい表情にそれまでの彼らがベンチで強いモチベーションを保ちながら過ごした時間の密度が表われていた。            

さて、準決勝で120分死闘を尽くしPKで上がってきた日本は前日の練習で岡崎は疲労のため殆ど歩行すらままならず、長谷部、遠藤なども別メニューするほど消耗していたのに対して、オーストラリアは軽々とウズベキスタンを6:0でいなし、加えて強靭なフィジカルと高い身 長でロングボールを主体とする戦術でさほど消耗することもなく試合に臨んできた。その堅守ぶりは5試合で1失点に留まり左右の強力なサイドバックが高い位置から放り込んでくる精度の高いロングボールをこれまたアジア最強のベテランFWのケーヒルとキューエルが落としてわがゴールを脅かす。その迫力は韓国の比ではなかった。                      
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しのぎにしのいでようやく0:0で迎えた後半、ザック監督は岩政を投入(藤本out)守備の補 強をはかる。                                              

「岩政と吉田のコンビは練習でもやったことがなく、並べるのは勇気のいることだった。がザックは躊躇なく選手交代に打って出た。『マサさんは頭が強いんで大分押し返せた。どっちかが出たらどっちかがカバーに入ることをしっかりやった。』と吉田が話すとおり、この急造コンビはDFの基本に徹することで連携不足をカバー。この策は瞬く間に効果を現し始め、日本は空中戦で盛り返した。」(以上:元川悦子氏のコラムから借用)                 

さらにザックは次の手を打つ。今野を左サイドバックにして長友を左MFに上げた。この戦術は大いに機能し長友はこれ以後、攻撃に専念できるようになった。(これが李のゴールを生んだ。)当初ザックは今野をボランチにして遠藤と長谷部を上げるつもりだったが、今野が足の状態とボランチを長くやっていないことへの不安から難色を示し、選手の間でこの形がベストということで決まったらしい。「交代にあたって選手の意思を確かめてそれを尊重するところ。そして、それを記者会見で質問されるとそのまま語ってしまうところがザッケローニ監督らしいところだ。(後藤健生氏)」                                 

長友が後方を気にせず攻撃参加できるようになったことにより再び日本は活性づき始める。ウィルクシャーの威力が発揮できなくなってきたのだ。「攻撃の強い相手をマークするのは勿論ありだが、そこから攻撃をしかけていけばいい。ロナウジーニョに守備をさせればそれはすでにロナウジーニョではないじゃないか。」(オシム)・・長友がウィルクシャーのポジションに入ることによってウィルクシャーは上がりを封じられウィルクシャーではなくなった。そして長友がMFに入って10分後、素晴らしいクロスが岡崎に入り(これは岡崎、絶対決めるべきだった!)、続いて李のシュートが生まれたということだ。                          

「オレがオレが」のビッグマウス本田が大会MVPに輝いたとき彼は「これはオレが獲ったも のじゃない。全員に与えられたモノだ。」といったのも今大会の日本代表の一丸となった戦いをよく表わしている。      

最後に特筆したい。2、3点は軽く稼いだ川島の素晴らしい活躍ぶり。最後まで走り勝って正確なクロスを上げられる長友という逸材。そして前日は歩行すら儘ならなかった岡崎のそれを微塵も感じさせないプレー。          

そして長谷部。キャプテンとして後輩を鼓舞するような献身的なプレー、キャプテンシーを遺憾なく発揮した外交をも含む試合管理。(彼は韓国戦終了時に足が吊ってしまい、その後ずっと恥じていたが、あの試合への執念がなさしめたことで恥じる必要なし)。                            
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その他、遠藤の冷静な中盤の支配などなど上げればきりがないほど全ての選手、前日眠れないほど緊張したザッケローニ監督,そして大会半ばにして無念にも怪我でリタイアした選手たち、20日間の長きにわたって代表のために陰で汗をかいたスタッフすべてに最大のリスペクトを払って今日のブログを閉じよう。 (写真下;:無念の帰国を余儀なくされた香川のジャージーを持つ長友)

韓流にはまる日々・・・あまりにも低かった女性の地位「黄色いハンカチ」・韓国ドラマ

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近頃、韓ドラから離れる日々が続いている。その理由は私の心身の弱りにもあるけれど、他の原因として見たいと思う良作が見当たらないこと。もちろん熱心に探せば隠れた良作はあるのだろうけれどその熱意もあまりなく、かといって暇々には何か借りておかなくてはということで「黄色いハンカチ」(2003)を借りてみている。全168話ということで長すぎてウンザリ(ミニシリーズと呼ばれるDVD8~9枚で18話程度が最適)と思いつつ、それでもよくできている為ついつい120話あたりまで来てしまった。                              

Photo_6 このドラマは製作当時の「戸籍制度(戸主制度)」への批判が主たるテーマであるため、かなりの視聴率を取ったという。ヒロインのジャヨンは大学以来の相思相愛の恋人と結婚寸前で手酷く振られるが、この時彼女はすでに妊娠していた。元恋人サンミンが勤め先の会社の若い女社長に乗り換え(逆玉)たのである。サンミンは彼女に「人工中絶」を強く求め、ジャヨンもそれにいったんは納得するが「おなかの中の生命を親の都合で奪えない」という気持ちから密かに男児を出産、家族(とくに祖母)の協力で働きながら育てる。(写真左:ヒロインを振った挙句、中絶手術を迫る卑劣なヤツのサンミン.写真下は左がヒロインのジャヨンで右が父急死で若くして社長になったミンジュ)            

一方、元カレのサンミンの妻になった女社長ミンジュも妊娠するが、夫に過去に恋人がいたPhoto_3 ことやあれこれのストレス(非常に利己主義で感情的な女性)で流産、その後子宮を摘出しなければならない羽目に陥り子どもを生めない身体になってしまう。そのため夫婦は養女をもらって可愛がって育てるが、或るとき元カレのサンミンは実は元恋人ジャヨンが自分のこどもを出産して育てている事実を知る。ここから、「戸籍上の女性の不当な扱い」がテーマに前面に出てくる。                                              

2003年の韓国では従来からの「戸主制度」により「こども(嫡出子=婚内子)が生まれたら全て父親の氏を名乗る」、女の子は結婚してもそのまま父の氏を婚家で名乗り続ける(死ぬまで)。従って当然「夫婦は別姓」であり、大家族ともなると祖母ちゃん、母さん、本人は全部氏が異なるということになる。これは父系制によって国民に自らのルーツを明らかにさせるとともに戸主(家父長)は一族に対して有形無形の強い拘束力を有するのである。女性は結婚しても気持ち半分は実家の父の支配下にあり、夫の家では夫や義父の支配下にありながらも、よそ者扱いされる立場であるともいえる。つまりまっとうに全人的に存在する場所がないのである。(ブログ主は夫婦が同姓でないと家族愛が薄まるなどという考えに組しないが、韓国の妻たちが夫の家で家事労働者のように扱われ、「よそ者」として見られることが差別であるといっているのだ。とくに子どもを生まない妻は。)

Photo_4 ところでこのドラマのヒロインは非嫡出子(婚外子)を生んだのだが、その場合戸籍制度では「もし実父が認知すれば父の氏を名乗り、認知しなければ母の氏を名乗る」ことになる。ヒロインの息子は従って「戸籍に父の名のない非嫡出子」として母親の氏のユンを名乗ることになり、ジャヨンそれを覚悟して差別にめげない強い息子を育てていく決意を固めていたが、新しい恋人ヨンジュンと結婚することになると事態がややこしくなり始める。(ヨンジュンは人間性、教養、理知性を備えた立派な男性)再婚を知った元カレは自分の息子に未練が出て早々に「認知申告届」を出し、加えて息子の養育権まで奪おうと考え始める。・・・                                                  

「こんな法律、認められない。出産して苦労して育て自分の命より大切な息子をヒトデナシの元カレに奪われるなんて到底納得できない。」・・憤り、泣きわめくヒロイン。しかし韓国の戸籍制度では「婚外子は父親が認知すればいつでも父の氏に入る。」「養育権、親権も父に移る。」(以上は母親の許可なくても)「母親が再婚しても子は新しい父の氏は名乗れない。」というものだった。・・・・                                             

とこういう理不尽極まりない男女差別の戸籍制度がドラマのテーマになってくる。ところで2008年、この理不尽極まりない戸籍制度(戸主制度)を韓国はスッパリ廃止してしまった。新民法では戸籍(家ごとに国民を登録する制度・これは現在世界では中国と日本だけが行っている制度)のかわりに『家族関係登録簿制度』・・(①家族関係証明書 ②基本証明書 ③婚姻関係証明書 ④入養関係証明書 ⑤親養子入養関係証明書 の5種類の書類)が場面によって発行されることになったのだ。つまり個人登録制になったのだ。              

