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2011年3月

「やれそうでやれないことを実行する人」に改めて感動した・・「しあわせの隠れ場所」(米2009)

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TVをますます見ない日々(心の病気)、所在無さに借りてきたDVDで「しあわせのかくれ場所」を見た。(2009年・アカデミー主演女優賞を初めてサンドラ・ブロックが得たのが私が借りた理由)”しあわせの”などというフレーズの入った作品、ましてやアメリカ映画と聞けば何となく胡散臭くて敬遠したく、借り出し期限ぎりぎりまで放りっぱなしてきたものの、思いのほか良かった、というより実話に忠実に作られているということに驚き、いやいやヒロインの生き方に感動した。                                                    

物語りの舞台はテネシー州メンフィス。ある寒い冬の雨の夜、びしょぬれで歩いている黒人の青年を通りがかりに見つけたリー・アン・テューイ(サンドラ・ブロック)が思わずクルマに乗せて自宅に連れ帰る。巨体の黒人の青年の名はマック、ストリートチルドレンとして成長してきてまともに住む家もなく、図書館で暖をとるため歩いていたのだ。シングルマザーの母親は極貧の中で12人の子を産み、誰がどの男の子供かも定かでなく、次々と子供を放りっぱなPhoto_2 してもう何年もマックとも会っておらず、お互いの所在すら知らない。(リーの家族とレストランに行ったマックがウエイターの青年と抱き合うのを見た彼女が「あれ誰なの?」と聞くとマックが「兄です。もう何年も会っていなかったし、どこに住んでいるかも知らない。」・・アメリカの黒人の置かれているすざまじい貧困に絶句するシーンだった。                     

「今晩だけ泊める」約束が次第に長引き、追い出したとしても「夜は図書館で寝る」マックの住む場所はない。リーはとうとう彼を家に住まわせ、娘や息子の通う学校に通わせ、人間らしい生活をさせることを決意する。マックの生きてきたスラムを訪れたリーに「絶対クルマから降りないで下さい」というマック。ヤクと暴力にまみれてたむろする若者たちを見て「マックが彼らの仲間にならずによくぞまっとうに生きてきた」ことにリーも私も驚いた。リーはついに彼が社会人として自立するまで「養子」としてテューイ家の一員にすることを決意し、母親を探し当てて許可を得て正式に手続きをする。                            
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リー・アンの夫は実は多数のチェーン・レストランを持つお金持ち。マックを引き取る(引き取Photo_3 らないで庇護するテもあるが)ことはいささかの金銭的重荷でもないが、妻の「彼には家族が必要」という主張を聞き入れ、ふたりの子供も何の偏見も持たずにマックを受け入れ、学校で奇異の目にさらされるマックをさりげなくかばうのだ。                      

リーは友達(みんなハイソな奥様)から「年頃の娘のいる家におくのは危険じゃないの?」などといわれても動じない。学校は「私立の中高一貫校」で黒人生徒は見当たらず「アメリカのハイソな学校は日本人の子でも入学させてくれない」と読んだことがあるので???と思ったのだが、入学を許可された理由はリーの夫がこの学校に多大な資金を出していること、マックの巨体を見たアメフトの顧問の先生が「彼はディフェンダーとしていける」と強く主張したためだった。                                               

そしてカウンセラーの分析、テストによって「いろいろと能力的に劣るマックが上位2%に入る優れた能力を持っていることがわかる。それは「保護本能の強さ・・守ろうと思う人を全力で守る勇気」だった。リー曰く「彼は”はなのすきなうし”ね。」(これは映画の中で何度も出てくるセリフ。寡黙でどんくさいマックにぴったりの表現だと思った。)                  

アメフト部への入部を許されても戦闘意欲に欠け、どんくさく佇むばかり。顧問もサジを投げかけるがリーがマックに何度もいう。「いい? あなたが守るべきクオーターバックを私(リー)かジェイ(息子・・マックの無二の友だちになり、クルマの事故のときもマックがわが身を省みず助けた少年)と思いなさい。絶対に彼を敵から守るのよ。」・・・                

