日記・コラム・つぶやき

8月に入り予想した猛暑がなく涼しい日々・・つれづれなるままに

昨年の猛暑によって日本人女性の平均寿命がコンマ以下だが縮んだとか。私などは多分コンマ以上の数年は短くなったと思う。生まれ育った土地が内陸部で夜になると昼間の暑さがPhoto ウソのように消え、夜明けはふとんを被らないと肌寒いのだった。帰省したとき、夜の故郷の駅の大気は冷え冷えとして気持ちが良かったものだ。人間は3才頃までに汗腺が作られるという話を聞いたが、私の汗腺はおそらく少ない方に入るに違いない。              

ところがここ数日は「覚悟」をはぐらかされたかのように涼しい。湿度が高いのでちょっと外出すれば汗まみれにはなるが、照りつける日差しは弱く、昨夜も夕立?が降った。何か夏の終わり、秋の到来すら感じさせられるような気配である。結構なことではあるがお米の収穫が日照不足で落ちるのでは、と心配にもなる。そして未だ万を超える被災者が被災所で暮らしているという苛酷な現実。先の見えない原発事故・収束への道すじ・・・考えると落ち込むことばかりだ。

Photo_2 そんな中で少しでも明るい話題。                                      

「世界水泳選手権・上海2011」をTVでときどき見ている。水しぶきは見ているだけで涼しげでいい。昨夜は「男子メドレー400m決勝戦」、日本は惜しくもメダルを逃し4位になったが、何しろ秒コンマ以下の戦いだから大健闘、迫力満点だった。この大会もアメリカが圧倒的に強い。メダル数は他国より1ケタ多く(中国と並んで)、筋骨隆々の若い選手であふれているが気になるのは今まで(過去の大会でも)黒人選手を見たことがないこと。特にアメリカでは陸上などではアフリカ系選手が活躍しているから余計に異様な感じがする。人種差別の実態を突きつけられているようだ。                 

Photo_11 アメリカでは60年代に高まった公民権運動がそれまでの「Separate but  Equal 」のまやかしを告発した。(同じように施設や条件を作れば人種ごとに分離しても憲法違反ではないという考え方)しかし実情は黒人は白人が線引きし縄で仕切られた海岸には入れず、バスの席は後方と決められ、公園や公共施設は自由に使えず、黒人専用の劣悪な学校に通い、一部恵まれた黒人(北部の大都市の大学に進学)以外には大学教育を受けられず、貧困の中に放置されてきた。プールの利用などはとんでもない話で白人が嫌がるので黒人も入ろうとしない。(学校にプールがある日本と違い、有料のプールが殆どで黒人は入会も断られることが多い。)公民権運動以後の現在でも主として南部ではこれらの実態は殆ど変わっていないという。                                                

「プロ野球もアメフトもかっては別々だったが現在では黒人選手なしには考えられないから、いずれは水泳もそうなるのでは」という楽観論もあるが私はまだまだ道は遠いと思う。ゴルフのタイガー・ウッズが出る前に「黒人ゴルファーが少ないのは黒人が体格上ゴルフに向かないから」と平然と言う白人をTVで見たことがあるが「黒人の筋肉、体脂肪が水泳に向かない」とまことしやかに言う人々が現在でもいる(日本人にも)のはあきれてモノもいえない。 

一方、中国がホスト国としてアメリカと競う20個以上のメダルを得ているのはすごいと思うが、浙江省での高速鉄道の事故の顛末を見ると「怖ろしい国だなあ」と思ってしまう。死者数35人のウソ臭さ、翌日には大穴を掘って落下した車両、犠牲者の遺物などを埋めてしまう非常識(狂気)、温家宝首相の現地視察のために一夜の突貫工事をして現場に作った道路。人口が12億もいるから人権などいちいち考えていられないんだよということだろうか。 

Photo_4 サッカーW杯・ブラジル大会の3次予選のグループが決まった。(ジーコが引いた)「シリア、北朝鮮、ウズベキスタン、日本」。     

ウズベキはアジアカップで4位になった洗練されたパスサッカーが強い国。          

北朝鮮はフィジカルが強く典型的なカウンター・サッカーだがどこまでポゼッションサッカーの技術、多様な攻撃スタイルが進化したか。代表選手のチョン・テセは「日本と一緒にWカップに出る」と意欲満々だ。(各グループ2位まで決勝トーナメントに進出)           

シリアはサッカーについてはよく知らないが、とにかくここ数年の政情不安(最近も反政府デモで数百人規模で殺されている)が心配。愛読している宇都宮徹壱氏はブログで「まあまあ良し。とにかくアウェーが全部遠くて気候の苛酷な中東の国でなくて良かった。」と書いているので私も良ししとしよう。カタール、UAE,ヨルダン、Sアラビアなどとあたるのも決して喜ばしいことではないから。Photo_6 (写真左上:ウズベキスタンの首都、オアシス都市として旧い歴史を持つタシケント、下はこちらも古代から繁栄してきたシリアのダマスカス)                                     

ところで来春のためにチューリップをネットで注文した。今予約しておかないといい品種は早くうれてしまう。(写真下:購入したチューリップ。通販業者さんのカタログ写真ですが、このとおりに咲いてくれればいいのですが)Photo_7                  

秋に咲かせるダリアは少々苗が弱弱しいが一応順調に育っている。(ダリアは球根が高くて1個1500~2000円などはざら)こちらも秋には期待通りに咲いてくれるだろうか。(ダリアとアマリリスの生産業者AGSさんのシニアボールです。↓)    
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「三陸海岸大津波(吉村昭著)」1970・・改めて思う、東北大震災は「想定内」であったと・・

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今回の3:11東北大震災で、吉村昭著「三陸海岸大津波」が再び世間の脚光を浴び、読者が増えているということで、私も早速、市の図書館に予約していたのが入手できたので読んだのだ。吉村昭のファンを自称する私は恥ずかしいが彼のこの著の存在を知らなかった。当初は「海の壁」という題をつけて世に出したのが「あまり気取りすぎているのではないかという反省」で文庫版にするときに題名を変えたと”あとがき”で記されている。記録されている内容は   