ちなみに①を見ると「☆本人の氏名・生年月日・性別・住所 ☆配偶者(いれば) ☆両親(がいれば)の氏名 が記入された実に簡単な文書だ。以上の5種類の文書を必要に応じて組み合わせて使用するわけで基本的には「個人1籍、戸主もいないため誰の氏を名乗っても良いということになる。これは現在の世界の「国民登録制度」の殆どが採用しているシステムである。もちろんコンピューター管理により個人IDが作られるわけであるが、「住基ネット」のようにリンクするべき戸籍もなく、将来さまざなな個人情報を集積することはなくこれはあくまで国民ひとりひとりの必要最少限のもの。            

さらに嫡出子、非嫡出子の身分、相続上の差別はない。 現在の日本はどうかというと「戸籍制度」(結婚したら新戸籍を作り、どちらかの姓、または新姓に統一する。戸主は廃止され戸籍筆頭人と呼ばれる)のもとで本人の親たちを含む家族の出生、居住地(ルーツ)結婚、離婚、再婚、死亡、養子、認知などの家族史が芋ずるのように記されている。さらに夫婦は同姓でなければ認められず、事実婚には多くの不利益が伴う。(非嫡出子の相続分1/2、扶養義務の有無、税の配偶者控除なし、離婚の慰謝料なしetc。とくに現在、非嫡出子の相続差別をしている先進国は皆無。)「夫婦同姓でなければ家族愛が湧かない」などとのたまう政治家がいて、世界で「戸籍制度」を持つたった二カ国のひとつの日本、とうとう意識改革で韓国に追い抜かされてしまいました。何かまとまらない文になってしまった。(すみません)   

最後に「黄色いハンカチ」の意味は山田洋次監督の映画と同じで、アメリカのピート・ハミルの小説「幸せの黄色いリボン」から取られ『待つこと、許すこと』という意味が込められているそうです。(下の写真:女社長の妹とヒロインの弟。ふたりはドラマの中ではその複雑な関係ゆえに恋の成就をあきらめますが、共演した俳優さんふたりは意気投合して実生活で結婚したそうです。結婚式のふたり)          Photo_5

「終わり良ければすべて良し」その2・・・行くところまで行ったゲームだったけれど

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やはり、日韓戦はそう簡単に決着のつくゲームではなかった。立ち上がりは韓国が意外にもスロースターターという感じで、日本の攻撃の形が何度も決まり、縦パスもどんどん入って「これは上手くいったら2点はとれるかも?」と楽観。ところが前半22分、PKエリアに走りこんだパクチソンを今野が倒しPKを取られる。(これはパクチソン確信犯のシュミレーションと思えた。)                                                    

しかしその後前半36分、日本の思惑通りにチャドゥリの裏をついた縦パスが本田から長友へ、ドリブルでこれを持ち込んだ長友がDFを引き付けていったんマイナスに折り返し前田へ、前田が押し込むという鮮やかなゴールが決まった。                     

韓国は終始一貫して日本のディフェンスの低さ、弱さをついてロングボールを多用、対応に右往左往するも何とかクリアしてここで前半が終了。                       

後半は韓国が日本のサイドを完封し、さらに香川や本田を徹底的にマーク、縦へのパスを通Photo_12 させず日本の攻撃の形を封じ、さらにこぼれ球を拾い、空中戦、速さで俄然強さを見せつけはじめた。日本は守勢にまわりパクチソン、チャドゥリを中心とする個人のフィジカルで押し込まれるわ、ロングボールを放り込まれるわで見ていて本当に心臓が悪くなる展開になった。                         

日本も岡崎を中心に何度か反撃に出るが、如何せん昨夜の岡崎はシュートがことごとく決まらず、やはりチャンスに(前半に)決めておくべきだったと悔やんでも後の祭り。延長戦にもつれ込んだ前半7分、岡崎が貰ったファウルを本田がはじかれて「万事休す」と思いきや、詰めていた細貝が冷静に押し込んで、ようやく日本は逆転した。しかし後半終了間際のFKの球をゴール間際でごちゃごちゃ攻防する中で結局、ゴールインされて2:2のドローで終了となる。

「120分間、仲間たちがフィールドで頑張ったのだから、ここで絶対止めないと、と思いました」の言葉どおり川島が最初の2人を止め、3人目を外させるという「重慶の川口」の再来となって日本は勝利をつかんだ。                                 
「PKは運のモノ」とはいうが、これは川島の経験値(読み)とド迫力に向こうの若手キッカーが負けたということ。タイメン張ったら絶対川島が強いと思っていた。                        

韓国のロングボールの多用。大体ロングボールは後進国サッカーのものと思っていたからPhoto_15 (日本では少なくともそういう風潮がある)「フィジカル、スピード、メンタリティは韓国でもテクは日本が上だ(アジアのバルサとまでは言わないが)」と思った。ただし韓国は強いけど、パクチソンとチャドゥリがいなくなったら今のままではヤバイ、「日本より格上」とはいえなくなるかも。

Sアラビアの主審、相変わらずわけの分からない笛を吹いていた。PKはどちらのも?だったし、日本のファウルは殆どノーホイッスル、韓国は倒れたらまず吹いてもらっていた。(と思ったけど)

香川が傷んだようだが決勝戦(vsオーストラリア)には出られるか心配。ここまできたら2004年以来の4回目の優勝を勝ち取ってほしい。                    

最後にパクチソンの言葉で締めくくろう。「どちらが決勝に行っても文句はなかった。」                                                          

「終わり良ければすべて良し」・・・アジアカップ準々決勝・対カタール戦

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いやいや大変な試合だった。先制点を奪われては追いつき、また突き放されては追いつくと
いうゲームは、最近ずっと見たことがなかったということが先ず視聴者のストレスをいやが応にもつのらせたし、そもそも試合前から「この国には絶対負けたくない。」という気持ちを強めていた私である。                                              

理由その1:カタールが潤沢なオイルマネーをふんだんにばら撒いて有能なプレーヤーを集 め国籍を取らせて試合に臨んでいること。(FIFAの制限規定「U時代から一度でも代表登録に入っている選手はダメ」はあるが)                                 

その2:試合直前にカタールの専制君主のサーニー家の王子(カタールサッカー連盟会長?)が自国に都合の良い時間帯と会場への変更を求めたこと。(むろん通らなかったが) 

その3:監督ブルーノ・メツは直前の記者会見で「日本はアジアのバルサ」と持ち上げたこと。勿論半分以上揶揄に相違ないが・・。カタールは緒戦を落とした後、順調に2戦完封勝ちしてきており自信はかなりあった筈だ。余談だがメツ監督はイスラム圏に来て数年後にイスラム教に改宗した敬虔なイスラム教徒だということだ。この地に骨を埋めるつもりなのだろうか。                                 

さらにカタールには余りいい思い出はない。1993年の「ドーハの悲劇」に加え、2007年のアジアカップで高原の上げた1点を最後の最後でセバスチャンに追いつかれた苦い記憶が・・。 

ところでカタールという国は中東にある典型的な石油貴族(王族)の独裁国家で、人口100Photo_3 万前後の80%は周辺国からの出稼ぎ労働者、遠くはフィリピン、インドからもかなり流入している。近年は「世界の高級リゾート地」を目指しており、海岸べりには世界の高級ホテルが林立している。                                                   

試合の詳細は、ネットにも新聞にもあふれているので触れないとして、先ず日本にとっての脅威はかのセバスチャン(ウルグアイから帰化)だった。最後まで落ちない豊富な運動量、一瞬の隙を狙ってゴールをうかがう俊敏性、この選手ひとりで日本の労力の半分以上は消費されたようだった。                

さらに次なる脅威は「あからさまなアウェーの笛」。カタールのファウルは殆ど見てみぬ振り、日本のはファウルの取りまくり。(審判団はマレーシア人)こんな主審でゲームをする限りは、ボクシングで言えば「完全なノックアウト」勝ちを目指さないとダメだ。・・             

ということでそのパーフェクトなノックアウト勝ちで日本は勝ったのだ。伊野波の押し込みで勝利をもぎとったのだ、しかも10人で。(写真下:自らも感極まってうずくまってしまった伊野波)Photo_5                                  
それとここに来てようやく香川の華麗なゴールが見られた。この試合の「マン・オブ・ザ・マッチ」も当然のことだろう。2ゴールを上げ、3点目も香川がゴール前で倒されたこぼれ球を伊野波が押し込んだのだ。この調子で準決勝でも暴れまわってほしいものだ。         

試合後長谷部曰く「延長に持ち込んでも絶対勝てるゲームだから3点目を与えないで先ず終了しよう。だから失点しないように守備は全員下がっとけ。」と意思統一したのが、あの時右SBの伊野波があそこに詰めていたのでみんなびっくりしたそうな。(伊野波自身も決めた後何か呆然としていた。?)・・ともかく30分の延長戦戦わずに済んで良かった。           