そしてマックはとうとう州でも有数の”レフトタックル(The Brind Side)”となり、多くの大学からのスカウトが訪問する中で夫婦の出身大学ミシシッピ大学に入り(アメリカでは有名大学ほど成績が一定水準ないと入れない。従って家庭教師について猛勉をする。大学入学後も)                     
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そしてついにマイケル・オアは2009年のドラフト1位で「ボルチモア・レイブンズ」に指名され、入団。(写真上:マックの右がリーと息子。実写真) 「お金持ちだからできたんだ。」「○○だからできるんだ。」が通用しないようなリー・アンの潔い生き方とそれに同意する家族。「それぞれの生き方の選択には言い訳などない」ということを痛感させられた映画だった。(写真下:マイケル・オアとテューイ一家・実写)       
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追記:① アメフトの知識は全くないので、調べてみたら チームの司令塔のクォーターバック(オフェンスで花形的存在)の死角The Brind Side(選手が右利きならば左後ろ)を守るポジションがレフトタックル(ディフェンス)。ここが強靭でないとクオーターバックは攻撃できない。マックの隠れた才能はレフトタックルで開花した。                                               

② 「はなのすきなうし」・・岩波のこどもの本シリーズで我が家にもありました。闘牛として育Photo_5 てられた一頭の牛が闘牛場で一向に闘わず、観客の夫人の髪飾りの花の香りを嗅ぎに行く有様。とうとう農場にもどされて花の中で暮らしたというお話。                  

③ 映画の邦題「しあわせのかくれ場所」には少々異議あり。原題「The Brind Side]の意味が生きていない。「The Brind Side]はマックの持つ隠れていた優れた能力「保護本能」? さらにはアメリカにおける黒人の信じられないような貧困?などを表わすいい題名だと思う。

目途の立たない被災者が安らかな日常を取り戻せることを願いながら

東北大震災で家族を亡くされた方々には心からのお悔やみを、被災され今なお避難所で不自由な生活を余儀なくされている方々へは心からのお見舞いを申し上げます。


TVの映し出すすざまじい被災地の状況に加えて、福島第一原発事故の着地点の見えない泥沼化は恐らく日本人の誰しもにとって対岸の火事ではないという厳然とした事実(とくに原発事故)をこれでもかとつきつけて来る。さらに縄文の昔からふるさと東北の風土の中で生きてきた人々にとって故郷を失うことは例え他の土地で生き場所を与えられようと、人生と未来を失うことに等しい。ブログ主自身もこれは現実ではない、悪夢なんだと目覚めるごとに幾度も願う日々である。避難している人々が必ず故郷に復帰できる未来がくると信じながら。                                          

「エネルギー・ベストミックス」と称する日本政府のエネルギー政策によって現在全電力のほぼ30%強は原子力によるものになっている。。私の住む都市だけでいえば80%の依存率という。スリーマイル島事故(1979)、チェルノブイリ(1986)を経験した世界は80年代に反原発の世論を高揚させたが、地球温暖化の危惧が高まる中でその声は風に吹きけされるかのように弱まり、原発は「クリーンなエネルギー」として次第に市民権を強めていった。              

わが国の場合、60~70年代の政府のエネルギー転換政策により国内の炭鉱は次々と廃坑に追いこまれ、70年代から本格的に原発が稼動し始めた。現在、日本の保有数55基はアメリカ(100基余)とともにせかいで有数の原発大国である。(世界3位)ちなみにフランスが第2位でこの3カ国が突出して多い。(50基以上)原発はさびれた地方の自治体に多大の雇用と潤沢なオカネをもたらし、さらにそれに関わる政治家たちの利権(献金)が闇の中でふくらんでいったとも推測できる。                                                    

従って立地の岩盤の強弱やその地域の大地震の発生の確率よりも、住民の反対の声の弱い土地、誘致を求める地元有力者たちの政治力に導かれて、場合によっては特定地域に集中して建設されてきた。4枚のプレートが集まる世界一の地震国日本で、誰もが普通に危ないと思うはずであったにも関わらず・・。                                      