*明治29年6月の津波(1985)                                    

*昭和8年の津波(1938)                                        

*チリ大地震による津波(1960)                                   
の3つの大震災であり、いずれも作者の現地での丹念な聞き取りによってわかった事実のみが淡々と記されている。著者の吉村昭は「戦艦武蔵」でドキュメンタリーというよりも”記録小説”というジャンルを開いた作家で、丹念な資料収集、読み込み、現地取材、関係者への聞き取りという方法により、作家の主観を可能な限り排し、客観的かつ冷静な文章が特色の作家で、読者はその静謐な文体と内容に、逆に作者の強い思い入れ(主観?)を読み取り感動するのだ。(ちなみに「戦艦武蔵」はこの巨艦が作られる過程からレイテ沖で撃沈するまでを記録したもの)                                               

*明治29年の大津波・・・これを実際に経験した人(当時は子ども)が殆ど生きていないという状況の中で、高齢のわずかな数の生存者からの聞き取りによって生存者の記憶による証言が記されてている。(震災からこの本が書かれた年まで既に80年近い歳月が経っている)
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主たる被災地となった青森、岩手、宮城三県は豊富な水産資源に恵まれた漁場ではあったものの、内陸部と通じる道やインフラは当時殆どなく、村々は互いに孤立し(辛うじて船で行き来)貧しい暮らしをしていた。津波の予兆は例をみない湿気の多い梅雨期の不漁とそれに続く急激な豊漁があまりにも奇異であったこと(海岸近くに押し寄せてきた大マグロのすざまじい群れ、鰯やうなぎの大漁。しかしその40年前の「安政の大地震」での大津波で多数の死者の出た三陸海岸はこのときも同じように直前に異様なまでの大漁があったと当時村の古老が記憶していたという。                                        

6月15日夜、昼間から続く数回の弱震をあまり気にもとめず家々では端午の節句の祝い(旧暦)のPhoto_4 席が設けられていた。しかし夜8時を過ぎたころから海は動き始めていたのである。長大な(場所によっては1キロ以上)引き潮によって海岸線は遥か彼方に遠のき『、闇の沖合いで異常にふくれ上がると、満を持したように壮大な水の壁となって海岸方向に動き出した。・・「ドーン」「ドーン」という音響を耳にし・・或る者は、それを雷鳴かと・・また或る者は、大砲の砲弾を発射する音のように聞いた。』『すさまじい轟音が「三陸海岸一帯を圧し、黒々とした波の壁は、さらにせり上がって屹立した峰と化した。・・波はすさまじい轟きとともに一斉にくずれて部落に襲いかかった。・・人々の悲鳴も、津波の轟音にかき消され、やがて海水は急速に沖にむかって干きはじめた。家屋も人の体も、その水に乗って激しい動きでさらわれていった。・・』『津波は、約6分間の間隙をおいて襲来、第一、第二、三波を頂点として波高は徐々に低くなったが、津波の回数は翌16日正午ごろまで合計十数回にも及んだ。』               
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聞き取りが行われた古老(中村氏・高台の自宅が津波に呑み込まれた)の家に導かれた吉村昭は同行した村長からこの家が海抜50mの高台に位置することを聞き驚愕する。この大津波でもっとも被害の大きかった岩手県の気仙郡ではほぼ村人が全滅するという村々が多く出た。(メディアで聞きなれた「田老地区(村)」も全滅)                      

話は変わるが、現在被災地からのレポートを担当する報道関係者に「心の病気」が急増しているという。その理由はTVで放映されないすさまじい遺体の山々(多くはむごたらしく損傷されている)、手が回らず放置された遺体が発する悪臭などで精神的に打ちのめされてしまう者が多いという。この明治29年の津波においても住民の5割~10割の死者を出した村々では遺体の収集作業すらおぼつかなく長期にわたって放置された多数の遺体の山は地域全体にすさまじい腐敗臭を放っていたという。                                       

*昭和8年(1933)の大津波・・1929年に始まる世界恐慌の波は東京大震災(1924)と引き続く金融恐慌の打撃から未だ立ち直れていない日本経済に決定的ダメージを与えた。さらに1930年~34年の東北地方の冷害による大凶作はかの宮沢賢治の「雨ニモ負ケズ」の詩の背景となり(賢治は1934没)、「村で寝るふとんのある家が皆無」「村役場が娘の身売りを斡旋」など目を覆うばかりの惨状をもたらした。(写真下:村ごと喪失した田老町)
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このような時期(1933)に到来した大津波は明治29年と同じく、その被害は岩手県が最大で、青森、宮城がこれに続き、人口が全滅に近い被害を受けた村々も多くあった。前兆としては「井戸水の混濁、渇水」、「異常な豊漁」などが見られ、海の彼方の砲声音のような響きが各地で聞かれた。地震は3月3日の夜半、午前2時32分。凍りつくような寒さのためいったん戸外に出た人々が再びふとんにもぐりこんだ十数分から30分後、3回から6回の大津波が襲来した。悲惨を極めたのは田老、乙部地区で全戸がほぼ波に呑まれ、1900人の村人のうち生存者は36名、他にマグロ漁のため沖合いに出ていた60名の猟師が助かった。     

*チリ地震津波(1960)・・この津波は「地震の後に津波が来る」という住民の常識を覆しPhoto_8 、5月24日、最初は異常なまでの引き潮が始まり、午前4時半頃から津波が押し寄せてきた。「海水が膨れ上がってのっこ、のっことやって来た。」「海面が平面的にふくれ上がり、街路や家々が静かに水の中に浸っていった。」と住民の証言が記されている。            

