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2011年4月

大輔に見たスポーツ選手の気概・・・フィギュアスケート世界選手権2011

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えーっ!?! 大ちゃん一体どうなったのよ!?・・フリーの演技が始まり、冒頭で4回転ジャンプに入ろうとした途端、彼は電池の切れた人形のようによろよろとよろめき、審判員席で Photo_4 何かいうと、そのまま退場してしまったのだ。「エッジのねじが外れた」というとんでもないアクシデントに見舞われたのだった。前日のSP(見ていない)でカナダのパトリック・チャンがダントツの高得点を叩き出していたとはいえ、大輔のフリーは他の追随を許さないほどの素晴らしいものだと思う私は(フィギュアについては知識はないけれど)順位を抜きにしても、とても期待していたのだったのに・・。結局、「プレイ中断」後は続きから始めなければならず、4回転は無しで「気の抜けたビール」のような感じで再開されたプレーは、しかしながら次第に彼の入魂の演技に見る者の心は引き付けられていき(いくつかのミスはあったものの)彼の本領発揮の見事なステップの頃には場内は彼の魔力に捉えられてしまったようだった。試合後の彼は以外にあっけらかんと明るかったが「できたらもう一度やり直したいです」との言葉に大会2連覇をかけてきた彼の悔しさがにじみ出ていた。                     

織田は冒頭の4回転が回りきれず、その後3回転を飛びすぎて反則。しかし最も期待してい なかった(この大会に慣れていない)小塚崇彦がほぼ完璧な素晴らしいプレーで(4回転も)ロシアのポスト・プルシェンコたるガチンスキー(17才)を抜いて銀メダルに輝くことになった。

ともあれ、相変わらず日本は選手層が厚い。3人枠に入れなかった羽生結弦もいるし、ほんと、これからが楽しみだ。ちなみに(ケチをつけるのではないけれど)パトリック・チャン(中国系カナダ人)、4回転2つ後も最後までスピードも落ちず、完璧で文句のつけようのない演技で史上最高の280.98(総合点)を記録した。大企業のエリートのような折り目正しいスーツ姿、端正な風貌、模範的な演技は確かに素晴らしいのだが、観客を虜にするような魅惑的な大輔の演技、可愛くエレガントで、かつ完璧な美しさを持つ小塚の方が見る者のハートを捕らえる。身内びいきかも知れないが。    

最後に滑ったフローラン・アマディオ(仏:昨年の欧州チャンピオン)この人の滑りもとてもチャーミングで好きなのだが昨夜はなぜか「歌詞入り」の曲(反則で減点される)を使っていた。あとで分かったのだが、彼は本来は日本で行われる予定だったこの試合の準備のために3:11の日にはすでに日本に来ていたそうで「日本のみんなへの応援メッセージ」として滑ったとのことだった。ありがとうございます。

付記:スポーツ選手の人間性が分かるとき・・最近のできごと                                       

① ジャイアンツの脇谷への誤審事件。VDで見ても落球は間違いなく、ミスジャッジだったわけだが ここまではスポーツにはよくあること。(審判は神様ではない。2連勝を期した阪神はさぞ悔しかったことだろう)しかしそのあとの脇谷の居直り発言は最低。「僕自身が一番しっていること。TVやVDがおかしいんじゃないですか?」・・少なくともこういう時、ミスジャッジで得した選手は「ノーコメント」を押し通すべきだ。サッカー選手なら誰でも知ってるマナーですよ。       

② こちらは大人げない人々。伝統の「クラシコ」バルサvsレアル・マドリード戦(4/27欧州チ ャンピオンズリーグ準決勝)。レアルのぺぺが足裏での危険タックルで一発退場になり、その後バルサはメッシの2得点で勝利。(レアルのホーム・ベルナベウスタジアムで)退場に抗議したモウリーニョ監督も続いて退場処分となる。「バルサと試合するチームはなぜか10人にされる。バルサには大きな権力がついている。」「胸に着けているユニセフ(国連児童基金)のロゴの威力だ。」・・発言者はモウリーニョとC・ロナウド。彼らの人間性が知れますね。(右:レアル監督:モウリーニョ)