60年代後半、日本で初めて原発を設計したビギナーの技術者たちはアメリカGEの設計図(この図も欠陥があると指摘して会社を辞めたGEの社員がいた・・3/30毎日新聞夕刊:追加)をもとに「ああでもない、こうでもない」と原子炉の図面を書き、「地震や、ましてや大津波など考える余裕はなかったと述懐している。(後藤政志氏・東芝原子炉製作部門OBで、今度の事故で自主的に名乗り出て各所で講演。私はyoustreamが有料なのでNPO団体「CNIC(原子力資料情報室」のHPへのコピー版を見た。)                                                  

何重ものフェールオーバー(安全機能)があるという「安全神話」は東電や政府の御用組織・日本原子力安全委員会がいつからか言い出して広がったものだとわかった。さらに「かりに優れた技術者集団がいくら机上で素晴らしい原子炉の設計図を描いても、それを作る工場が日立、三菱、東芝と3箇所それぞれが分担し、自分たちがどんな危険なものを作っているのかという自覚なく、3工場の製品基準値コンマ00まで統一されずに作られた部品は、合体したときには微妙に狂っていることがあった。さらに阪神大震災のとき倒れた高速道路の脚柱から藁くずが出てきたように設計図がいくら完璧でも建設の段階でそういうずさんさがあることはいくらでもある。(元原発技術員だった故平井憲夫氏は今回の大事故をすでに1999年に予言している。)               

公共料金という「うちでのこづち」を握る独占企業・東電は「寄らば大樹のかげ」とばかりに大企業の安定を求めて入社してくる一流大卒のエリートたち(偏差値人間)の「事なかれ、官僚主義」に上から下まで汚染され、責任の所在はあいまいにされ、難題は次々と後任者に先送りされるという体質。さらに官僚の天下り、政治家への献金(裏金)が組織を堕落退廃させてきたことは容易に推測できる。電気という商品は備蓄がきかない。真夏の最大消費時間に合わせて供給するために原発は増え続けた。アメリカ型の快適な消費生活に慣らされた国民(ブログ主も含めて)に電気をどんどん供給し、都市はいつからか不夜城になり、原発は寿命30年を越えた旧いモノ(福島1号機)も含めて危機管理よりもフル稼働が優先されてきたのである。                                              

そしてさらに怖いのは原発は廃棄後も半永久的に燃えカスが核分裂による放射能と崩壊熱を出し続けるため、永久にお守りをせねばならないということ。そのシュミレーションと負の遺産として子孫に残す莫大な経費は未だ世界のどの国も計算できずシュミレーションさえできない。(やれる筈が無い。)チェルノブイリ事故後ようやく閉じ込めた炉心は未だブスブスとくすぶり続け、1.5m厚みのコンクリートの「石棺」は30年にしてすでにひびだらけとなり、数十億ユーロの経費で補修が始まりウクライナは自国のみではまかなえないと資金援助をEU諸国に訴えている。     

TVの映し出す、政府、東電、安全委員会、保安院のまるでジョーカーを急いで投げ合うかのような責任のなすりつけあい、危険な現場で働く東電の下請け、孫請け会社の作業員の人々の被爆(厚顔無恥な東電は「彼らがアラームを誤作動だと無視して作業を続けたため」と作業員の自己責任として当初発表)、行政が遺棄した半径30キロ内のゴーストタウン化した地区。そして「トモダチ作戦」を唱えて協力してくれても絶対に50マイル以内に入ろうとしない米軍。かりに日本が核戦争に巻き込まれたとき、どんなに米軍基地を認める人でも、日本は「捨て石」になる、少なくとも米軍が「危険地帯」と決めている50マイル以内は見捨てるだろうということがよくわかった。北朝鮮のテポドン発射の本意も実はアメリカを挑発するため、ということをみても明らかなように核兵器を持たない日本が戦争に巻き込まれるのは米軍基地があるため以外に他のどんな理由があるのだろうか?。安保条約によって本当に日本はアメリカの核の傘に入れてもらえるのだろうか??                 