津波は陸に這い上がり人家を呑み込み奥のほうにすすんでいった。大船渡市赤沢地区では電報電話局の2階まで水没し、他の人家は全て流失してしまった。幸いなことに建設されていた防潮堤の存在、夜明けという時間帯であったことなどから失われた人命は岩手県だけで61名と少なかった。この津波に関しては多くの記録、証言が残され、小学生たちの作文集としても保存されている。                                          

三陸海岸を愛し、幾度となくこの地を訪れている吉村昭は結びでこう記している。「津波は、自然現象である。ということは、今後も果てしなく反復されることを意味している。海底地震の頻発する場所を沖にひかえ、しかも南米大陸の地震津波の余波を受ける位置にある三陸海岸は、リアス式海岸という津波を受けるのに最も適した地形をしていて、本質的に津波の最大災害地としての条件を十分すぎるほど備えているといっていい。津波は、今後も三陸海岸を遅い、その都度被害をあたえるにちがいない。」                           


Photo_9 吉村昭氏は「都会の海は単に汚れた水の溜まり場に過ぎない。私が三陸海岸を愛するのはこの地の海が人々とともに生きてきた海であり、今も人々の生活に溶け込み、共に日々の暮らしを営んでいることに感動するのだ。」と記している。                      

時には巨大な怪物と化して人間の生命すら奪ってしまう海。しかし人々は決して海から離れようとせず ”万里の長城”のような防潮堤を築いてでもこの地で生きてきたのだ。先日TVを見ていたら南三陸町(だったか)の漁業にたずさわる人々は、今後もあくまで被災跡地に新たな町を作ろうとしていることを知って驚きというか感動すら覚えた。彼らは「今までの防波堤がダメならもっともっと巨大で頑強な「万里の長城」を作ってでもこの地を離れたくないのだ。(写真右下:「田老万里の長城」と呼ばれた防波堤:大津波はこれを越えて町を呑み込んだ)Photo_12

最後にこのような世界有数の大震災地帯であるということを知りながら福島、女川、六ヶ所村、そして茨城・東海村の「核燃料製造施設」などを作ってきた政治と企業の狂気に改めてショックを受けた。さらに8世紀初(平安初期)の「貞観の大震災」(日本三代実録)が今回の大震災にきわめて類似点が多いこと、地質学者たちの地道な地層の現地調査、研究・解析によってその実態が(津波の高さ、浸水地域など)」かなり明らかになっているというその報告書すら真摯に読もうとせず恐らくは”デスクの肥やし”にしていたであろう東電の「不真面目・根拠のない楽観主義」はもはや何をかいわんやである。ましてや「今回の震災は想定外の規模であった」という理由で「賠償の免責」を言いはじめている東電元社長・ 清水某のあつかましさには呆れるばかりである。二重の被害を受け(放射能汚Onagawa 染)かけがえのない故郷を失った人々に対する責任は未来永劫に償うことはできない。(写真は、辛うじて持ちこたえた女川原発。明治29年の大津波の中心被災地に立地。)                                                  

付記: 作家・吉村昭の作品は歴史からテーマを取ったものが多く私が初めて氏の小説に 出会ったのは「長英逃亡」(毎日・夕刊小説)でその後「ふぉん・しいほるとの娘」など幕府の迫害に耐えて洋学(蘭学)を修めた人々の生涯を描くものをいくつか読んだ。さらに短編「帰艦セズ」・・海軍の少年兵が「天皇の下賜品」として命よりも大切と教えられたアルミの弁当箱を演習時の山林で紛失し、それを捜し求めて最後に餓死しているのが見つかった・・を読んで(これも実話をもとに書かれている)強い衝撃を受けたことを憶えている。 

吉村の小説には作家の主観や心情などは極力排されているが、氏の「エッセイ集」には私生活のもろもろ(津村節子氏 は妻で小説家)、各地への取材旅行のあれこれなどが記されており、私はこちらも好きで図書館にあるものは全て読んでしまった。吉村は少年時代に両親が病死、大学で文学に巡り合うが中退して兄とともに弟妹を養いつつ(時には行商も)小説家になった。「冷たい夏、暑い夏」は中年になった弟を癌で亡くした(入院生活から葬式までの)経験を記して、吉村の誠実な人柄がしのばれる作品である。なお吉村昭自身も2007年にすい臓癌で亡くなった。最後は看護する娘さんに命綱の点滴を外すように指示されて亡くなられたという。     

そして春の日は過ぎ行く・・・小さな我が家の庭にもさまざまな花が咲いて

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未だ復興のプログラムの不明な東北大震災のすざまじい爪あと、さらに収束の見えない原発の大事故。「福島は緑の山々と花の咲く村々、青い海の本当に美しい土地」と聞いている。(私は汽車で通り過ぎただけだが)今、その地に帰郷するあてもなく一瞬で失った家族を探すこともできない人々は日々、どうやって自分を失わずに生きておられるのだろうと胸が痛むなどと簡単に書けない思いだ。私が住んでいる町も原発の電力に7~8割方を依存することによって快適な生活を享受しているが、いざ事故が起これば(若狭の原発密集地)飲み水はおろか、数百万という人々の安らかな日常生活は失われるであろう。そんなことを毎日思いながら過ごす日々、しかし我が庭にも春は訪れ、過ぎ行こうとしている。しだれ梅、菊桃というはなやかな花は大震災の起こった前後だったため、愛でる余裕もカメラを向ける暇もないままに散ってしまった。そして今朝、ようやく現在咲いている花を撮ってきた。(デジカメが10年以上前に買ったモノで全然うまく撮れないのですが)                           

写真上はライラックの木。矮牲で1mほどの大きさなので小さな庭にちょうど良い。30センチほどの苗木を種苗会社の通販で買って、後は放ったらかし。あれやこれやの植物に囲まれても健気に毎年咲いてくれます。                                   Photo_3 薄いブルーのクレマチス(名前は札落ちして不明)が今年初めて花をつけた。(写真左)ネット の専門業者から数種類の苗を買い、酷暑で全部枯れたと思いきや、地下茎は生きていて芽吹いたのです。                