やっぱりサッカーには元気をもらう・・・Jリーグ再開・第2節

Photo 3・11の東北大震災(前代未聞の二重被災)以来、日本全体が暗雲に覆われているような状況のなかでようやくJリーグか再開し、プロ野球もペナントレースが開幕した。明るいニュースのないTVはスポーツ報道に殺到、土、日は各局で実況放送が行われたが、残念なことにJリーグの実況は土曜日のベガルタ仙台:川崎フロンターレの1試合のみ。サッカーファンとしては何とも残念なことである。                                    

さて、この試合は大津波と震度7の強震で壊滅的ともいえる打撃を受けた仙台市である筈だPhoto_9  ったのがスタジアムの損傷により川崎の等々力スタジアムで行われた。おりしも天候悪化、大雨に見舞われる中で行われた試合は川崎が前半37分に先制、これで試合が決まるのでは?と思われたものの、後半に大田吉彰が同点ゴールを決め、試合終了間際にリョン・ヤンギのFKを蒲田が渾身のヘッドで逆転するという展開になり、仙台が劇的勝利を決めた。(写真右:この後、足が吊り、担架で運び出された大田。写真下:鎌田、渾身の逆点ヘッド)   

。鹿島から移籍した期待の星・マルキーニョスが帰国してしまったことで常勝チーム川崎に「まさかの勝利」をするとは思ってもみなかった。(!!)勝利後の選手、サポーター、そして手倉森監督(青森出身)の手放しの涙、涙・・。サッカーというものはチームの強弱を超えて勝敗が「どう転がるか分からない」ということをあらためて感じさせられた試合だった。    
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昨夜、寝る前につけたスポーツニュースでたまたまやっていたハイライト、浦和レッズvs名古屋グランパス戦。久しぶりにサポーターで真っ赤に染まったスタジアム(埼スタ)、移籍後グランパスの選手として初めて浦和の本拠地・埼玉スタジアムに帰ってきたトォーリオ(この日が30才の誕生日)がボールを持つたびに沸き起こるブーイング、1アシスト1ゴールでこの日のヒーローになった田中達也の健在ぶり、そして後半33分の原口元気の素晴らしいシュート(タックルでボールを奪いそのまま走り勝ってゴール)。名古屋のディフェンスは完全に崩壊した。球団の内紛、サポーターの不祥事、そしてトゥーリオ、サントス、細貝、阿部などの主戦力の移籍などで今期はどうなることかと危惧された王者浦和の復活を見るかのような3:0の完封勝利だった。(浦和が復活しないとJが面白くなくなる。)               
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そしてもうひと試合、劇的だったのがサンフレッチェ広島:ガンバ大阪で、ガンバが完敗したこと。試合が始まって1分後に左サイドからセンターに出たパスを李忠成が相手ディフェンス陣に囲まれながら僅かのシュートコースを見つけてみごとにシュート。この1点で「押せ押せムード」になった広島は完全に試合の主導権を握り4:1で勝利した。            
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考えてみれば今年のAFC出場チームであるガンバ、鹿島、名古屋、C大阪はいずれもぱっとせず、前途暗澹たる思いである。                                  

Photo_6 話はプロ野球に変わるが「ハンカチ王子」はやはり逸材というべきか。どの局も前夜も斉藤ばかり映していたが、「ベテランに打たれても下を向かない精神力、冷静沈着さ」「端正なイケメンぶり(雰囲気ともに)」「状勢にあわせて柔軟に対応する能力、賢明さ」は只者ではない。スポーツニュースで高木豊氏(この方の3人の息子さんは全員サッカー界の期待の若手)がいっていたが「1戦目で左打者に打たれたのを修正し、内角で攻めては外角で振らせて5人の左打ち全員を封じた。ベテラン山崎にHR打たれたあとそれまでのストレート球(30~40%)を減らし(10~20)変化球で勝負した。」いやいや日ハムはドラフト運がありますね。ダルビッシュとともに花形投手に育ってほしいものだ。                            




付記:ザッケローニ氏、放射能を怖れず来日して上記2試合を観戦。手倉森監督は「ザックにエネルギーをもらった。」と喜んでいました。Photo_7

健さんには北海道がよく似合う・・・「ぽっぽや(鉄道員)」1999:降旗康男監督

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TVニュースを見ていると落ち込むばかりなので「山田洋次が選ぶ日本映画100選」(毎日曜日・BS2・21時~)、9日の「ぽっぽや」を観た。浅田次郎の短編(同名:直木賞受賞)を映画化したものだが、日本人の感傷の琴線に触れるという点で木下恵介「ニ十四の瞳」「喜びも悲しみも幾年月」の流れを汲む作品、大ヒットしたのも頷ける。                 
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(写真上:吹雪の中を走るD51.オープニングシーンの数分間走り続けるその映像は圧巻。何か、この映画のテーマを象徴しているかのように思われた。)

