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あまりにも知らなかったイスラエルの内情・・・映画「約束の旅路」

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イスラエル。第2次大戦後の1948年に建国されたユダヤ人の国。19世紀末から次第に高まったユダヤ人のシオニズムは旧約聖書にあるユダヤ人の故郷シオンの丘(エルサレム)に帰ろうというパレスチナ帰還運動となった。それは最初はユダヤ人個々の入植という規模であったが、イギリスのユダヤ系財閥・ロスチャイルドとイギリス政府の支援によってユダヤ人国家の成立という形で実現した。

私のあいまいな世界史の知識によると、地中海東岸のパレスチナの地にユダヤ国家が繁栄したのはB.C.1000年頃のダビデ王、ソロモン王の時で、その王国も紀元1世紀頃ローマの支配下に入り、ユダヤ人は各地に離散したという。(旧約聖書の伝説による)イエスが生またのはこの頃のことだといわれている。                          

何しろそれは今から2000年以上も前のことだからその後ここはアラブ人の居住地になり、長くオスマン帝国の支配を受けることになった。しかし帝国の衰亡とともに勢力を伸ばしたイギリスは第1次大戦中にこのパレスチナの地にユダヤ国家を建国することを約束していた。(バルフォア宣言) しかし他方ではこの地のアラブ人に対しても、アラブ人のトルコからの独立運動を利用するためにアラブ人の独立国家建設を約束したのだ。(マクマホン宣言)                                      

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「アラビアのロレンス」(1962/イギリス映画)はアラブのベドウィンの英雄「鉄道爆破王」ロレンスが、アラブ人を率いてオスマン・トルコからの独立をめざして戦った結果、イスラエルを建国させた祖国イギリスに裏切られ、自殺(事故死説もあり)するにいたる悲劇を描く壮大な叙事詩的な映画だった、。 Photo_2           

イギリスがパレスチナの地にユダヤ国家を建設する後押しをした意図は、西アジアのアラブ人の独立運動への牽制、および第1次大戦後にソ連の援助で独立した東欧の国々の監視のため。建国されたイスラエルはユダヤ人をヨーロッパ各地からどんどんパレスチナの地に入植させ、国土を広げる膨張政策を取ってきた。私は以前「イスラエルの国土はそもそも何%程度が合法的におカネを払ってアラブ人から買い上げものか」という疑問を持ち、調べてみたら凡そ20%以下でしかなく、あとは数百万人の貧しいアラブ人を強制的に追い出して占拠し、領土にしたものだった。
                                                       (写真下:エルサレム。イスラム教、キリスト教、ユダヤ教の聖地であるため、国連はイスラエルの領有を認めていないが、事実上、西エルサレムはイスラエルが占拠、東エルサレムにもユダヤ人の居住者を増やして領有を狙っており、そのためヨーロッパ各地からのユダヤ人の受け入れは現在もますます進められている。)Photo_2                             
現在イスラエル国内には約130万のパレスチナ人(アラブ系)が住んでおり、公私さまざまな差別どころかテロによる生命の危険にさらされている。(イスラエル全人口約650万)さらにイスラエルは 核兵器を持ち、国家予算の30%程度?をアメリカが拠出している。                                           

ところで映画「約束の旅路」(仏2005)について。現在イスラエル国内の最下層を形成するエチオピア系イスラエル人(人口約9万)のことを知りたかったから見たのだ。                 
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ものがたり:1980年代、大干ばつに見舞われたエチオピアでは多くの餓死者が出、さらにソ連の支援を受けた当時の軍事独裁政権による国民への弾圧(虐待)は多くの難民を国外に流出させた。かれらは何百キロの砂漠を横切る死の脱出行を経て隣国スーダンの難民キャンプにたどり着く。(写真上:スーダンの難民キャンプ)                          

主人公の少年(9才)もまた母とふたりで苦難の旅のあげく難民キャンプで暮らしている。母はある日同じキャンプで子どもを亡くしたばかりのエチオピア人ユダヤ教徒の女性に「この子をあなたの子として連れていって」と頼み、当時(1984)イスラエルとアメリカが行っていた難民救出作戦によってイスラエル逃れることができた。(写真下:大規模な難民の輸送「モーゼ作戦」)Photo_3               Photo_4
「絶対、キリスト教徒であることを隠してユダヤ教徒のふりをするのよ。あなたは私の息子、名前はソロモン、父はイサク、おじいさんの名前はヤコブ。それ以外のことは聞かれても黙っていること。」としつこく言い聞かせた女性(2番目の母?)も途中で亡くなり、ひとりぽっちのソロモン少年はイスラエル入国後、ヨハム(養父)、ヤエル(養母)とふたりの子のいる家庭の養子として引き取られる。Photo_5                                             