あちこちのブログを覗くとクレマチス・ファンがとても多く、各々コレクションのきれいな花々を載せておられるので、つられて買ってしまったのだ。業者のサイトにはさまざまな形、色の素晴らしい花が沢山あり、ネーミングも「清姫」「プリンセス・ダイアナ」など素敵。誘惑に負けずにこれ以上増やさない決意をしています。

写真右の真紅の花は「星のフラメンコ」。2輪咲いたばかりでも存在感ばっちり。小さな鉢なのであといくつ咲いてくれるだろうか。       Photo_4             

写真下の花はクレマチスの中でも「モンタナ系」といわれ長く茎を伸ばして広い面積の垣根などを覆い尽くすように仕立てるといいとか。我が家はそんなことムリなので、ようやく狭い空間に初めて咲いてくれた。名前は「ローズ・バッド(バラの蕾)」。伝説的アメリカ映画「市民ケーン」(1941・米)は新聞王ウイリアム(実在だった) のスキャンダラスな生涯を名優オーソン・ウェルズが脚本、監督、主演した映画で、私も学生時代に名画座で見た。ウィリアムの最期の言葉が「ローズ・バッド!」(謎のこPhoto_6  とば)でしたね。謎は明かされますが・・。うすいピンクの釣鐘状の花がモンタナ系の特色で「プリンセスダイアナ」も蕾をつけていたのに昨日あたりからしおれかけているのです。クレマチスはむづかしい花です。Photo_10           





シンビジュームが季節外れに咲いていた。お正月に室内用に商品化されているが、放っておいたら寒さにも慣れて春になってから毎年さいています。Photo_7       

シャクナゲは苦手な暑さ(とくに昨夏はすごかった)にもめげず花をつけた。木が大きくなるのと樹形がいびつになるのであまり歓迎しない花だが、数年前に「シャクPhoto_8 ナゲ園」で買ったモノ。             
クンシランはふつう鮮やかなダイダイ色だが、これは薄い黄色。随分以前に種苗会社から小苗を買ってここまで大きくなった。夏の暑さで葉っぱを沢山ヤケドさせてしまったが、色がめずらしいので玄関前に置いておくと通りがかりの人が声をかけてくれます。Photo_11




「紫ラン」は小さい頃、田舎に沢山咲いていた懐かしい花。我が家ではいっこうに群落になってくれない。バラが咲き出したらまたアップします。自慢するほどの出来ではないのですが・・。Photo_9                         

季節の移り変わりに目を留めるどころではなかったけれど・・「私の花遍歴」(その2)

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おそらく日本中が春の到来などに目をくれている余裕もない「非日常」の日々の中で、それでも春はちゃんと到来した。久しぶりに庭(歩くスペースもない狭さ)に出てみたら、放ったらかしにされていた花々があちこちでしっかりと自分で春を迎えていた。避難して人気のない町や村でもあちこちで咲き始めているんだろうなあ、ましてや手塩にかけた花の咲いたのなど見ることもできずにいる避難者のことを、つい考えてしまいながら、狭い庭にカメラを向けた次第です。                                                  

写真上:これは少し前の写真で、現在はすっか 花が終わって新葉が芽吹き始めているしだれウメ。フェンスを越えて下の家に迷惑をかけている木です。                  

もう5年以上も前になるだろうか、当時流行りだしたクリスマスローズにすっかりはまりこみ、Dscn2948_2 沢山集めたことがあった。その頃は今よりもっと高価な花だったのでなかなか手が出ず、(とくにW咲きは)、そのうえタネを撒いても親と同じ花が咲く確率が低い。(これが高価な値段を招く原因になった。)そのため生産者から安い小苗をネットで買ったり、園芸店でも購入してかなりの苗を集めたのが時を経て今では、「期待どおり」「がっかり」それぞれにきれいに咲きそろっている。病コウモウで交配までしてタネを取り撒いたものも、姉妹のようによく似たピンクの花を咲かせる鉢になり、置き場に困ってあちこちに貰ってもらった。それでもこぼれタネが育って思わぬところに花を咲かせたり、賑Dscn2957_2 やかなことです。 Dscn2958_3 そしていつの間にかわが庭に住み着いた花々。水仙、アネモネなど。これからはシャクヤク、ミニライラック、ユリ、バラ、アマリリスなどいづれもほったらかしにされても、雑草に打ち勝ってよくぞ咲いてくれます。Photo                                                           















 Photo_4ブルーのアネモネ、好きな花です。                                                      ダリア Photo_6                          

春が来て花が咲く・・数日前までは雪が降り積もっていたのに

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ここしばらく雪が降るほど冷え込むかと思えば、今日のように春の訪れを実感させられるような暖かい陽射しが降り注いでいる。私はといえば去年の終わり頃から時たま胸が締めつけられるような重苦しさを感じ、とうとう循環器科のクリニックへ、そして検査と相成った次第だった。職場の検診で心電図にひっかかったことがなかったのに、ここにきてようやくさまざまな苦労が積もり積もって心臓を痛めつけていたのだ。24hホルターというものをつけて検査した結果、胸苦しさの原因が判明「期外収縮」(2段脈)が発見された。Dr.の見立てでは「命に別状のあるモノではないので(つまり何らかの心臓病から来るモノではない)、放っておいてもよろしい。ただし睡眠不足、過労はダメ、適度な運動をする」ということで、一応無罪放免ということになった。しかし、胸苦しさ(不整脈から来る)は気にしだすと案外辛いものでなぜか疲れやすく、一日家にいる日ですら夕食後はどっと疲れる。サッカー・アジア大会以後はそちらの楽しみもなくなり、韓ドラも借りてきてもこれといって面白いモノもなく、ウツ傾向の日々を送っている。                                                 

ブログも大した内容でもないのに更新に案外エネルギーが要るのでついつい間隔があいてきている状態で、何とか「消えてしまわないように(ココログ管理人に消されないように)今日はつれづれなるままにあれこれの事どもを取り上げてみたい。                 