「終わりよければすべて良し」だ。それと1点目のセバス チャンのゴール、動画をみてもオフサイドにしかみえない。「ぎりぎりセーフ」だという事だったらしいが。              次戦はイランを退けた韓国との試合だ。まさに「クラシコ」。中東とやるよりよほど楽しみだ。勿論勝ち上がりを期待して。

付記:吉田がイエローカードの累積で退場になった2枚目のファウルシーン。実はカタールの 選手だって負けず劣らずの汚いプレーをしていたのをレフリーは見落としていたのかね。全く。

毛糸の山に囲まれて・・・下手の横好きの記

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小さい頃から毛糸編みが好きで、そのくせ手先は不器用、仕上げは大雑把なのにヒマがあったら編み針を動かしてきた。のんびりした韓ドラなどは手でも動かしていないと貧乏性の私などはまどろこしくて仕方がないのだ。さすがに”これ”と定めて見る映画やサッカー観戦は”ながら観戦”はできないが・・・。                                  

落ち込んでいた2~3年前は毛糸をみるのもイヤで押入れのストックを「エイッ」と捨ててしまいたい気持ちですらあったのが、いつの間にか再び編み針を持てるようになったのはウツが軽くなったいい傾向と思い、今年も気持ちのままにあれこれ編んでいる。(写真上:オクで買ったソックス用のアクリルとウールの混紡糸。アクリルは嫌いなのだがソックス用には仕方が無い。1玉430円のが30玉(12900円ですよね。)1000円から出て3000円で落札したもの。出品者は多分バッタ屋?。何でも1000円均一でブランド毛糸、コーヒー缶、ジャム、タオルなど多様な出品をしている。           

以前はこの近くにあった毛糸屋もなくなり、駅前の繁華街に行っても毛糸が置いてあるのはPhoto_4 大手の「クラフトショップ」のみ。以前は母などはこどもに着せるために必要に迫られて編んでいたのが、最近の傾向は「買ったほうが安く、センスもいい」ものが町にあふれているためPhoto_2 必要に迫られて編む人はほぼ皆無で、編み物をする人はだんだんコアな趣味家になりつつあるようだ。ネットでぐぐるとそういう人々のブログが山のようにあり、「高級な外国のブラPhoto_5 ンド糸」「国産でもさまざまな種類の個性的な毛糸」 安い実用的なモノがいい人には「リーズナブル商品専門の毛糸屋」までさまざまなショップがあり、ネットフレンドでお互いに情報交換をしているグループもある。(写真上と右は、現在私が一番好きな毛糸。野呂英作さんというハラボジ(おじいさん)が小さな町工場で作っている毛糸で、色が斬新すぎて日本よりも欧米で大人気の毛糸です。上から「ゆうぜん」、「くれよん」、「すずらん」」と名前も素敵。こういうのがバーゲンになると購買欲を抑えられなくなるので困る。                                                  

私もあちこちの毛糸屋さんのウィンドウショッピングをして時間を費やしてしまうことが多い。とくにブランド毛糸のバーゲン(廃番色や、生産終了のものなどは5~60%offはざら)、年末年始の福袋などは大人気で出品と同時に売りきれて しまう。ということで編み物好きは毛糸好き・・ストックを減らさなければと思いつつもつい新しいモノに手を出してしまう昨今である。

Photo_6 さらにヤフオクの毛糸カテゴリーも大賑わい、最近は工場の余り「工業用糸」をコーン巻きのまま買って何本かを引き揃えて自分の気に入った毛糸を作る「引き揃え糸」が大人気で、安い上に(着分でも1000円台でまかなえる)好みの色や変わり糸ができるので楽しい。そのため工場の余りのコーン巻Photo_7 糸が毛糸産業地域(岐阜、新潟)から大量に出品されている。(左:コーン巻糸。何本か引き揃えて編む。写真は糸巻き器で数本引き揃えて作った毛糸)                                  

ところで私はというと、この冬はベスト3枚、チュニック1枚、ソックス2足仕上げました。他人に貰ってもらうほどの出来ではないが、実家や旧来の田舎の友人などに勝手に送りつけている次第である。(写真下は、この2日でひまを見て編んだソックス。) Dscn2868 下の写真は現在入札中の毛糸。野呂さんの「ぼんぼり」で定価は1玉800円くらい。出品者Photo_9 はなぜかアソート(色まぜまぜ)で買って何を作ろうとしたのか?途中で放棄して「まとめて10円」で出品。現在4人入札で500円に上がっている。ほどいた玉も混じっているので私は600円を越えたら降りるつもり。幸運にも手に入ったら暖かい「レッグウォーマー」を編む予定。                        

付記:いよいよ今夜「アジアカップ:決勝トーナメント第1戦vsカタール。メツ監督は「日本はアジアのバルサだ」と最大の賛辞。(本気でいってるの?)レフリーは2004の例のヨルダン戦で(ピッチのぬかるみで)「エンド替え」をしてくれたマレーシアのスブヒリン。何か運命を感じる。(?)

久々に痛快なゴールを見たけれど・・「中東の雄」S・アラビアはどこへ行ったのか

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2004年のアジアカップで優勝をかけて戦った強豪サウジの面影はどこにも見られなかった。プレスの強さもチームの連携もなく、「失うものが何もないチームは危険だ」という日本側 の警戒心もゲームの進行とともに薄れていった。対するザック・ジャパンは態勢を絶えずコンパクトに保ち、ワンタッチでの速いボール回しで中盤を支配、試合開始から何度か好機を作 り、前半8分、遠藤からのワンタッチの縦パスを受けた岡崎が裏に抜けて相手GKをかわし落ち着いてゴール。                                           

さらに13分には再び香川の左サイドからのクロスをファーに走りこんでヘッディングシュート、まさに岡崎の持ち味が発揮された2ゴールだった。これで選手も見ている者にも余裕が生まれた後、さらに19分に左サイドから長友がダイレクトで上げたクロスをニアで受けた前田がそのままゴールに流し込み3点目。この試合の勝負ついたという感じでハーフタイムを迎えたことだった。               

後半、サウジは最後の意気をみせるかと思いきや、次第にハードワークもモチベーションも下がる一方で、後半6分、伊野波(内田out)が左サイドを駆け上がり、クロスを上げるとニアに走りこんだ前田がゴール、2点目。35分にはPKエリア内で前田が出したパスを受けた岡崎がワンタッチで振り向きざまにシュート、これで岡崎はハットトリックを達成した。いやいや全て流れからのゴールで、全てFWの挙げたゴール。近年このような快挙は見たことがない。(この大会で”動きがもうひとつ”の香川も次第に復調、後はゴールを待つのみ。それと柏木(写真下の右端)、本田に代わって2列目中央で、よく動けていた。U時代から見ているが彼も技術も勿論だが気の強い選手だ。)

試合後ザック監督は「選手は1戦ごとに成長している。先制点をとっても攻撃の手を緩めず、 集中も切らさなかった。」と選手たちを称えた。川島の替わりに出たGK西川も持ち前の強心臓でゴールを守り無失点を達成、今後も頼りになる第2GKであることだろう。それと控えの選手たち(岩政、伊野波、本田拓)も交替出場で経験を積むことができたのは今後に大きい。

さていよいよ決勝トーナメント第一戦の対戦相手は主催国カタール。緒戦を落とした後次第に力をつけ始めているチームだ。何名かの「国籍取得」選手を有し、指揮官は名将ブルーノ・メツ(フランス人)。日韓W杯ではセネガルをベスト8に導いた実績もあり、日本でも何度も代表監督候補に名の上がった人だ。相手に不足なし、絶対勝って準決勝に駒を進めてほしい。      

付記:シリア戦で活躍した松井、怪我治療のため代表を離脱して帰国する由。残念だが、十分休養治療して元気でグルノーブルに戻って下さい。

心まで寒くなるような冬の日々・・・ブログを書く気力も衰えて

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昨日、久しぶりにクルマで隣市の病院まで出かけたが、土曜日だというのにクルマの多いこと。それも仕事のために乗っている人々のクルマが多い。冬枯れの薄ら寒く暗い街は過労の労働者と、ウォーキングで少しでも健康を保とうとする以外にすることのない年寄りだらけだ。そして私みたいな病院通いの者たち。なにかプラス・ベクトルのものは無いのかいと思いつつ帰宅したことだった。                                            

8月初旬に立ち上げたブログ、日記のように几帳面に毎日更新を続けてきたがここにきてようやく息切れが出始め、隔日に、と方針転換したのが時には2日も空いてしまう。つくづく、ちょっとした文章でも書くのは大変だと思い知る。一番の原因は「書きたいことがなくなる←心が落ち込んで」ということなのだが、これは精神衛生上良くない。・・ということでとりとめもなく日々の雑感を記してみた。                                       