当面の(少なくとも)危険のない町で、電気を消費するPCに向かってこれを書いている。原発によって得られた快適な消費生活がどれほど多くの人命や人生、自然破壊の犠牲の上に成り立っていたことにあらためて愕然としながら。

sikiju「コーリャ愛のプラハ」・・・激動期の社会で生きた人々

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数日前、TVをつけたら「世界紀行」(いわゆる観光番組)をやっていてちょうどチェコの首都プラハを訪ねる番組だったのでつい見入ってしまった。「プラハ」という名の響きの華麗さ(語源は知らないが)の通り、実に美しい街でいたるところに塔があり「百塔の街」とも呼ばれている。どちらかというと旅行嫌い(面倒くさい)の私ですらヨーロッパに行くとすればパリよりもプラハに行きたいと思うほど観光客の憧れの街である。第2次大戦での空爆の被害も比較的少なく、中世以来の旧い建物が多く残されており街全体が「世界遺産」に指定されている。
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ちなみにここからエルベ川に沿って100kmしか離れていないドイツのドレスデンは「スペインのゲルニカ、アジアの重慶」と並ぶ(「ドレスデン空爆」と言われている)壊滅的、無差別空爆を受けた。空爆を行った米英軍の口実は「東からのソ連軍の進攻を助ける為」であったが、これは真っ赤なウソ、(空爆は1945年2月13日から3日間に及んだ)ヒロシマと同じくドイツ軍はすでに制空権どころか戦闘能力を全く失っていたから、これはソ連に対して米軍の優位性を誇示するための冷戦の一端といわれている。図書館で見たドレスデンの被災、とくに黒焦げの死体の山など目を覆いたくなる惨状はすざまじいものだった。                

ところでプラハは長くボヘミア王国の首都として栄え、神聖ローマ帝国、続いてオーストリア・ハンガリー帝国の支配下にあってウィーンとともに幾たびか首都とされ、東ヨーロッパの文化の中心地として栄えた。(写真下:ハプスブルクのプラハ城)         
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日本でも学校でこの国が生んだドヴォルザークやスメタナなどの名前は教わる。さらにルタ ーの宗教改革よりも半世紀以上前にこの地でヤン・フスがローマ教会を批判して火あぶりの刑に処せられたことも。(写真下:ベツレヘム教会の前のフス銅像) Photo_7                                        

ところで今日のブログのテーマは「コーリャ・愛のプラハ」(1996・チェコ)、その年の米アカデミー・外国語映画最優秀賞、ゴールデングローブ賞、東京国際映画祭・最優秀賞など数々の受賞を受けた映画だ。1989年の「ベルリンの壁」崩壊前後の東欧の人々の暮らしの一端を切り取ったという点で「グッバイ・レーニン」「善き人のためのソナタ」などのグループに入るといえる。東京国際映画祭で来日した監督は何と32才という若さ、監督(ヤン・スヴェラーク)のお父さん(ズディニック・スヴェラーク)が映画の主人公ロウカを演じ、かつ脚本も書かれたということでいわば親子の合作ということだ。                             

ストーリーはいたってシンプル、「・・壁」崩壊前年のプラハ。ロウカという初老のチェリスト、女 Photo_11 にも金にもだらしなく既に半分人生捨てたような男。もとチェコ・フィルの首席チェリストだったのが、何かの理由で解雇され現在は葬儀場の儀式で仲間とレクイエムを演奏して、屋根裏部屋で細々と暮らしている。       

そこへ金儲けの話が飛び込んでくる。ソ連のヴァイオリニストの女性がが恋人のいる西ドイツに出国するのにチェコ経由でいく(当時はこの経由が多かったとか)ために偽装結婚をする相手を探しているという・・。快諾して結婚したはいいが、あくまで結婚は法的手続きのみ、翌日女性は小さな男の子をプラハに置いてすぐ単身で西ドイツにいってしまう。               

残された5才の男の子コーリャとは言葉も通じず、ましてや小さな男の子を育てるなど思いもよらず、途方にくれたロウカは田舎の老母のもとに彼をつれていく。しかし老母はもともと息子がチェリストになるのに大反対したいきさつがある上、大のロシア人嫌いでにべもなく断られる。Photo_12 (美しいプラハの郊外、名だたるボヘミア地方です。)                                        