* 春がもう到着しています。・・・久しぶりに冬枯れの庭に出てみたら(ネコの額もありませPhoto_2 んが)あちこちに花が咲いていた。まず「雪割草」・・銘花とよばれる一鉢数万円もするものはひとつもないが、ヤフオクで愛好家から安く入手したものばかり。ちらほらと咲き始めていた。小さく地味な存在ながら、その可憐さは見る者の気持ちを癒してくれる。(写真下)ウチの花はどれも無名だが、私にとっては十分可愛い花ばかりだ。                  
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次にクリスマスローズ。これは東欧のトランシルベニア(ドラキュラ伯爵伝説の?)が原産地Photo_5 で(チベットの深山にもあり)近年、爆発的ブームが起こった。品種改良でさまざまな花容、色のものが流通しているが、そもそもは地味な白いクリスマスに咲く花だとか。私も興味半分に交配してタネを取り撒いたらほとんど全部が 発芽して40鉢もの自家産が育ち、あちこちに貰われていったが、まだまだ多すぎて狭い庭を塞いでいる。親株と同じ花色にならない(咲くまではどんな花か分からない)のがこれまたマニアにとってはスリリングな花なのです。(それでも我が家のはほぼ全部が親に似た薄いピンクの花だった。残念ながら親と同じ八重咲きはひとつもなかったが。           
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*フィギュアスケートの四大陸大会終わりましたね。全部は見なかったけど、男子のショートとフリーは見た。大輔くん、フリーで4回転ころんだけれど、彼ほど魅力的なスケーターは今まで見たことがない。3月の世界選手権で4回転成功させれば言うことなしの世界一です。

小塚選手はSPの失敗をフリーでよく挽回した。羽生くんは本当に可愛い「白鳥」だった。

女子は安藤がいよいよ彼女のスケート人生最盛期に入った感じです。真央はジャンプの基本からの修正からスタートしてよくぞここまで来たと驚嘆に値する。フリーでは3アクセル(3回点半)も成功、いよいよ世界選手権へ向けてベクトルは完全に上向きです。                   
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*サッカー、世界に羽ばたい選手たちのことを案じています。長友はインテルでスタメンでのフル出場。このまま怪我せずに定着すればおそらくアジア系選手の史上初ランクに上Photo_13 るでしょう。(パクチソンを越えて) 内田(ドイツ・シャルケ)、岡崎(同シュツットガルト)、川島(ベルギー・リールセSK)、吉田麻也(オランダ・フェンロ)、家長(リーガ・マジョルカ)etc・・数え切れないほど多くの選手がヨーロッパに出ています。                               

そうそう、陰ながら応援している長谷部(ドイツ・ヴォルフスブルク)のライバルとしてKリーグからク・ジャチョルが入団し、監督(リトバルスキー)からも絶賛されているとか読んで心配していましたが昨日のリーグ戦ではやはり長谷部がフル出場でホっとしています。ともあれ強いライバルがいること(ボランチ)はいいことではあるので長谷部君よ、ポジションを奪われないように頑張って下さいね。・・ということで今日のブログを閉じます。Photo_12

毛糸の山に囲まれて・・・下手の横好きの記

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小さい頃から毛糸編みが好きで、そのくせ手先は不器用、仕上げは大雑把なのにヒマがあったら編み針を動かしてきた。のんびりした韓ドラなどは手でも動かしていないと貧乏性の私などはまどろこしくて仕方がないのだ。さすがに”これ”と定めて見る映画やサッカー観戦は”ながら観戦”はできないが・・・。                                  

落ち込んでいた2~3年前は毛糸をみるのもイヤで押入れのストックを「エイッ」と捨ててしまいたい気持ちですらあったのが、いつの間にか再び編み針を持てるようになったのはウツが軽くなったいい傾向と思い、今年も気持ちのままにあれこれ編んでいる。(写真上:オクで買ったソックス用のアクリルとウールの混紡糸。アクリルは嫌いなのだがソックス用には仕方が無い。1玉430円のが30玉(12900円ですよね。)1000円から出て3000円で落札したもの。出品者は多分バッタ屋?。何でも1000円均一でブランド毛糸、コーヒー缶、ジャム、タオルなど多様な出品をしている。           

以前はこの近くにあった毛糸屋もなくなり、駅前の繁華街に行っても毛糸が置いてあるのはPhoto_4 大手の「クラフトショップ」のみ。以前は母などはこどもに着せるために必要に迫られて編んでいたのが、最近の傾向は「買ったほうが安く、センスもいい」ものが町にあふれているためPhoto_2 必要に迫られて編む人はほぼ皆無で、編み物をする人はだんだんコアな趣味家になりつつあるようだ。ネットでぐぐるとそういう人々のブログが山のようにあり、「高級な外国のブラPhoto_5 ンド糸」「国産でもさまざまな種類の個性的な毛糸」 安い実用的なモノがいい人には「リーズナブル商品専門の毛糸屋」までさまざまなショップがあり、ネットフレンドでお互いに情報交換をしているグループもある。(写真上と右は、現在私が一番好きな毛糸。野呂英作さんというハラボジ(おじいさん)が小さな町工場で作っている毛糸で、色が斬新すぎて日本よりも欧米で大人気の毛糸です。上から「ゆうぜん」、「くれよん」、「すずらん」」と名前も素敵。こういうのがバーゲンになると購買欲を抑えられなくなるので困る。                                                  

私もあちこちの毛糸屋さんのウィンドウショッピングをして時間を費やしてしまうことが多い。とくにブランド毛糸のバーゲン(廃番色や、生産終了のものなどは5~60%offはざら)、年末年始の福袋などは大人気で出品と同時に売りきれて しまう。ということで編み物好きは毛糸好き・・ストックを減らさなければと思いつつもつい新しいモノに手を出してしまう昨今である。