この所、やはり一番の関心事は「サッカー・アジアカップ」。グループリーグの第2戦は真夜中(午前1時15分キックオフ)、風邪気味だったし、もし負けるということになると気分的に眠れないし・・と迷った結果やはり見てしまった。(内容はブログに書いたけれど)あの後、「誤審」をめぐってさまざまあり、JFAの「次戦・川島出場」の要求も退けられるわ、本田と松井が痛んで出られないかも・・といろいろな不安要素を抱えての最終戦・vsSアラビア戦を迎える。 

Sアラビアはドイツ・ワールドカップにも出場した「中東の雄」、今回の不調はいったいどうしたPhoto_6 ことか、しかもカップ戦途中で監督交替とは。「勝ち点0ですでに敗退が決定しており、失うモノは何もないだけに危険なチーム」とザックが分析するとおり、簡単には勝たせてくれないだろう。ましてや失礼な見方をすれば「憂さ晴らしのラフプレー」で怪我をさせられる可能性だってある。日本はドローか勝ちでトーナメント進出が決まるという条件的には有利な立場にあるが、それはそれで又心配事も増えるというのがファン心理である。                  

Photo_2 ところで出場禁止の川島に替わってGKを勤める西川周作についてだが、私はかねがね彼を高く評価してきた。国際Uでのいくつかの大会での経験、北京オリンピック、そして2006年ドイツW杯での選出(結局出番はなかったものの)、つい先の国際親善試合・対アルゼンチン戦での途中からの出場(川島負傷)などそれなりに経験は豊富な上、性格が明るく開けっぴろげ、先輩たちにも遠慮せずどんどんコーチングの声を出す。    

彼の持ち味は”正確なフィードボール””危機に面したときの強い精神力”。シリア戦でもいきなりの出場でPKこそ止められなかったものの、その後は安定したプレーを見せていた。所属する大分トリニータが2部落ちし、来期はサンフレッチェ広島に移籍が決まったが、これは彼の意思というよりも”年俸の高い選手を抱えられない”球団の事情によるところが大きく、九州っ子の西川は「いつか必ず九州に復帰したい」といっているとのことだ。サウジ戦での活躍を期待します。          

強豪オーストラリアと韓国のバトルは1:1のドローに終わった。見た人々によると「非常に質の高い試合」だった由。とくに韓国が次々と有望な若手選手を輩出しており、ますます強くなるのではないかとの予想だ。(写真下の左:今大会で3ゴール上げたグ・ジャチョル、まだまだ若い22才のKリーグ:チェジュ所属の選手)       

パクチソンが仮に今後代Photo_4 表引退をしても、まだまだ日本が簡単に勝てる相手ではなさそうだ。(韓国のチームを見ていると、いつも選手たちのやる気の強さに圧倒される。たしかにフィジカルも強いが決して引かず、絶えず前に向かい縦パスを出そうとするリスクチャレンジの姿勢に感心する。日本の選手は優等生でお利口さんでテクも高いが、そこいらの違いで負けてしまうように思われるのだ。幸運にも勝ち上がって準々決勝以上で対戦することを楽しみにしています。          

近頃、韓ドラが面白くなくなってきて、観るものがなくて困る。「あまりにもマンネリの筋書き。お決まりの約束事。頑強に結婚に反対する年寄り、想い想われの交錯、病気etc。」今見ている「黄色いハンカチ」(全156話)も毎日の連ドラなのだろうが初めこそ面白かったが、だんだん中だるみ、同じことの繰り返しでうんざりし始めている。(とくに下の頑強な結婚反対ハルモニが出るとストレスが溜まる。)Photo_7 この「黄色いハンカチ」ハングルで「ノランソン・スゴン」直訳なのですがどういう意味があるのか分からないのです。

いい映画を観たいのだが、さすがに映画は内容の密度が高くて、こちらもそれなりの気力が要る。・・・ということで冬枯れの庭に球根を植えたり、山ほど増えたクリスマスローズの手入れをしたり・・これも寒くて長続きはしないのだが・・所在のない日々を過ごしている。(写真下:初春にきれいに咲くクリスマスローズ:昨年3月のもの)Photo_3

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「終わりよければすべて良し」とはいうけれど・・・後味の悪かった真夜中の狂演

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日本は前回のヨルダン戦と全く同じメンバー、布陣も同じ。対するシリアはSアラビアを倒して上昇気流にノリノリ、立ち上がりから激しいプレス、パスを巧みに回しながら日本陣営に押し込んでくる。しかし日本も決して慌てず、次第にボールキープを増やしながら相手のゴール前まで入り込み、左右のポジションチェンジなどで敵を翻弄しながらゴールを狙う。シリアのサッカーはヨルダンのような決して「アジア型ドン引き・カウンター狙い」ではなくむしろ攻撃的なパスサッカーである上に、接触したら怪我をさせられかねないようなラフプレーが多く、ファウルを取るのにもしたたかな試合巧者だ。                                                                     

しかし、わがチームもヨルダン戦に比べれば、はるかにアグレッシブで、ザックの要求する球Photo_2 回しも速く、ワンタッチ、ツータッチでパスを回し、縦へのパスも通す。ということで前半、一瞬の隙でどちらにゴールが決まってもおかしくない展開。そしてついに前半35分、本田が右サイドをドリブルでえぐり、上げたクロスを香川が受けてシュート、GKがはじいたボールを松井が落とし、これを中央左寄りに詰めていた長谷部が冷静にコースを狙ってシュート!。いやいや快心の一撃だった。                                        

これでわがチームは少しラクになり、いっそう落ち着いてボールを支配、この好機にもう1点という欲張りな希望は通らず前半が終了した。しかしこの時、あのようなヘンテコな展開が待っていたとは誰が考えたであろう。ともかく優勢をキープしてせめてもう1点加点して終わればいうことなしと思いつつ始まった後半はシリアが立ち上がりから猛攻をしかけてきた。                            

Photo_3 守備にまわりながらもゲーム支配権を取り戻すべく懸命に対応する日本にとんでもない災難?が降りかかってきたのだ。後半27分、川島がオフサイドとなるペナルティエリアにいたシリア選手を倒して一発レッドで退場、というとんでもない事態が発生したのだ。川島がボールをつかみ、相手選手が追いかけてきて両者転倒とみえたが、すでにその前にオフサイドフラッグが上がっており、ノーゲームだと判断するのが大方の見方だと思った。                          

ところがフラッグを上げた線審も中央に駆け寄り主審と言葉を交わすも主審の判定は「今野?のバックパス」ということで川島は退場、替わって西川が入り(前田out)、日本は10人で試合をすることになった。              

ところがその8分後、今度は岡崎がPA内でファウルをもらい、これを本田が蹴って再びスコアは2:1となる。    

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「中東の笛」とはいわないが、レフリーのレベルが低すぎる。岡崎のもらったPKは先のシリアのPKのジャッジミスへの「プレゼント・・お返し」としか見えなかった。・・・ということでわけの分からないジャッジによるゲーム展開を見せられてもサッカーを見たことにはならずストレスがたまるばかりの試合だった。                                              

Photo_6 ちなみに試合後、今野は「あれは完全なオフサイド。俺は触ってもいない。」 岡崎「俺のもらったファウルはPKにはならない。」 長谷部「どちらもPKにはならなかった。」 いやはやこんな信頼の置けない審判ではゲームが成り立たないですね。                

JFAの原委員長は「審判員は日本のバックパスでオフサイドは関係ないと説明しているが、明らかな誤審。ビデオでも確認した。」としてAFC(アジア連盟)に文書で抗議し、GK川島の次戦出場停止処分の取り消しを求めることを明らかにした。いやはや、たいへんなドタバタ騒ぎだった。贅沢を言えばこの事件は最後のPhoto_8 シリアの猛攻をしのぐ中で起こったこと、それまでに(前半とくに)日本がせめてもう1点でも入れて置くだけの力が不足していた。(チャンスはいっぱいあったのに決めきれず)とくに2度も惜しいシュートを外したFW前田の奮起を期待する。                      

最後に今日のゲームのマン・オブ・ザ・マッチは本田、広範囲にわたる多様な仕事ぶりとPKを決めた(ちょっと危なかったけど)ことから当然の栄誉。しかし 改めて今日のゲームで評価しなおしたのは松井のしたたかな上手さと、長谷部の堂々たるキャプテンシー。そして吉田麻也が案外熱くなる性格だということ。残るSアラビア戦での快勝を期待します。Photo_9