ものがたり:佐藤乙松、鉄道員人生45年のしかも父親から2代目国鉄マンである。(この映画ではすでに国鉄は解体、JR北海道になっている。)蒸気機関車のカマ焚きから始まり、機関士を経て1999年現在はローカル線・幌舞線の終着駅である幌舞駅の駅長(といっても他に駅員のいない小さな駅)を最後にまもなく定年を迎えようとしている。時同じくして幌舞線の廃線が決まる。A                                                

かってこの地は炭鉱の町として繁栄していたが廃坑のあとは人口数百人の年寄りばかりの町になPhoto_2 ってしまい、幌舞線も乗客が激減した。乙松にはカマ焚き時代からの仲間である仙次(小林稔持)という無二の親友がいるが彼は乙松より出世し、大きなターミナル駅・美寄駅の駅長、定年後はJRの関連企業である巨大リゾートホテルへの就職も決まっている。ひとり息子は北大を出て札幌のJR北海道の総合職として働いている。仙次の「官舎を出た後一体どこに住むんだ。家なんかないだろ。俺もお前がいないと寂しいから」とホテルへの再就職を斡旋するとの誘いも「俺は鉄道のこと以外は何もできないから」と頑なに断り続ける。                         

Photo_3 乙松はぽっぽや生活45年、雨の日も雪の日もひたすら鉄道員として働きつづけ、ひとり娘の雪子が生後数ヶ月で肺炎で亡くなったときも、妻の静枝(大竹しのぶ)が5年前に亡くなったときも「交代要員がいないから」と仕事を優先して最期を看取らず、妻は仙次夫婦に看取られて亡くなる。                                             

たったひとりで官舎(駅に付属した)での寂しい正月Photo_8 、訪ねてきた仙次と酒を酌み交わす。・・映画の殆どが回顧シーンになっており(時にはモノクロで)、厳しいカマ焚きの仕事、国労スト、集団就職のため上京する子供たちを組合で合意して特別に汽車を走らせたこと(おそらくこれらは60年代?)などが次々と描き出される。


乙松は正月でも相変わらず、雪のプラットホームに立ち、汽車を迎え、送り出す喚呼を行うのだ。                             

そのとき古めかしい人形を抱いた小さな女の子がプラットホームに現れる。「おめえ、どこのPhoto_20 子だ?正月だから帰ってきたのけ?」頷く少女。5才だという。彼女が帰ったあと駅舎に残された人形。その夜おそく今度は中学生の少女が妹が忘れた人形を取りにくる。そして次の日の夜、今度は高校生の少女が・・。彼女は駅舎に上がり、乙松が「寒いから」と差し出した亡き妻の半纏を着て乙松のために夜食を作ってくれる。あまりにも不思議な(しかし幸せな)出来事に驚く乙松だが・・とうとう彼女たちは赤ん坊で死んでしまった雪子だと気づくのだ。雪子が成長していく姿を見せに来てくれたのだと・・。                          
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翌朝、除雪車が駅に着いたとき、乙松は雪のホームに倒れて亡くなっていた。・・・       

小さな女の子が現れ、次々に成長して出てくることから「あ、これは乙松がずうっと心の中にしまいこんできた娘への想い、心象風景なのだ。」と思った。そして映画のラストを確信した。

「お父さんは仕事以外はなんもいいこと無かったから・・」という雪子。しかし、不器用にしか生 きられない乙松を取り巻く人々(仙次夫婦、駅前の食堂のおばさん、ぽっぽやの仲間や後輩たち、仙次の息子etc)などすべていい人ばかり。”ひとの人生は結局は良い人間関係が豊かにあること”とどこかで読んだが、乙松は幸せな人生を生きたといえる。Photo_17            

Photo_10          ラスト、乙松の棺が幌舞駅から美寄に運ばれPhoto_19 るシーンでこの汽車(キハ)を仙次が運転するのだがこのときの後輩運転士のセリフ 「おやじさん、キハは良い声で鳴くでしょ。わけもないけど、俺聞いてて涙が出るんだわ。新幹線も北斗星もいいけどキハの笛を聞くとなんかしらんけど俺は泣けてくる。」・・雪に曇った運転室の窓の正面からふたりの表情を捉えたラストシーン、いいラストだった。                                                 