1968年の「プラハの春」(チェコがソ連にそむいて自由化路線に舵を切った事件。このときソ連はチェコに軍事侵攻して以後、全土にソ連兵が常置されることになった。)以来、チェコスロバキア人は「ロシア人嫌い」になったのは当然。地下鉄の駅、混雑する人ごみの中でこどもを見失ったロウカが「コーリャ!」と叫ぶ瞬間、一瞬人々の足が止まり声の方向に振り向く。「コーリャ」は典型的なロシア人の名前だったからだ。

やむなく、仕事場にコーリャを連れ歩くロウカ。コーリャはいつも会場の片すみで待っている。一方、チェコの公安はロウカの”偽装結婚、亡命の手助け”を疑い、執拗に何度も呼び出して取り調べる。(写真下:取調べにおびえるコーリャ。しかしこの取調官(イヤなヤツ)、壁崩壊後、独立記念集会の群集の中に来ていて、ヨウカに「やあ」なんて声をかける変わり身の速いヤツ)                                               
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一方言葉の通じないふたりは次第に心を通いあわしはじめる。地下鉄で迷子になったり、高い熱を出したり、自転車で釣りに連れて行ってもらったり・・コーリャは母に捨てられた今、大人全員に不信感を持っていたが、ようやく本能的にロウカを信頼していい人間だと感じるのだ。横断歩道をわたるとき、ロウカの差し出す手を振り切ってひとりで渡っていたコーリャはようやく自らロウカに手を差し出す。                                  

                                              しかし終わりは突然にやってきた。「・・壁」がPhoto_15 崩れ、ドイツにいた母親がコーリャを迎えに来る。空港での別れ、もう再び会うことはないだろうコーリャが母親とドアの向こうに消える。エンドクレジットに流れるコーリャの唄う歌は、彼が葬議場で聞き覚えたチェコ語のレクイエム。(式場でいつもうたう女性はロウカの彼女)その歌を意味も分からないのに覚えてしまっていたのだ。胸が熱くなる歌声だ。                                                

そうそう忘れていた。空港の別れの後、野外公会堂での「独立祝賀会」のコンサートのシーンがあります。(この後、チェコとスロバキアは分離する?)再び首席チェリストとしてステージで演奏するロウカ。このとき演奏されるのがスメタナ「わが祖国・第二楽章・モルダウ」、指揮者は半世紀の苦難の亡命生活を終えて1989年帰国した伝説のチェコ・フィルの指揮者ラファエル・クーベリックだったらしいです。(下:プラハ市街を流れ、エルベ川に合流するモルダウ川)Photo_16

春は名のみの風の寒さよ・・上位チームがことごとく苦戦・Jリーグ第1節

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この土日にいっせいに行われた琵琶湖マラソン、プロ野球交流試合、スキー全日本などの陰に隠れてひっそりと?始まったJリーグの開幕はさまざまな「想定外」を含みながら終了したが、この開幕戦の目立った傾向は「上位チームの不振と下位チームの善戦」ということだろう。                                                   

前年の優勝チームの名古屋グランパスに加えて鹿島アントラーズ、G大阪、C大阪の4チームが2~3日前にAFCチャンピオンズリーグを戦った直後であったという(特にアウェーに出かけた名古屋、鹿島にとっては)過酷な条件も災いしたことは考慮するとしても、これら上位チームの不振ぶりはACLでの不甲斐ない戦いぶりとあわせて今季にあまり明るい展望が持てないように思われた。TVが実況放送をしたのは「G大阪vsC大阪」のいわゆる”大阪ダービー”(土)、「清水グランパスvs柏レイソル」(土・夜)。(日曜日は「琵琶湖マラソン」のため?放送はなかった。)                                             

まず久々の開幕戦での”大阪ダービー”。試合の詳細はあちこちで書かれているのでここで は触れずにいくつかのコメント、感想。C大阪は主力の香川(ドルトムント)、家長(マジョルカ)を海外に送ったというのになぜアドリアーノをガンバに出したのか?アドリアーノは2010年ブラジルからセレッソに入団し、素晴らしい活躍ぶり(14得点)でセレッソの上位躍進の原動力になった選手だ。契約切れで本人の希望でそうなったということなのかもしれない(そうとしか考えられない)が、何としても引き止めるべきだった。とくに今年はリーグとACLを戦わねばならない重要な年だというのに、新入FWホドリゴ・ピンパオン(ブラジルから)もまだまだ 未知数、乾も今ひとつという状態。唯一の収穫は前半38分で遠藤のPKを止めたGKキム・ジンヒョンのみか。(写真上:キム・ジンヒョンが遠藤のPKを止めたビッグ・プレー) キム・ジンヒョンは2009年東国大学卒業後すぐにセレッソでプロデビューした192cmの長身GKで先のアジアカップから韓国代表に入っている有望株だ。(写真左)                          