イヤな予感が的中したヨルダン戦・・・アジアカップ:グループリーグ第1戦

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試合前、メディアやネットでは2:0、3:0位で楽勝・・みたいなムードが広がっていたが、私は決してそんな楽観論に同感ではなかった。なにしろ、2004:中国大会でのあのすざまじいといっていいヨルダンとのバトルがトラウマになっていたから。あの夜、灼熱の重慶でトーナメント第1戦(準々決勝)を戦った試合は、延長戦でも決着がつかず、最終的にはPK戦に持ち込 まれた。しかも1番手、2番手の俊輔とサントスが外すという崖っぷちに立たされ、勝利はヨルダンに傾いたものと誰もが思った。その時、主将宮本(G大阪・当時)のレフリーへの「エンド変え」という前代未聞の要求が通り(ジーコ監督ですら「長いサッカー人生で初めての経験だ」といった)、その後風向きが変わったかのように、川口が渾身のプレイでふたつ止め、まさに「守護神」の化身となった川口の「どこへも蹴らせないぞ。ファーでもニアでも止めてやる」とばかりの迫力に負けた向こうの選手ふたりがゴールを外し、サドンデスで日本代表はヨルダンに勝利したのだ。                                        

あのときのヨルダンは決して弱いチームではなかった。試合巧者のしたたかなチームだったと記憶している。そしてさらに驚いたことにあの時のメンバーが4人も今回の試合のスタメンに残っており、とりわけあの大会で”ベスト・イレブン”に選ばれたGKのシャPhoto_3 フィがその一人であるということは、彼らの”並々ならぬリベンジ”がチーム全体を熱くしていたろうことは十分に想像できる。(写真右:彼ももうかなりの年だろう。)                                    

ところでヨルダンという国はわれわれにとってはサッカーの国際試合ぐらいでしか関心を持たない国だが正式名は「ヨルダン・ハシミテ王国」、スンニ派のイスラム国家(キリスト教徒も若干いる)で、日本の国土の25%ぐらいの国土の8割は砂漠地帯。人口は580万でその半分はパレスチナ難民とその子孫である。                            

あのイラク戦争の際には国際的なメディアの取材拠点となった国だ。しかもアンマン空港で毎日新聞の記者が「記念品」に持ち帰ろうとした不発弾が爆発し1人の死者を含む数人の負傷者を出したというわが国にとって不名誉な事件まで起こったことも記憶に新しい。                     

さて、試合はというと、ヨルダンはやはりアジア型サッカー、ドン引きでカウンター狙いという戦い方。このような相手に対して日本は圧倒的にボールをキープし、ゴールを狙うのだが、ことごとくゴールマウスを固める赤い集団にはね返され、「こんなこと、想定内じゃなかったんかい?もうちょっと崩しのバリエーションを持たないと」というイライラ展開。ましてや相手の「やる気マンマン」さ、ボールを奪ってからの攻撃への切り替えの速さ、接触すると必ず何気にセコイちょっかいを出す小ずるさ。                                    

日本は前への縦パスが殆ど通らず、ストレスのたまる横パスを多発、何回かあったシュートチャンスもFKも精度悪く、結果を出せない。準備期間の殆どなかったわがチームの連携も悪い。「ヨルダンよ、こんなドン引きカウンター狙いの時代遅れのサッカーするなよ。」というわが日本も先の南アW杯でまさにヨルダンと同じ方法で戦ったからえらそうなことは言えない。

そして前半45分、左サイドを崩されパスを受けたアブデルファタハが遠藤のスライディングを巧みにかわしてシュート!。これを止めに入った吉田麻也の左足先に触れたボールが弾道を変えてゴールマウスに吸い込まれた。これはヨルダンのシュートと認定されたが明らかにオウンゴールだった。「守護神」川島もなすすべのない弾道変化だった。                                                    

「ああ、これで守られて終わりか」と半ばがっかりしながら始まった後半、香川が2列目中央に入り、ようやくいい形が見え始めたが時間はどんどん過ぎる。選手も焦って折角のシュートも外しまくり。「グループリーグ敗退か」と絶望的になったロスタイム2分でようやく長谷部のクロスを左で受けた吉田のヘディングシュートがゴールを突き刺し、勝ち点1を互いに分け合うという結果に終わった。                                         

日本代表23名中、初招集13名という世代交代に加えてDF陣の相次ぐ負傷(トゥーリオ、中澤、槙野、駒野)など、今回のアジアカップは「優勝は先ずムリ」と考えていたが、やはりせめてベスト4には入ってほしい。新しいメンバーで韓国やオーストラリアとやるのを見たいのだ。次のシリア戦(Sアラビアに勝ってさぞや意気があがっていることだろう。)は是非勝ち点3を取りたい。                                                

付記:① 幻のゴール?・・前半25分、CKからのこぼれ球を長谷部がシュート、相手GKがはじいたところを吉田が押し込んで「先制ゴール」を決めた。副審はオフサイド・フラッグを上げノーゴールになったのだが、長谷部がシュートした瞬間には相手DFがいたので吉田自身はオフサイドの位置にはいなかった。オフサイドの位置には前田と松井がいたから副審はそれを見てフラッグを上げたのか、吉田がシュートした位置を見て上げたのか。ゴールを認められてもおかしくないプレーだった。(後藤健生氏ブログ)・・ということで動画を探しまくりましたが見当たらなかった。ま、そんなことは良くあることだけど・・悔しいネ。             

② 2列目が機能しなかった。とくに本田と香川の共存など、課題はいろいろ言われているが、私は「先頭きって闘争心をチームに吹き込むリーダー(カリスマ)の不在も大きいと思った。現実にはそれはトゥーリオだけれど。

不朽の名作「シェーン」と「天国の門」・・・開拓農民と大牧場主の戦い

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「シェーン」(1953・監督ジョージ・スティーブンス)はアメリカ西部劇の不朽の名作として未だにこれを越える作品はない。私は最初TVで見てその後数回レンタルVHSで見、昨年、ネットで超安で購入した。美しいワイオミングの自然、遠くに連なる雪を被ったロッキー山脈など、この映画ほど実際のスクリーンで見ないと価値の落ちる映画はないと思うのだが、学生時代せっせと名画座に通って多くの古典的名作を見たにも関わらず「シェーン」を見る機会がなかったことは返す返す残念なことだ。                                  

ものがたりの舞台は「ワイオミング州・1890年」と冒頭のテロップに出る。ロッキー東麓に広Photo_10  がる広大な平野(グレート・プレーンズ、プレイリー)の一部に位置するこの州は「ブロークバック・マウンテン」「許されざる者」などの舞台にもなっており、現在でも州のニックネームは”Cow Boy States ”。日本の国土の70%ほどの面積の土地に人口は約51万、旅行した知人によるとと一日中クルマを走らせて対向車、見かけた人ゼロという日があった由)  

オープニングシーン・・広大な草原の湿地で水を飲む一頭のシカ、何かの気配を感じて首を上げ遠くを見ると、画面中央に小さな点がポツリと現れ、近づくにつれそれは馬に乗った旅人・シェーン。流れ始める透明な音楽はヴィクター・ヤングの「遥かなる山の呼び声」と名づけられ、この叙情的な旋律は映画史に名を残すOSTのひとつとなっている。何度見ても素晴らしいオープニングシーンだ。Photo_3                                       

開拓小屋に住む両親と幼い少年ジョーイ、映画は終始ジョーイの視点で語られる。1890年、それは合衆国政府が「フロンティアの消滅宣言」をした年だ。(つまりそれは政府にとって「インディアンの掃討の完了」ということでもあった。)ホームステッド法(14ドルの登録料を払い7Photo_5 年間住むと無償でその土地を払い下げられる)による土地の入手を求める移民たちはこの時期すでにロッキー山麓にまで西進していた。ジョーイの両親もそのような農民であり、村人同士身を寄せ合いながら生きている。しかし潤沢な資金を持つライカー一族は肉牛飼育のの牧場を作るために広大な土地を確保すべく農民たちを開拓地から追い出してしまおうと画策(7年経たないうちに)、ヤクザ(流れ者のガンマン)を大勢雇って脅かし、嫌がらせの絶えない日々、ある日町にでた農民のひとりがヤクザに殺されるという事件が起こる。・


Photo_6 多くの人が既に知っているストーリーなので詳しくは述べないが、来合わせたシェーンが単身で彼らと撃ち合い、ラストは再び村を去って行くという話。まさに「正統派ヒーロー」の典型だ。ここで取り上げたいのはこの物語が歴史事実に基づいて作られているということ。(厳密にではないが少なくともかなりの事実を踏まえている)それを描いた映画が「天国の門」(1980・監督マイケル・チミノ)だ。                                   Photo_7 この映画は当初5時間半の超大作であったが、結局は148分に縮められて上映されたが、批評家、観客の不評を買った大失敗作になり、巨額を投じたユナイテッド・アーティスツ社を倒産させたという曰く因縁つきの映画だ。日本でも単館上映が早々に打ち切られたにも関わらず、この映画を評価する人々も多く、VHS・リリースもなされた。かねがね見たいと思っていた私は幸運にもレンタルショップの片隅にあったものを借りることが出来たのはもう十数年も前のことである。(3時間40分・上下2本版)                           