Photo_6 さらにヤフオクの毛糸カテゴリーも大賑わい、最近は工場の余り「工業用糸」をコーン巻きのまま買って何本かを引き揃えて自分の気に入った毛糸を作る「引き揃え糸」が大人気で、安い上に(着分でも1000円台でまかなえる)好みの色や変わり糸ができるので楽しい。そのため工場の余りのコーン巻Photo_7 糸が毛糸産業地域(岐阜、新潟)から大量に出品されている。(左:コーン巻糸。何本か引き揃えて編む。写真は糸巻き器で数本引き揃えて作った毛糸)                                  

ところで私はというと、この冬はベスト3枚、チュニック1枚、ソックス2足仕上げました。他人に貰ってもらうほどの出来ではないが、実家や旧来の田舎の友人などに勝手に送りつけている次第である。(写真下は、この2日でひまを見て編んだソックス。) Dscn2868 下の写真は現在入札中の毛糸。野呂さんの「ぼんぼり」で定価は1玉800円くらい。出品者Photo_9 はなぜかアソート(色まぜまぜ)で買って何を作ろうとしたのか?途中で放棄して「まとめて10円」で出品。現在4人入札で500円に上がっている。ほどいた玉も混じっているので私は600円を越えたら降りるつもり。幸運にも手に入ったら暖かい「レッグウォーマー」を編む予定。                        

付記:いよいよ今夜「アジアカップ:決勝トーナメント第1戦vsカタール。メツ監督は「日本はアジアのバルサだ」と最大の賛辞。(本気でいってるの?)レフリーは2004の例のヨルダン戦で(ピッチのぬかるみで)「エンド替え」をしてくれたマレーシアのスブヒリン。何か運命を感じる。(?)

心まで寒くなるような冬の日々・・・ブログを書く気力も衰えて

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昨日、久しぶりにクルマで隣市の病院まで出かけたが、土曜日だというのにクルマの多いこと。それも仕事のために乗っている人々のクルマが多い。冬枯れの薄ら寒く暗い街は過労の労働者と、ウォーキングで少しでも健康を保とうとする以外にすることのない年寄りだらけだ。そして私みたいな病院通いの者たち。なにかプラス・ベクトルのものは無いのかいと思いつつ帰宅したことだった。                                            

8月初旬に立ち上げたブログ、日記のように几帳面に毎日更新を続けてきたがここにきてようやく息切れが出始め、隔日に、と方針転換したのが時には2日も空いてしまう。つくづく、ちょっとした文章でも書くのは大変だと思い知る。一番の原因は「書きたいことがなくなる←心が落ち込んで」ということなのだが、これは精神衛生上良くない。・・ということでとりとめもなく日々の雑感を記してみた。                                       

この所、やはり一番の関心事は「サッカー・アジアカップ」。グループリーグの第2戦は真夜中(午前1時15分キックオフ)、風邪気味だったし、もし負けるということになると気分的に眠れないし・・と迷った結果やはり見てしまった。(内容はブログに書いたけれど)あの後、「誤審」をめぐってさまざまあり、JFAの「次戦・川島出場」の要求も退けられるわ、本田と松井が痛んで出られないかも・・といろいろな不安要素を抱えての最終戦・vsSアラビア戦を迎える。 

Sアラビアはドイツ・ワールドカップにも出場した「中東の雄」、今回の不調はいったいどうしたPhoto_6 ことか、しかもカップ戦途中で監督交替とは。「勝ち点0ですでに敗退が決定しており、失うモノは何もないだけに危険なチーム」とザックが分析するとおり、簡単には勝たせてくれないだろう。ましてや失礼な見方をすれば「憂さ晴らしのラフプレー」で怪我をさせられる可能性だってある。日本はドローか勝ちでトーナメント進出が決まるという条件的には有利な立場にあるが、それはそれで又心配事も増えるというのがファン心理である。                  

Photo_2 ところで出場禁止の川島に替わってGKを勤める西川周作についてだが、私はかねがね彼を高く評価してきた。国際Uでのいくつかの大会での経験、北京オリンピック、そして2006年ドイツW杯での選出(結局出番はなかったものの)、つい先の国際親善試合・対アルゼンチン戦での途中からの出場(川島負傷)などそれなりに経験は豊富な上、性格が明るく開けっぴろげ、先輩たちにも遠慮せずどんどんコーチングの声を出す。    

彼の持ち味は”正確なフィードボール””危機に面したときの強い精神力”。シリア戦でもいきなりの出場でPKこそ止められなかったものの、その後は安定したプレーを見せていた。所属する大分トリニータが2部落ちし、来期はサンフレッチェ広島に移籍が決まったが、これは彼の意思というよりも”年俸の高い選手を抱えられない”球団の事情によるところが大きく、九州っ子の西川は「いつか必ず九州に復帰したい」といっているとのことだ。サウジ戦での活躍を期待します。          

強豪オーストラリアと韓国のバトルは1:1のドローに終わった。見た人々によると「非常に質の高い試合」だった由。とくに韓国が次々と有望な若手選手を輩出しており、ますます強くなるのではないかとの予想だ。(写真下の左:今大会で3ゴール上げたグ・ジャチョル、まだまだ若い22才のKリーグ:チェジュ所属の選手)       

パクチソンが仮に今後代Photo_4 表引退をしても、まだまだ日本が簡単に勝てる相手ではなさそうだ。(韓国のチームを見ていると、いつも選手たちのやる気の強さに圧倒される。たしかにフィジカルも強いが決して引かず、絶えず前に向かい縦パスを出そうとするリスクチャレンジの姿勢に感心する。日本の選手は優等生でお利口さんでテクも高いが、そこいらの違いで負けてしまうように思われるのだ。幸運にも勝ち上がって準々決勝以上で対戦することを楽しみにしています。          