ガンバはルーカス、チョ・ジェジンの退団の穴を埋めるアドリPhoto_4 アーノの獲得は期待大だが(セレッソ・サポは悔しいだろう)、チームの中核である遠藤(すでに31才)に替わる選手を見つけることが急務。これは日本代表にとっても然りだ。宇佐美、二川、佐々木などジュニアから育て上げた若手は多いが今のところ遠藤に比肩するゲームメーカーはいない。・・・ということで試合は2:1でガンバが制したが、今年はリーグ戦の合間にACLを戦うという過酷な年になる。

次に清水エスパルズvs柏レイソルの試合は目を覆うばかりの内容だった。新生清水のあまりのデキの悪さに。岡崎(シュツットガルト)、藤本(名古屋)を欠き11人のスタメン中8人が新顔、そして中核は小野伸二と高原泰幸のベテランコンビに加えて15才でベンゲルの目に留まりフランスのグルノーブルでデビューした伊藤翔という主戦力だったが、終始チャレンジャーの柏(J2から昇格したばかり)に押され気味でパスミスだらけ、ボールはつながらず、シュートまで持ち込めず全くいいとこ無しの完敗だった。ゴトピ新監督もまだまだチームを把握し切れていないということもあるのだろうが、今季の清水の未来に今のところ光明はないと思った。(厳しいことをいえば小野も高原も浦和でも殆ど出場機会がなかった。)その他、鹿島は大宮に、名古屋は横浜に辛うじてドロー、浦和は神戸に負けるなど逆に言えば下位チームの奮闘が期待されるシーズンになりそうだ。(写真下:柏のDF陣に阻まれる高原。その下は久々に見た素晴らしいフリーキック、蹴ったのはこの春ブラジルからやってきたワグネル(柏)でした。)                              

ところでザック監督、鹿島戦を見た後、大阪に移動して大阪ダービーを観戦、タフに動いておられます。メンバーは終始固定し、Jの試合は殆ど見ずオフの時は帰国してカーニバルにうつつを抜かす○○○元監督とは大違いです。 

コリン・ファースの快挙・・・「英国王のスピーチ」でアカデミー主演男優賞を得る

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今年もはなやかなアカデミー賞授賞式の季節がやってきた。そして何とイギリス人俳優コリン・ファースが主演男優賞を受賞したのである。ファンのひとりとしては何ともうれしい限りだ。断っておくが私はアカデミー賞を映画最高の賞としてに評価するものではない。しかし映画制作に関わる人々(俳優、監督、脚本家他スタッフのあらゆる分野の)3000人以上の会員の投票によって受賞者(作品)が決まるということは、商業性、大衆性(娯楽性)、社会性、芸術性などのバランスが程よく取れたモノが選ばれることが多いという点ではやはり価値ある賞だと思う。(日本人では最近、渡辺謙さんが会員に選ばれ投票権を得られた。) 今年度 最高賞(作品賞)を獲った「英国王のスピーチ」はイギリス映画だが「英語でセリフが話される映画」ならどこの国の映画でも受賞資格はあり、それ以外の言語の映画は「外国語映画部門」で評価される。(もっくんの「おくりびと」はこの部門で受賞した。)                              

前置きが長くなってしまったが、今日のブログのテーマはコリン・ファースである。現エリザベス女王の父上(1952没)ジョージ6世が国王即位にあたって吃音を治すのに苦労するという話がメインらしく、コリンの演技力が評価されたのであろう。                   
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・・余談であるがジョージ6世は兄のエドワード8世が即位後アメリカ人の実業家の夫人シンプソンさんと結婚(シンプソンさんは離婚)したため、当時タブーであった貴賎結婚ということで退位を余儀なくされ、そのため国王の地位が突然降って沸いたのである。(写真下:実際のジョージ6世夫妻。王は冠動脈出血だったかで56才で急逝、后妃は「クィーンマザー」という愛称で親しまれ90才を越えて2002年に死去。)Photo_15          