「天国の門」は1892年にアメリカのワイオミングで起こった”アメリカ開拓史の汚点”ともされている”ジョンソン郡戦争”をテーマにした映画である。当時ワイオミング州は「ワイオミング牧畜業者組合」という大牧場主の組織に事実上支配されており(州議会の多数、連邦議員、州知事2名すべて組合員)、かれらはワイオミングの全ての土地を占有する為にこの地に定住していた開拓農民たちを、ガンマンの傭兵隊によって追い出そうと計画した。入植者たちも郡全体で団結して武装、あわや大惨事になるところを中央政府の派兵によって未然に阻止、入植者2名の死で終結した。                                   

映画はハーバード大同期のジェームズ(保安官)とビル(牧場主)の再会とを軸に、ハーバードの卒業式風景から延々と物語りが展開し、クライマックスのジョンソン郡戦争のシーンが事実に反するということで映画批判者のひんしゅくを買った。しかし、郡の農民たちの会合の「かくあったろう」というような息詰まる場面など、私は大いに興味深く、西部開拓の実際を学ぶようで「見て損した」映画ではなかった。(実際ネットでぐぐるとファンも少なくない。) ただしネットで探しても映画のシーン、映像は全くといって見当たらなかった。         
Photo_8 (写真上:クライマックスの戦闘シーン。しかしこれは実際は起こっていない。)

シェーンがジョンソン戦争にどう関わったのか、についても巷の議論がさかんで「シェーンはジョンソン郡で農民を殺してきたからあれほどニヒルなのだ」は問題外(歴史順で見て)として映画「シェーン」はジョンソン郡戦争を深く意識して作られたということは間違いないだろう。またワイオミング以外でも、資本の潤沢な人々が貧農の開拓農民を追っ払った例は多く存在したと考えられる。ローラの一家もあちこち移住しながら最後まで肥沃な農地にありつけず、生涯豊かではなかった。

「シェーン」のラストシーン、殺し屋を掃討したシェーンがジョーイに見送られて去っていくシーンの後、あちこちに墓標の立つ丘(墓場)を通り抜けていく数秒のシーンが入る。(このときシェーンは馬上でうつむき、左手をだらんと下げた少し異様な格好)この場面については未だにコアなファンたちが「あのとき既にシェーンは死んでいたんだ(酒場で撃たれて傷を負っており)」云々で未だに議論が続いている。たしかにあのシーンの挿入自体が異様で、そこに「死の影」が見られるが、シェーンに死んで欲しくないので「生存説」に組する私です。何かまとまらない文章になってしまった。Photo_9

アメリカ片田舎の農婦の自分史・・・「大草原の小さな家」

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私の最も愛する児童文学は「大草原の小さな家」シリーズ。これは以前TVでも放送されたことがあり、殆どの人が題名だけでも知っているだろう。作者はローラ・インガルス・ワイルダー、「大きな森の小さな家」「大草原の小さな家」「プラム・クリークのほとりで」「シルバー・レイクの岸辺で」「農場の少年」(以上は恩地美保子・他訳:福音館出版)、「長い冬」「大草原の小さな町」「この楽しき日々」「わが家への道」「はじめの四年間」(以上は岩波少年少女文庫:谷口由美子・他 訳)の9冊。福音館の本はきれいな絵表紙のハードカバーで専用BOX入り、岩波少年少女文庫は新書版をひとまわり大きくしたくらいの簡便なもので私が入手したときにはモノクロの表紙だったが現在ではきれいなカラーのカバーがかかっているようだ。
数年前、沢山の本を捨てたとき、これらの本は捨てがたく現在でも残している。これらの本が気に入っているもひとつの理由は挿絵がアメリカで出版された当時のまま、とても素敵な絵です。(挿絵画家のガース・ウイリアム氏は挿絵を担当するにあたってローラの移動した全ての土地を回られたそうです。)
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ローラ(1867~1957)の家族は両親と姉のメアリー、妹キャリー、グレイスの4人姉妹、ものがたりはローラが生まれたウィスコンシン州の大きな森の丸太小屋の幼少期にはじまり、その後サウスダコタ州を経てミズーリー州に移り住む。小さな幌馬車に全財産を積み、愛犬や馬をつれた厳しい移動生活でも幼いローラは両親への絶対的な信頼と新しい土地への期待に胸ふくらましながら過ごす。                                      
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両親はイギリス系の移民であり、おそらく当時としては社会の最底辺に位置する人々であっ たろうが、アメリカ政府の自営農地法(ホームステッド法:農地の無償払い下げを規定した法律)により、少しでも条件のいい土地を求めて放浪したものと思われる。(イギリス系移民の多くは定着して家族農業をすることを望んでいた。)ブログ主は大人になってからこの本と巡Photo_4 り合い、殆ど夢中になって9冊全部を読破したのだが、大きな森の丸太小屋で近くに住む叔父叔母や従兄弟たちとした別れのパーティの賑やかさ、雪に埋もれた小屋の前に「雪型」を作って自前のメイプルシロップを作る楽しさ、長旅に備えて家畜を屠殺し食料の準備をする場面などは今でもはっきり覚えている。       

このローラのシリーズでは「石けん、バター、チーズ、パンを膨らませるイーストetc」など何でも自給してしまうシーンが沢山出てきてそれを読むのが楽しみでもあった。(ちなみにローラの小説に出てくる食べ物の作り方の本が出ている。)(写真上:ウィスコンシンに保存されているローラの家のレプリカ)

しかし、親戚と別れて出発した旅は思いのほか厳しく、氷結した湖を渡ったり、果てしなく続く荒野を横切ったり・・そして落ち着いたミネソタ州のプラム・クリークでローラは初めて学校に通うことになる。しかし、開拓地に猛威を振るったしょう紅熱のため姉のメアリーは失明してしまいローラは姉の分も母を助けなくてはならない。(プラムクリークの家は土手の横穴に作った家。もちろん窓ガラスなどという上等なモノはずっと後になってからしかローラの家には使われません。)                        
Photo_6 父はこの肥沃な土地に定着することを望み(一定期間の定住が払い下げの条件になる)荒野を開拓し、とうもろこしや豆を飢えるが、イナゴの大群や何千という鳥の集団に襲われ農地は全滅する。(イナゴの来襲ってものすごいんですね。空が真っ暗になり何日も畑、家、家畜、人間にまでイナゴが取り付くんです。そしてすべてを食い尽くしたある日、いっせいに消えている。次の土地に移動して)                                     

このような困難のなかでもローラは優しい母さんと頼もしい父さんがいる限り不安を持たない。毎晩、貧しい食事の後みんなで父さんの下手なバイオリンを聞いて「終わりよければすべて良し」という口癖を聞いて安心して眠りに就くのだ。そして読んでいても読者でさえ「もう駄目だ」と思うほどの困難を何とか乗り越えながら、ローラの生活には楽しいこともある。学校に通う草原のくぼみに咲き乱れるスミレの群落、町(といっても学校、教会、雑貨屋、ホテル、居酒屋程度)でのお祭りにバケツにいっぱい作られたレモネードを好きなだけ飲んだり・・。それから子どもたちの「つづり字・・スペルの覚え合い・・コンテストに町中が参加するなど。その町も最初の頃は10キロ以上離れた場所にあったりする。雪嵐が来ると家畜小屋から母屋に帰る途中で遭難しかねない。                                

この間も「払い下げ農地」の情報を得て(取得できる可能性を求めて)一家はサウスダコタに移住する。そしてこの地に農地を得るために皆が引き上げた後の厳冬の開拓地にただ一軒だけ残る。(春一番の受付順を取る為)Photo_7 厳冬の雪の世界で冬を過ごすローラ。幸い鉄道会社の技師の家を預かるということでこの家で越冬する。(食料小屋の豊富な食料つきで)・・父さんは苦しい家計の足しに肉牛の群れを東部に運ぶカーボーイの一行に臨時に雇われたり、近くで行われている大陸横断鉄道敷設工事の事務所の会計係に雇われたりしており、鉄道会社に信頼されていたのだ。                                                   Photo_8

一家はこのサウス・ダコタで初めて土地を得て定住する。ローラはここで小学校の臨時教師になり、10才年上のアルマンゾと結婚する。しかしこの結婚生活も、農夫アルマンゾの過酷な労働、ジフテリアに罹患して後遺症を残したこと、ふたりの子どものうち長男を生まれてすぐ亡くすこと、家を火事で失い、追い討ちをかけるように旱魃で多額の負債をおうなど苦難の連続であった。                                         

このものがたり、ローラが成長するにつれて暗い話が多くなり(「両親さえいれば安心」という幼少期ではないのだから当たり前のことだが)、後半を出版した岩波少年少女文庫の方は主としてローラが結婚した後の現実のきびしさを描いたものになっている。                                          

ものがたりの説明が長くなりすぎたのでここいらで置くとして、ローラ一家の家族史が世に出たのは、一人娘ローズがジャーナリストになり老いた母の歴史を彼女に書かせたため。  

しかしあくまで事実をあるがままに書こうとするローラと、児童文学として多少の粉飾を交えようとする娘との間にいさかいが絶えなかったそうです。(ふたりの合作ということ?)     