近頃、韓ドラが面白くなくなってきて、観るものがなくて困る。「あまりにもマンネリの筋書き。お決まりの約束事。頑強に結婚に反対する年寄り、想い想われの交錯、病気etc。」今見ている「黄色いハンカチ」(全156話)も毎日の連ドラなのだろうが初めこそ面白かったが、だんだん中だるみ、同じことの繰り返しでうんざりし始めている。(とくに下の頑強な結婚反対ハルモニが出るとストレスが溜まる。)Photo_7 この「黄色いハンカチ」ハングルで「ノランソン・スゴン」直訳なのですがどういう意味があるのか分からないのです。

いい映画を観たいのだが、さすがに映画は内容の密度が高くて、こちらもそれなりの気力が要る。・・・ということで冬枯れの庭に球根を植えたり、山ほど増えたクリスマスローズの手入れをしたり・・これも寒くて長続きはしないのだが・・所在のない日々を過ごしている。(写真下:初春にきれいに咲くクリスマスローズ:昨年3月のもの)Photo_3

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アメリカ片田舎の農婦の自分史・・・「大草原の小さな家」

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私の最も愛する児童文学は「大草原の小さな家」シリーズ。これは以前TVでも放送されたことがあり、殆どの人が題名だけでも知っているだろう。作者はローラ・インガルス・ワイルダー、「大きな森の小さな家」「大草原の小さな家」「プラム・クリークのほとりで」「シルバー・レイクの岸辺で」「農場の少年」(以上は恩地美保子・他訳:福音館出版)、「長い冬」「大草原の小さな町」「この楽しき日々」「わが家への道」「はじめの四年間」(以上は岩波少年少女文庫:谷口由美子・他 訳)の9冊。福音館の本はきれいな絵表紙のハードカバーで専用BOX入り、岩波少年少女文庫は新書版をひとまわり大きくしたくらいの簡便なもので私が入手したときにはモノクロの表紙だったが現在ではきれいなカラーのカバーがかかっているようだ。
数年前、沢山の本を捨てたとき、これらの本は捨てがたく現在でも残している。これらの本が気に入っているもひとつの理由は挿絵がアメリカで出版された当時のまま、とても素敵な絵です。(挿絵画家のガース・ウイリアム氏は挿絵を担当するにあたってローラの移動した全ての土地を回られたそうです。)
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ローラ(1867~1957)の家族は両親と姉のメアリー、妹キャリー、グレイスの4人姉妹、ものがたりはローラが生まれたウィスコンシン州の大きな森の丸太小屋の幼少期にはじまり、その後サウスダコタ州を経てミズーリー州に移り住む。小さな幌馬車に全財産を積み、愛犬や馬をつれた厳しい移動生活でも幼いローラは両親への絶対的な信頼と新しい土地への期待に胸ふくらましながら過ごす。                                      
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両親はイギリス系の移民であり、おそらく当時としては社会の最底辺に位置する人々であっ たろうが、アメリカ政府の自営農地法(ホームステッド法:農地の無償払い下げを規定した法律)により、少しでも条件のいい土地を求めて放浪したものと思われる。(イギリス系移民の多くは定着して家族農業をすることを望んでいた。)ブログ主は大人になってからこの本と巡Photo_4 り合い、殆ど夢中になって9冊全部を読破したのだが、大きな森の丸太小屋で近くに住む叔父叔母や従兄弟たちとした別れのパーティの賑やかさ、雪に埋もれた小屋の前に「雪型」を作って自前のメイプルシロップを作る楽しさ、長旅に備えて家畜を屠殺し食料の準備をする場面などは今でもはっきり覚えている。       

このローラのシリーズでは「石けん、バター、チーズ、パンを膨らませるイーストetc」など何でも自給してしまうシーンが沢山出てきてそれを読むのが楽しみでもあった。(ちなみにローラの小説に出てくる食べ物の作り方の本が出ている。)(写真上:ウィスコンシンに保存されているローラの家のレプリカ)

しかし、親戚と別れて出発した旅は思いのほか厳しく、氷結した湖を渡ったり、果てしなく続く荒野を横切ったり・・そして落ち着いたミネソタ州のプラム・クリークでローラは初めて学校に通うことになる。しかし、開拓地に猛威を振るったしょう紅熱のため姉のメアリーは失明してしまいローラは姉の分も母を助けなくてはならない。(プラムクリークの家は土手の横穴に作った家。もちろん窓ガラスなどという上等なモノはずっと後になってからしかローラの家には使われません。)                        
Photo_6 父はこの肥沃な土地に定着することを望み(一定期間の定住が払い下げの条件になる)荒野を開拓し、とうもろこしや豆を飢えるが、イナゴの大群や何千という鳥の集団に襲われ農地は全滅する。(イナゴの来襲ってものすごいんですね。空が真っ暗になり何日も畑、家、家畜、人間にまでイナゴが取り付くんです。そしてすべてを食い尽くしたある日、いっせいに消えている。次の土地に移動して)                                     

このような困難のなかでもローラは優しい母さんと頼もしい父さんがいる限り不安を持たない。毎晩、貧しい食事の後みんなで父さんの下手なバイオリンを聞いて「終わりよければすべて良し」という口癖を聞いて安心して眠りに就くのだ。そして読んでいても読者でさえ「もう駄目だ」と思うほどの困難を何とか乗り越えながら、ローラの生活には楽しいこともある。学校に通う草原のくぼみに咲き乱れるスミレの群落、町(といっても学校、教会、雑貨屋、ホテル、居酒屋程度)でのお祭りにバケツにいっぱい作られたレモネードを好きなだけ飲んだり・・。それから子どもたちの「つづり字・・スペルの覚え合い・・コンテストに町中が参加するなど。その町も最初の頃は10キロ以上離れた場所にあったりする。雪嵐が来ると家畜小屋から母屋に帰る途中で遭難しかねない。                                