放送の前に山本晋也氏がいっていたように、どのシーンにも赤色が効果的に使われていてとても美しい。(キエシロフスキの「トリコロール・赤の章」もそうだった) 広末涼子さん、初めて見た(CMなどでは見ていた)が、とても美しく、おそらく彼女の一番輝いていた頃の作品なのではないだろうか。                                           

A_4 最後に北海道の原野、降りしきる雪の中を走 る蒸気機関車(D51とキハ40764)の姿の圧倒 Photo_23 的な素晴らしさ。おそらく彼らは主人公の健さんと並ぶこの映画の主役でしょう。                      

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賛否両論の中で行われたチャリティマッチ:「日本代表vs J代表チームas One」・・・久しぶりにサッカーに励まされた

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大阪長居球場での試合の前売り券は発売10分で完売(その後2000席追加分も)。3:11大震災後の、おそらく日本中の辛く重苦しい気持ちをひととき忘れさせてくれるに充分のイベントだった。(肉親を一瞬で失った人々や今なお避難所での耐え難い日々を耐えている人々にはそれどころではなかったと思うけれど) 試合の勝敗は二の次、ヨーロッパ組、カズ、俊輔など集められる限りのメンバーを集めて行われたこの試合は、乾いてカラカラになった土地が水で潤っていくように満員のサポーターやTV観戦者に元気を与えたかのように思われた。

試合の結果は2:1と日本代表が勝ったとはいえ、何といってもこの日の立役者はカズ(横浜FC)、44才のこの男は後半17分にトゥーリオのヘッドによるパスを相手ディフェンスを振り切ってゴールに運んだ。この日のカズダンスは永久に多くの人々に語り継がれる「伝説」になった。(写真上:遠藤のフリーキックで先制点を上げた代表チーム、写真下はカズダンスを踊るカズ) Photo_2   
指揮官はザッケローニとピクシー(ストイコヴィッチ)。ピクシーはかってボスニア紛争の中の失意の日々、来日して名古屋グランパスでプレーしたセルビア人。国連の空爆に抗議するゼッケンをつけてピッチに立っていたことを思い出す。Photo_3                         


そして一昨日ふたたび長居球場で行われたACLチャンピオンズリーグは乾貴士のゴールで全北現代に勝利。(ピンパオンのヒールパスを受けた乾がファーに走りこんでの胸のすくようなシュートだった。)    

                しかしこの勝利の立役者はGKのキム・ジンヒョンであるともいえるほど素晴らしいナイス・セーブの連発だった。彼は大震災直前の今期J・第1節で遠藤のPKを止めた韓国代表のルーキーです。(C大阪でプロデビュー)私のブログにも書いていました。                         

ヨーロッパではUEFAチャンピオンズリーグでインテル・ミラノ(伊)とシャルケ(独)が対戦。シャルケが勝利したがフル出場した内田と後半出場の長友の直接バトルになった。サッカーファンとしては何ともうれしいニュースです。                               

付記:海で助けられたワンちゃんの飼い主が見つかりました。よかったよかった。今日通院したときDrが「犬は10日くらい食べなくても生きられますよ。しかし寒さ(おそらく夜は氷点下)によく耐えたね。」といっておられました。がんばって良かったね、バンちゃん。

犬どころではない不幸の中で・・それでも助かってよかった海に漂っていた犬

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4月1日、一匹の犬が気仙沼の沖合い2キロの海上で助けられた。彼女は吹き寄せられた壊れた木材や壊れた家具などの山の屋根の上でおよそ3週間、大波を被ったり波の上下で傾く屋根とともに漂っていたのだ。見つけた海上保安庁特殊捜索隊のヘリコプターが屋根の至近距離まで近づき、捕らえようとするのだが木材から木材へと逃げ回ってどうにも捕まらない。いったん諦めた救索隊の人々はそれでも諦めきれず(恐らく)、日没の近づく午後5時過ぎに再チャレンジ、浮きボートを近づけ運良くそれに飛び乗った犬を救助することに成功した。そのようすを動画で見たのだが感動してしまった。犬の助かったことに、そして諦めずに助けようとした保安隊の人々の熱意に。(「海猿」というのかと思ったら「海猿」は潜水隊のほうをいうらしいですね。)・・                                            

