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そして新たなる旅立ち・・・長友佑都のインテル・ミラノへの移籍

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サッカー・イタリア1部リーグ(セリエA)に属するインテル・ミラノへの長友の電撃移籍は日本中のサッカーファン(ならずとも)を驚かせるニュースだった。彼はかねがね『世界一のサイドバックになりたい』と公言していた。インテルは昨季4連覇を果たし、これまで一度も2部落ちしたことのない名門中の名門クラブ。ヨーロッパ3大リーグといわれるセリエA、リーガ・エスパニヨーラ(スペイン)そしてプレミア・リーグ(イングランド)の中でもトップクラスのチームだ。

「インテルは長友の交換要員として、20才のイタリア人DFサントンをチェゼーナに期限付き 移籍させた。DFだけでもマイコン、ルシオ(ブラジル)、サネッティ、サムエル(アルゼンチン)、キブ(ルーマニア)ら豊富な金曜を誇るインテルだが、左サイドバックが現状での補強ポイントで、クラブとしても長友に定位置確保の期待をかけた移籍といっていい。」(以上2/2毎日朝刊)                                                  

条件は一応「今期終了まで」という期限付きながら、契約直前にチェゼーナが長友の保有権をFC東京から買い取ったということは、今後の完全移籍を見据えてのことだとは大方の見方である。愛媛県出身のこの小柄な選手は『女手ひとつで3兄弟を育ててくれた母親を早く楽にしてやりたい』という(愚息に頭を悩ます多くの親には羨ましい限りの)強い動機でサッカー人生を歩み始めた。明大時代にFC東京の監督原博美氏(現JFA技術委員長)の目に留まりFC東京へ。その後急速に頭角を現わし岡田ジャパンで代表に招集、以後の活躍ぶりは改めて書く必要もあるまい。                                        

このたびの長友の飛躍は彼にとって「世界一のSBになる」を実現させるビッグ・チャンスであるが、一方大きなリスクを抱えてのことであるのはいうまでもない。それは過去の例、例えば中田英寿の歩んだ道を思い出せばいい。                               

ヒデは21才の時、念願の海外移籍を果たした。(このときの記者会見で彼が通訳なしで流暢なイタリア語で記者の質問に応えるのを見て驚愕した。彼の並々ならぬ移籍への執念がみられた会見だった。)そしてペルージャ移籍後、シーズン開幕戦でジダンを擁するユベントスから2ゴールを奪うという華麗なデビューを果たし、年間10得点を挙げて当時の日本人海外リーグ最多得点を記録し、その年のセリエでの最有名人プレイヤー、イタリア最有名スポーツ紙の年間MVP新人賞を得た。                          

しかし翌年名門のASローマに移ったころから栄光に陰りが見え始める。(ペルージャにとってはタダ同然でアジアから拾ってきた選手を高額で売り飛ばす美味しい話だが、選手にとってはビッグクラブへの移籍は大きなステップアップのチャンスになる。しかし大きなリスクチャレンジを抱えることにも)                     

ローマにはすでにヒデの希望するトップ下にはカリスマ・スター選手「ローマの王子」と呼ばれチームの象徴ともされるトッティがいた。ヒデは中盤の底で起用され、トッテイが欠場の時のみトップ下でプレーする「トッテイのバックアッパー」に甘んじることになったのである。そしてその後はパルマ、ボローニャ、フィオレンティーナを渡り歩き、ドイツW杯の直前の2005年にプレミアのボルトンに移籍する。しかし結局ここでも定位置は獲得できず不本意な結果に終わり、ドイツ杯を機にサッカー人生に終止符をうつことになった。  
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ビッグクラブへの移籍は世界レベルのスター選手との過酷なポジション争いを伴うということ と(写真上:長友はオランダ代表の推進力スナイデルともチームメイトになる)さらに監督との関係の好悪も選手人生上大きなファクターとなる。監督が替われば、お気に入りの新しい選手を呼び込むことは当然だし、よほどのスター選手でもない限り、ポジションを追われる危機にさらされる。ヒデも移籍先で何度もそういう憂き目にあってきている。(昨年、ヴォルフスブルグの監督が替わり長谷部が以後少し辛くなっているのが心配だ。)   

「韓国のヒーロー」パクチソンの場合は幸運も手伝ったと思う。(勿論彼が有能であったという ことが前提だが)Kリーグのドラフトにもかからず、パープルサンガの某コーチに見出されて日本でプロデビュー後、日韓W杯でヒディングに見込まれてオランダに移籍、ここから天下のマンUに移った。マンU移籍にはヒディングですら大反対したという。しかし彼の能力(労を惜しまないプレー、さまざまなポジションができるマルチプレーヤー、強いメンタリティに加えて誠実実直な人柄)を評価するファーガソン監督の長期政権(1986年来25年間)が彼にとって大きな幸運であったことも又事実であろう。(写真右:サーの称号を持つファーガソン)                              

長友もすでに今年で25才、選手として先が十分あるとはいえない年齢である。彼を見込んで移籍させたレオナルド監督(かって2年ほど選手として鹿島にいた)の期待に応えて、インテルの定位置(SB,または左MF)を確保するべく、ベストを尽くして欲しい。(頑張り屋の彼に、こう書くのはおこがましいが) 期待しています。             

「黒い宝石」サミュエル・エトゥー(カメルーン代表)

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コメント

 今度のアジアカップで長友は試合を重ねるごとによくなっていった。よほどスタミナがあるのだろう。また、今度の移籍がすでにまとまっていてモチベーションが上がっていたのかもしれない。
 彼の良さは性格面でも現れる。本田圭介のように天狗にならず、周囲に明るく振舞っている。決してそれがお愛想でなく素直に出ているところが見ていて気持ちがよい。

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