しかし、そうだとしてもこれほどアメリカの開拓史を如実に生き生きと伝える本は他になPhoto_11 い。そして開拓農民たちが互いに協力し合って学校を建て、先生を雇い、教会を建て、町を作り暮らしに必要なことを話し合って決める姿はまさにアメリカの民主主義のルーツが中西部の開拓自営農民から生まれたということを実感させられる。(ジェファソニアン・デモクラシー) 

ただローラ一家の開拓の歴史は一方ではネイティブアメリカンの迫害の歴史(土地を奪われ、狩猟を生業とする生活を奪われる)でもあることについては「ローラ・インガルス・ワイルダーの生涯:上下」(出版社失念)に詳しく補足されている。                   

追記:① 通販はアメリカで生まれたんですね。周囲何十キロも隣家のない孤立した家にもPhoto_9 手紙やカタログが運ばれてきたんです。これは以前NHK・TVでやっていたドラマ「ヤングライダーズ」(大草原の郵便局員?)の活躍を思い出させます。(写真右)                   

② TVドラマの「大草原の小さな家」は原作のローラ一家を借りただけで、ものがたりや内容は原作とは全く違うものとして作られています。しかし全米でヒットしたのはローラ一家のような「アメリカ人の理想とする家族」が現在では既に失われてしまっているからだといわれました。           

③ アメリカでは今でも子どもの「つづり字のコンテスト」が州大会、全米大会などで盛んに行われているのはローラの時代がルーツなのでしょうか。「綴り字のシーズン」という映画を最近観ました。(写真下:パークミュージアムに残されたローラ晩年の家)Photo_10

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子どもの育つ環境の厳しさ・・・「丘の家、夢の家族」

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昨夜、同じテーマで書いたブログが更新ミスで消えてしまい、腹が立ってブログを立ち上げて以来の初めての空白の日になった。毎日更新というのは、つまらない内容のものでもかなりきびしく、今年は書きたい日に書くという方針で行くことにした。しかし、ともかく消えてしまったまま放置するのも気持ちが悪いので、簡単に再現してこの件のケリをつけたい。       

niftyサービスの無料ブログ「ココログ」は不都合なことが多すぎ、例えば下書きを保存するとそのままブログとして公開されてしまう。これは致命的欠陥。まだまだ未完成のものを問題を含んだまま公開せざるを得ないのはどう考えてもシステムとしておかしい。昨夜はそれでつい全部消えてしまったのだ。                                       

久しぶりに読んだ児童文学「丘の家、夢の家族」(キット・ピアソン著:徳間書店)1996年、出版された年に「カナダ図書館協議会児童文学最優秀賞」を得た作品で2000年に日本でも出版され、各方面で高い評価を得、毎日新聞の書評欄でも紹介されたので読んでみたのだ。

ものがたりはカナダのバンクーバーに住む25才のシングルマザー(16才で出産)リーを母Photo_2 親に持つ9才の娘シーオが主人公。家庭は荒廃しており、シーオは汚れた衣服をまとい、頭にシラミをわかせて学校では友達にうとまれ、ひとりぼっちの孤独な少女。しかし本を読んで空想にひたることが唯一彼女の逃避場所。母の都合で何度も転向してもどの学校の図書館も彼女の宝庫。母のいない夜はひたすら本の世界に浸りこんで過ごす。               

母には定職がなく、時には生活保護を受けたり親子で路上で物乞いをして飢えをしのぐこともある。「バンクーバーの繁華街を歩いていると、道端に立って通行人に小銭をせがんだり、ボール紙に『失業中です』とか『こどもにミルクを買うお金がありません。』と書いた札を下げ、うつむいて座り込んでいる人をしばしば目にします。・・時折り、子どもの姿を見かけることもあります。家族と思われる大人といっしょなのですが、それにしてもこういう子どもたちにどんな将来があるのだろうかと考えると、胸が痛みます。」訳者の本多英明氏は”あとがき”でこのように書いている。                                          

Photo_3 シーオの母は若い恋人と暮らすためにシーオをビクトリアに住む一人暮らしの姉シャロンの元に預けるべく、フェリーでビクトリアに向かうが、その船中でシーオに奇跡が起こる。乗り合わせていた4人のこどもと優しそうな両親から成る家族(シーオが夢見ていた理想の家族)を眺めているうちに、いつのまにかビクトリアのその家族の家で暮らしており、学校に通い、優しい両親や仲のいい兄弟姉妹と交わり、だれも何の不思議も抱かないのだ。・・・しかしそれはやはり現実ではなくシーオは再び母と乗るフェリーに戻ってくる。(写真上:バンクーバー~ビクトリア間を往復するフェリー、写真左:シーオが育ったバンクーバー。シーオは辛い経験しかないこの街を「灰色の街」と呼ぶが、実際は海と山のある素晴らしくきれいな都市だそうです。)               

叔母のシャロンに預けられたシーオ(叔母は公務員で小さなアパートに住みシーオを可愛がPhoto_4 る誠実な女性)はどうしても夢の家族が忘れられず、叔母に頼んで”見たような景色”のある町をまわり、とうとうあの丘の家の夢の家族を探し出すのだ。しかし、実際の家族は両親の時たまのいがみ合い、兄弟姉妹の絶えない喧嘩などごく普通のどこにでもある家族だった。(写真左:ビクトリア。母のりーは「生ける屍の街」といって嫌ったが、これは温暖な気候であるためリタイアしたお年寄りが多く住む為とか。しかしここも町全体が公園の様に美しく、活気のある都市ということだ。)                                                 

叔母のシャロンも加わる家族との交流が始まり、男に捨てられた母が転がり込み・・道路の向かいの公園墓地からセシリーという小説家のお化けが夜になると時々現れ、シーオに話に来て(シーオだけにしか見えない)・・ シーオはそんな中で彼らに助けられながら生きる力を身につけて行く。                                           

近頃の児童文学が描く「現代社会の子どもの置かれている厳しい環境」を改めて思い知Photo_6 っ た。そういう社会状況を無視して”幸せなこどもの幸せな生活だけを書くこと”がウソになってしまうということなのだろう。思うに世界で「両親の揃った暖かい家族」を持つこどもは子ども人口のマイノリティになってしまっていて、恵まれた彼らすら「受験地獄、競争社会」に幼いときから生きなければならないということなのだろうか。                                    

いつか「徹子の部屋」で徹子さんが「子どもが育つ過程でたったひとりでも(いい大人、立派な大人、子どもに何らかの影響を及ぼす大人)に巡り合えたとき、こどもはまっとうに育つことが出来る、自分の人生を見つけることができるんですね。」といっていたことを思い出す。シーオは「夢の家族のパパママや兄弟姉妹」と出会い、叔母シャロンと出会い、逆境から抜け出して自立できる力をつけ始めた。しかし夢の家族との出会いにはセシリーという幽霊のマジックが必要だった。現実にはそんなマジックは存在しない。厳しい環境の中で将来の見えない子どもたちが夢を持ってそれを現実のものにするために、彼らが多くのいい大人(政治も含む)に出会えることを願わずにおれない。最後に「こどもがきびしい現実から逃避するのに夢想は当然。」と作者は記しているが、同じカナダの小説「赤毛のアン」も夢想癖の少女だった。もちろんアンはシーオに比べるととても恵まれて成長するが。

やっぱり「キム・サムスン」は面白い・・・韓国ドラマのア・ラ・サーたち

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ここの所、ぼちぼち見ている韓ドラがなぜか続けさまにア・ラ・サーが主人公のもの。昨日ようやく「きつねちゃん、何しているの」(全18話)を見終えた。「私の名前はキム・サムスン」が面白かったので、同じ脚本家のものということで幾分期待して見たのだが、最後まではまり込めなかった。「砂時計」のヒロインを演じたコ・ヒョンジョンの8年ぶりの復帰作(私生活では離婚して)でもあり、相手役が「グッバイソロ」で気に入っていたチョン・ジョンミョンであるということも期待度を高めたのだが、結局はじまりはまずまずだったのが回を重ねるごとに内容が低迷していき、最後まで見たのはレンタル料がもったいなかったから。           