いつ、自分がユダヤ教徒でないことがばれるのかという恐れで誰にでも打ち解けられない日々、そして旅の途中で亡くなった母(見知らぬ女性)が「イスラエルは地上の楽園、蜜と乳の流れる約束の土地」といっていた国は、実はエチオピア系ユダヤ人を「ファラシャ(よそ者)」として差別する国だった。学校でクラスメイトの母たちが校門前に集まり「シュロモ(ソロモン)の皮膚の湿疹はエイズのため。彼を学校に来させないで。」と口々に叫ぶ。養母ヤエルは、彼らの前でシュロモを抱きしめ、ペロペロと頬の湿疹を舐めキスをし「エイズじゃない。ストレスで皮膚病になっているだけ。この子は世界一美しい子よ」と言い返し学校に通い続けさせる。夫婦は実のこと同じようにシュロモを愛し育てる。Photo_6                                              
実は養父母は「無神論者左派」と呼ばれる人々でそれを世間に隠すこともない。(イスラエルにはこういう人々もいることを知った。)、シュロモが実はユダヤ教徒でないことも本当は両親に隠す必要はなかったのかも知れないがシュロモはあくまでエチオピア系ユダヤ人であるふりをし続ける。シュロモが最も信頼するのはエチオピア人のラビ(ユダヤ僧侶)ケス・アムーラ師。TVで彼を知ったシュロモは彼の独居を訪ね、実母への手紙を代筆してもらうのだ。(シュロモは母国のアムハラ語を喋れるが書けない。)以後アムーラー師はシュロモの心の支えとなる。しかし彼にも自分の素性を明かそうとはしない。Photo_7
キブツに入ったシュロモはここでもひとりぽっち。しかし訪ねて来た養父の父であるおじいちゃんはキブツの創設者のひとりだが「民族や宗教の違いを超えて皆で土地を分かち合い愛を分かち合うことが大切。」だとシュロモにいう。                          

高校のクラスメイト(だったかも?)のサラと恋に落ちたシュロモは、サラの父に徹底的に嫌われる。彼はアシュケナジムのポーランド系ユダヤ人でファラシャを侮蔑している。Photo_8
イスラエルの上層部を構成するのはアシュケナジムと呼ばれるドイツ、東欧から来た人々とセファルディムと呼ばれる南欧系の人々。アシュケナジムは」ソ連崩壊時に激増した。指揮者・ピアニストのウラディミル・アシュケナージもここから来る名前なのだろうか?                                               

シュロモは支離滅裂な存在である自分のアイデンティティは?、とうとう思いつめて行きずりの交番で「私はユダヤ人ではない。キリスト教徒です。」と名乗り出る。中年の警官はシュロモにいう。「最後まで耐えろ。そうしたら俺がお前に仕事を見つけてやる。」彼もまたかってユダヤ人として差別を受けてきたつらい経験から「ファラシャ」である少年に暖かかった。

成人したシュロモは、祖国に帰るために医師になることを決意し、パリに留学する。

1994年、TVでアフリカの大干ばつ、キャンプでの赤痢の蔓延を知った医師シュロモは「国境なき医師団」に参加しスーダンの難民キャンプに赴く。反対したサラもシュロモの子を身ごもって初めて彼の「母親探しの旅」を理解するのだ・・そしてスーダンのキャンプに赴任することを決意する。そして難民キャンプに戻った彼は・・。 

イスラエルの内情を殆ど知らなかったので2時間を越える映画だったがあっという間に見た。次々と三人の母に守られて成長したシュロモ。(監督は会見で「4人の母(サラを加えて)」と述べている。                                         

演じた青年俳優シラク・M・サバハもまたエチオピアからの死の逃避行をしてきたファラジPhoto_10 ャだということです。                                         

エチオピア山中に古くからユダヤ教徒がいたことについては「ソロモンとシヴァーの末裔」「モーゼのエジプト脱出の際、一行の一部の人々が住み着いた」など諸説があるがいずれも学問的は定説はないということだ。イスラエルがアメリカの支援で「モーゼ作戦(1984-5)、ソロモン作戦(1991)によって数万人のエチオピア人難民を救出してイスラエルに輸送したことについては「両国の難民救済プロパガンダ」でもあったが(エチオピア系ユダヤ教徒だけを選別したことも理不尽)、当時イスラエル国内ではパレスチナ人が急増していたため危機感を持ったこと、とりわけ東エルサレムを占拠するためにユダヤ人口を増やすという政治的意図があった。                                       

映画「約束の旅路」は各地の映画祭で多くの賞を得、日本公開に際しても「文部省指定」映画にされた。私はこの映画のテーマは「諸民族の平和的共生」だと思った。しかしそれを突き詰めるとそもそもイスラエルという国の存在は否定されねばならないのだが。   

さらにイスラエル人の中にも養父母のように「左派無宗教の人々がおり、彼らはアラブ人との戦争を否定しながらも、将来はわが子をその戦争に送り込まねばならない。(徴兵令のため)それならと国を出たとしても好戦的右派の好き放題にさせてしまうから選挙権を放棄することはできない。」というジレンマに苦しんでいるのだ。(監督談)

Photo_9 ラディユ・ミヘイレアニュ監督はルーマニアで生まれたユダヤ系フランス人。「私の中には2つのアイデンテティがあり、どこにいても”よそ者”という辛い思いをしてきました。しかし自分ではない他人になることによって自分自身を解放し、他者に歩み寄ろうとすることができるのでしょう。」と述べている。                                                  

さらに彼は「ユダヤ民族とは人種として定義されないし、また宗教としてのみ定義されるものでもない。ユダヤ民族はある伝説と言語と歴史に対する独自の関係を幾世紀にもわたって維持してきた人々の集団として定義される。」としている。

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