話をコリン・ファースに戻すが、私は(好き嫌いはともかく)「これぞイギリス人俳優」と評価する若手(といっても既に中年の域に達しているが)ベスト3はヒュー・グラント、ダニエル・デイ・ルイス、そしてコリン・ファースであるが、前の2人に比べてコリンは地味で影がうすく、あまり華々しい役にも恵まれなかった。80年代の(伝説的)青春映画である「アナザー・カントリー」(1983・英)・・・イギリスのハイソの全寮制の高校での美少(青)年たちの同性愛、共産主義への傾倒などを描いたもの・・でコリンはスクリーン・デビューしたが(当時23才)役柄上も主人公に扮したルパート・エヴェレットの陰に隠れた存在だった。                                                   (写真下:「アナザーカントリー」どちらも右側がコリン)Photo_3 Photo_4                                    その後、あれこれと時にはつまらない役ばかりで、日本ではあまり知名度が上がらなかったが、1995年にイギリスBBCのテレビドラマ「高慢と偏見」でMr.ダーシーを演じ、イギリスで一躍スターになった。「高慢・・」は2005年に「プライドと偏見」としてキーラ・ナイトレイ主演で映画化されているが、原作(ジェーン・オースティンPhoto_5 「Pride & Prejudice」)の世界を忠実に再現、ふたりの心の動きを詳細に描いているのはやはりTVドラマの方だと思う。(随分以前にNHKが放送していたのを途中で見て、どうしてもきちんと見たくなりヤフオクで入手。5時間に及ぶ良く出来たドラマで、放送時間帯にはイギリスの町々から女性が消えたといわれている。)コリンはこのドラマで「ダーシー氏」としてのイメージをイギリスで確立した。(このDVD、中古の割には私的には高かった。)                                      
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なおヒットした「ブリジッド・ジョーンズの日記」(2001)でもわざわざ原作にない「ダーシー氏」(コリン)を登場させている。               
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「イングリッシュ・ペイシェント」「恋に落ちたシエィクスピア」ではどこに出ているか分からないほど印象うすく、ようやく「真珠の耳飾りの少女」(2003)で画家フェルメールを演じるも、映画自体が物足らない出来(写真下)。
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クリスマス映画として大ヒットした「ラブ・アクチュアリー」では弟に妻を寝取られる冴えない小説家で、英国首相を演じるヒュー・グラントに完全に食われてしまっていた。・・                        


ということでこのたびの「英国王のスピーチ」での主演男優賞受賞はようやくイギリスでのみ知名度のある「ダーシー氏」が、世界の映画ファンに認められることになった本当にうれしいニュースなのです。 Photo_9                                                                                             

付記:「貴賎結婚」とは王家が妃を迎える際に、王家もしくはそれに準じる高級貴族(公爵のうちの特別の家柄)以下の侯、伯、子、男爵家から妻をめとること、(もちろん一般国民は論外。勿論現在はそんなタブーは廃止されていますが(ダイアナ元妃も今度のウイリアム王子も貴賎結婚になります。) エドワード8世の退位を強く求めたのはチャーチル首相だったそうです。理由はエドワード8世が親ナチ派であったため、チャーチルがこれを嫌ったためといわれています。                                       

1914年、サラエボで暗殺されたオーストリア皇太子のフランツ・フェルディナンドの夫人もPhoto_13 王宮の女官出身であったため即位にあたり離婚を要求されるがこれに応じず、「子どもが生まれても皇位継承権なし」との約束をさせられていたとか。さらに国家の公式行事に夫人は出席できず、それ以外の式では夫人のみ会席者(子どもも含めて)の最末席に座ったとか。従ってオーストリアではフェルディナンドを皇太子と呼ばず皇位継承者と呼び、ふたりの棺もハプスブルク家納骨堂には納められていないそうです。(日本の教科書では」「皇太子」と記されていますが。写真右が暗殺された夫妻)Photo_11 

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