ストーリーは33才の零細なポルノ雑誌の記者ビョンヒと9才年下のプータロー(ふらりと海外を放浪したりするが普段は自動車整備工をしている)チョルスのラブストーリー。チョルスの姉(レンタルビデオショップ経営)とビョンヒは親友で両親のいない姉弟ゆえ、ジョンヒも親友を助けてチョルスを育て上げた、いわば弟と同じ存在。このふたりがはずみで一夜を共にし、その後さまざまな紆余曲折を経て結ばれるという結末になっている。           

Photo_2 コ・ヒョンジョンは8年のブランクを感じさせない魅力的アラサー、ほぼすっぴんかと思わせるメイクで体当たりの演技をしているのだがこれが空回り。大学を出て一流紙の記者を夢見た彼女も、就職難のご時世で、やむなくポルノ雑誌の記者になってしまった。しかし10年もポルノ雑誌の記者で食ってきたのであればそれなりにアラサーの箔もつき、プロのキャリアや業界の垢も染み付いて、それなりの迫力も感じさせる筈が、実は男性経験ゼロの全くのカマトト。それだけでもウソ臭く不自然で付いていけない。                        

一方、年下の青年(少年にしか見えない)チョPhoto_4 ルスも、年のわりに人生達観してわが道を行っているのだが、彼女に対するアタックもまるでストーカー、過剰な自信の根拠もないので、これなら弟分としてかまってやっておく方がまだしも、ましてやなぜビョンヒがイケメンのエリート医師を振ってこんな青二才に惚れるか?としか思えない説得力のなさ。つまりコメディ仕立てにするつもりの場面や要素がすべてツボにはまらず、シラけるばかりなのだ。韓国ドラマを見ていると「したたかな女、悪女」などを「きつね(ヨウ)、女きつね(ヨ・ヨウ)」と呼ぶことが日本以上に多いのだが、このヒロインはヨウどころか、ひよこかウサギといったところ。ヒョンジョンのイメージダウンを気にしておずおずと書いたシナリオなのだろうか。           

キム・サムスンのように「少し太めのそれなりに経験値も積んだアラサー女」と「こんなイケメンなら誰だって惚れるよ。ましてや御曹司」のふたりの設定ぐらいに、ウソっぽいのとアラサー女のしたたかを徹底すれば面白かったのに。コ・ヒョンジョン嬢の熱演が空回りし、優等生的な作りが失敗のモトとなったドラマだった。Photo_3

今日は「初詣」日和ではあるけれど

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久しぶりにウォーキングをしなければならないのだが、レンタルDVDの返却期限が迫っているのを理由に、外出はパス。同居人ひとりで出かけていった。例年より少し人の出が少ないようだったそうで、デジカメが切り取った風景。 我が家から往復で歩数9500ほどの距離にあ  Photo_7 る成田不動尊。千葉にある本院から私鉄会社が客寄せのために分院したものだという。閑静な住宅地を歩くこと約40分ほどで到着する。というものの私も2~3回程度しか行ったことがない寝正月派なのです。突き当たりに見えているのが目的地の不動尊。Photo_9 ようやくにして到着のようです。境内は煙(護摩を焚いている?)が焚かれ、参詣客はその煙を身体に浴びて「無病息災」を祈願します。不動明王はもともとインドのバラモン教にルーツを持つとのことで、日本に渡来して密教の神となったとき初めて「恐ろしい顔をした偶像」にされた由。火によって煩悩を払い、大願成就を果たそうということらしい。Photo_10  このお寺を建てたときに、門前通りを作らなかったらしく、電車の駅からお寺まで門前町はない。住宅地の中をくねくねと歩いていくのだが、道沿いの住民は夜通しさぞや騒音で悩まされることだろう。Photo_12  大晦日は終夜運転がされていて元旦の午前0時頃には遠くにある我が家のベランダに駅のアナウンスが聞こえるくらいだから。ところで、おみやげは定番の名物「せんべい」。クッキーのようにバターや牛乳が入っていないのでさっぱりと美味しい昔ながらの味だった。                     

ところで昨夜はどこかの局で「日本代表」の特集をしており、なつかしいトルシェやオシムも出てきていろいろと南アの試合や「これからの日本は何をすればいいか」などをコメントし、なかなか面白かった。ところが2006年ドイツ杯のジーコ監督が出演していない。(この手の番組で見たことない)多分ジーコが出演を断ってのことなのだろうが、何かヘンだし、あの「黄金の世代」を率いた4年間を飛ばして総括すPhoto_15 るのは本当の総括にならない。ジーコは日本代表監督を終えたあと、トルコのフェネルバフチェ(トップチーム)、ロシアのチェスカ・モスクワ(現在、本田が所属するトップチーム)の監督を短期間歴任し、現在はブラジルに帰っている。「名選手、名監督に非ず」の典型例とはいえ、やはりドイツを抜いて過去の歩みを総括するのはおかしいよ、と思うのだが。Photo_18                                                 













ジーコ、あなたのドイツの総括を聞きたいよ。日本のサポはあなたを批判はしていても決して憎んでいるわけではないのだから。Photo_17

2011年が明けたとはいうものの・・・ひねもす冬ごもりの日々

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昨夜は大晦日、気になっていた居間のランプシェードのホコリを洗い流したり、今年最後のトイレ、洗面所そうじをしたり(ざっと手を抜きつつ)、その後年越しソバ中心のメニューの晩ごはんを終えたのが6時30分ころ。我が家のソバ、うどんだけは外で食べるより美味しいと評判がいいのは、何せ上等の本鰹節と昆布できっちりダシを取るから。(おでんも然り。)ズボラな私が手を抜かない数少ない食事作りの作業のひとつだ。                 

・・・さてこの後は韓ドラからしばし遠ざかっているので(気分的に)、相変わらずBS1のスポーツ番組。ここのところずっとアーカイブをやっていて、今日は南アW杯の試合でvsデンマーク戦を見た。リアルタイムでは真夜中に見たのだが。いやいや勝ち試合のゴールシーンは何度見てもうれしくなる。しかもこの試合での2ゴールは本田と遠藤が十数分差ぐらいで続けさまに成功させたフリーキックだったのだから。・・・                         
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改めてあのときの感動がよみがえってきた。その後はプレミアリーグのマンUとバーミンガム戦。ホームのバーミンガムが押せ押せの勢いでマンUは劣勢だったが、さすがに先制点を奪い、ゲーム終了間際にバーミンガムの執念の同点ゴールで引き分けとなった。パクチソンを見かけなかったが、世界一のGKの呼び声高いファン・デル・サールはまだ引退していなかった。同居人が年中行事のように見ている「紅白」の騒音が別室から流れて来ていたのが止みそちらも終わったようで、入浴は昨夜しているので今夜は省略、図書館で借りているカナダの童話を読み終えて就寝。Photo_8                                      

明けて今日の元日は晴れ。雪になるという情報もあったのだが今のところ薄日が差している。ブログ更新を簡単に済ませるために今日のテーマは「昨春の我が家の花」と決め、ピカサから写真を探し出して以下紹介します。(ジャングルのように整備されていない小さな庭でそれぞれに懸命に咲いている)写真の方が何やら風情ありげに写っているが、ホンモノはもっとごちゃごちゃとほったらかされてきたものばかり。ただし水と肥料は最低あげたけど。(人間と同じで飢えさせたり脱水症状にするのは忍びないので)Photo_2 写真下はシャクナゲ。開花につれて赤がうすいピンクに退色していくのがきれPhoto_3 いだ。  



写真左はクレマチス「ジョセフィーヌ」。さすがナポレオン皇妃を名乗るだけあって素晴らしい花。    



君子ランはどこにでも見られる花だが、育てやすく、タネができたのを撒いたら全部発芽して数年後にはなが咲いたものです。何鉢もあちこちに貰っていただきました。      Photo_4      

オールドローズの名花、フェルディナンド・ピシャーPhoto_5 ル、残念ながら今年の酷暑で枯れてしまった。黄色いイングリッシュローズは「ピルグリム」、大好きな花ですが今冬はなぜかカイガラムシにやられて元気がないので心配。Photo_6 地味ながらエビネは江戸時代からの日本のコレクターに愛され続けている山草。我が家にはどこから来たのか記憶にないモノが2~3鉢ある。そしてこの黄色い草花(名前は忘れたけれど)毎年つい飢えてしまうお気に入りの迎春花。なぜか春一番に咲く花々は黄色が多い。Photo_10    



遅くなった昼食を今から取って、2時にキック・オフの「サッカー全日本選手権(天皇杯) 清水エスパルスvs 鹿島アントラーズ」を観戦します。Photo_11                                    Photo_9

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