そして昨夜のTVは全ての局がこのニュースを取り上げていた。この日、自衛隊、保安隊、米軍ヘリ合計1万人以上動員しての海上捜索で見つかった遺体120のみ。捜査の困難さを表わす数字である。捜査は4日以後は行われないという。                      
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数日前、ヘリで捜査している保安員が「今までの救助は困難でも大抵生きて助けることができてわれわれも皆もとても嬉しかった。ところが大震災の救助活動はそうではなく、見つかれば悲しく落ち込むばかりです。」というようなことを言っていたのを思い出す。たとえ犬であって「生きているいのち」を助けようとした保安員の人々の熱意がよくわかる。「たかが犬」と見捨てずに助けてくれた保安隊の人々に本当に「ありがとう」といいたい。巡視船に乗り移ってすぐ、差し出されたクラッカーやウィンナーをパクパク食べていた。「飼い主が名乗り出てこなければ、新しい飼い主を探します。毛並みも状態もよく元気です。」ということだが、すでに保安庁の職員が引き取りを名乗り出ているという。(飼い主もどこかで生きておられることを願わずにおれない。)

『ゴンが残った(4/2:毎日夕刊)』 ・・岩手県宮古市。大津波に呑み込まれて壊滅した田老地Photo_2 区で津波から4日後、飼い主の家のあたりをうろうろしている犬がいた。飼い主はコンビニを経営する山本さん一家、ゴンは家族の一員として可愛がられてきたという。一家全員が行方不明の中、ゴンは飼い主を探してどこからか戻ってきたのだ。連絡を受けた山本さんの妹さんが駆けつけ、ゴンを保護した。     

仙台市には何箇所かボランティアでペットを預かる場所が設けられているとのこと。地震で壊れたがれきの町をさまよっていた犬がようやく17日ぶりに避難所に暮らす飼い主に再会した。 「チョビ、チョビ」と呼ぶ飼い主に走りよって喜ぶチョビ。「あなたの名前はチョビだったのね。」というボランティアの女性。(それまでは彼を保護した町の名前で呼んでいたとか。)再会できたのはチョビがつけていた首輪に記されていた「狂犬病の予防注射の番号」が手がかりになったそうです。動物の話になるとつい美談になってしまいますが、同じ飼い主からすると決して美談ではないのです。いやでも応でも「家族の一員」なのですから。                  

避難所のペットたち Photo_5        Photo_6                                                                                                                    

季節の移り変わりに目を留めるどころではなかったけれど・・「私の花遍歴」(その2)

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おそらく日本中が春の到来などに目をくれている余裕もない「非日常」の日々の中で、それでも春はちゃんと到来した。久しぶりに庭(歩くスペースもない狭さ)に出てみたら、放ったらかしにされていた花々があちこちでしっかりと自分で春を迎えていた。避難して人気のない町や村でもあちこちで咲き始めているんだろうなあ、ましてや手塩にかけた花の咲いたのなど見ることもできずにいる避難者のことを、つい考えてしまいながら、狭い庭にカメラを向けた次第です。                                                  

写真上:これは少し前の写真で、現在はすっか 花が終わって新葉が芽吹き始めているしだれウメ。フェンスを越えて下の家に迷惑をかけている木です。                  

もう5年以上も前になるだろうか、当時流行りだしたクリスマスローズにすっかりはまりこみ、Dscn2948_2 沢山集めたことがあった。その頃は今よりもっと高価な花だったのでなかなか手が出ず、(とくにW咲きは)、そのうえタネを撒いても親と同じ花が咲く確率が低い。(これが高価な値段を招く原因になった。)そのため生産者から安い小苗をネットで買ったり、園芸店でも購入してかなりの苗を集めたのが時を経て今では、「期待どおり」「がっかり」それぞれにきれいに咲きそろっている。病コウモウで交配までしてタネを取り撒いたものも、姉妹のようによく似たピンクの花を咲かせる鉢になり、置き場に困ってあちこちに貰ってもらった。それでもこぼれタネが育って思わぬところに花を咲かせたり、賑Dscn2957_2 やかなことです。 Dscn2958_3 そしていつの間にかわが庭に住み着いた花々。水仙、アネモネなど。これからはシャクヤク、ミニライラック、ユリ、バラ、アマリリスなどいづれもほったらかしにされても、雑草に打ち勝ってよくぞ咲いてくれます。Photo                                                           















 Photo_4ブルーのアネモネ、好きな花です。                                                      ダリア Photo_6                          

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