この間も「払い下げ農地」の情報を得て(取得できる可能性を求めて)一家はサウスダコタに移住する。そしてこの地に農地を得るために皆が引き上げた後の厳冬の開拓地にただ一軒だけ残る。(春一番の受付順を取る為)Photo_7 厳冬の雪の世界で冬を過ごすローラ。幸い鉄道会社の技師の家を預かるということでこの家で越冬する。(食料小屋の豊富な食料つきで)・・父さんは苦しい家計の足しに肉牛の群れを東部に運ぶカーボーイの一行に臨時に雇われたり、近くで行われている大陸横断鉄道敷設工事の事務所の会計係に雇われたりしており、鉄道会社に信頼されていたのだ。                                                   Photo_8

一家はこのサウス・ダコタで初めて土地を得て定住する。ローラはここで小学校の臨時教師になり、10才年上のアルマンゾと結婚する。しかしこの結婚生活も、農夫アルマンゾの過酷な労働、ジフテリアに罹患して後遺症を残したこと、ふたりの子どものうち長男を生まれてすぐ亡くすこと、家を火事で失い、追い討ちをかけるように旱魃で多額の負債をおうなど苦難の連続であった。                                         

このものがたり、ローラが成長するにつれて暗い話が多くなり(「両親さえいれば安心」という幼少期ではないのだから当たり前のことだが)、後半を出版した岩波少年少女文庫の方は主としてローラが結婚した後の現実のきびしさを描いたものになっている。                                          

ものがたりの説明が長くなりすぎたのでここいらで置くとして、ローラ一家の家族史が世に出たのは、一人娘ローズがジャーナリストになり老いた母の歴史を彼女に書かせたため。  

しかしあくまで事実をあるがままに書こうとするローラと、児童文学として多少の粉飾を交えようとする娘との間にいさかいが絶えなかったそうです。(ふたりの合作ということ?)     

しかし、そうだとしてもこれほどアメリカの開拓史を如実に生き生きと伝える本は他になPhoto_11 い。そして開拓農民たちが互いに協力し合って学校を建て、先生を雇い、教会を建て、町を作り暮らしに必要なことを話し合って決める姿はまさにアメリカの民主主義のルーツが中西部の開拓自営農民から生まれたということを実感させられる。(ジェファソニアン・デモクラシー) 

ただローラ一家の開拓の歴史は一方ではネイティブアメリカンの迫害の歴史(土地を奪われ、狩猟を生業とする生活を奪われる)でもあることについては「ローラ・インガルス・ワイルダーの生涯:上下」(出版社失念)に詳しく補足されている。                   

追記:① 通販はアメリカで生まれたんですね。周囲何十キロも隣家のない孤立した家にもPhoto_9 手紙やカタログが運ばれてきたんです。これは以前NHK・TVでやっていたドラマ「ヤングライダーズ」(大草原の郵便局員?)の活躍を思い出させます。(写真右)                   

② TVドラマの「大草原の小さな家」は原作のローラ一家を借りただけで、ものがたりや内容は原作とは全く違うものとして作られています。しかし全米でヒットしたのはローラ一家のような「アメリカ人の理想とする家族」が現在では既に失われてしまっているからだといわれました。           

③ アメリカでは今でも子どもの「つづり字のコンテスト」が州大会、全米大会などで盛んに行われているのはローラの時代がルーツなのでしょうか。「綴り字のシーズン」という映画を最近観ました。(写真下:パークミュージアムに残されたローラ晩年の家)Photo_10

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子どもの育つ環境の厳しさ・・・「丘の家、夢の家族」

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昨夜、同じテーマで書いたブログが更新ミスで消えてしまい、腹が立ってブログを立ち上げて以来の初めての空白の日になった。毎日更新というのは、つまらない内容のものでもかなりきびしく、今年は書きたい日に書くという方針で行くことにした。しかし、ともかく消えてしまったまま放置するのも気持ちが悪いので、簡単に再現してこの件のケリをつけたい。       

niftyサービスの無料ブログ「ココログ」は不都合なことが多すぎ、例えば下書きを保存するとそのままブログとして公開されてしまう。これは致命的欠陥。まだまだ未完成のものを問題を含んだまま公開せざるを得ないのはどう考えてもシステムとしておかしい。昨夜はそれでつい全部消えてしまったのだ。                                       

久しぶりに読んだ児童文学「丘の家、夢の家族」(キット・ピアソン著:徳間書店)1996年、出版された年に「カナダ図書館協議会児童文学最優秀賞」を得た作品で2000年に日本でも出版され、各方面で高い評価を得、毎日新聞の書評欄でも紹介されたので読んでみたのだ。

ものがたりはカナダのバンクーバーに住む25才のシングルマザー(16才で出産)リーを母Photo_2 親に持つ9才の娘シーオが主人公。家庭は荒廃しており、シーオは汚れた衣服をまとい、頭にシラミをわかせて学校では友達にうとまれ、ひとりぼっちの孤独な少女。しかし本を読んで空想にひたることが唯一彼女の逃避場所。母の都合で何度も転向してもどの学校の図書館も彼女の宝庫。母のいない夜はひたすら本の世界に浸りこんで過ごす。               

母には定職がなく、時には生活保護を受けたり親子で路上で物乞いをして飢えをしのぐこともある。「バンクーバーの繁華街を歩いていると、道端に立って通行人に小銭をせがんだり、ボール紙に『失業中です』とか『こどもにミルクを買うお金がありません。』と書いた札を下げ、うつむいて座り込んでいる人をしばしば目にします。・・時折り、子どもの姿を見かけることもあります。家族と思われる大人といっしょなのですが、それにしてもこういう子どもたちにどんな将来があるのだろうかと考えると、胸が痛みます。」訳者の本多英明氏は”あとがき”でこのように書いている。                                          

Photo_3 シーオの母は若い恋人と暮らすためにシーオをビクトリアに住む一人暮らしの姉シャロンの元に預けるべく、フェリーでビクトリアに向かうが、その船中でシーオに奇跡が起こる。乗り合わせていた4人のこどもと優しそうな両親から成る家族(シーオが夢見ていた理想の家族)を眺めているうちに、いつのまにかビクトリアのその家族の家で暮らしており、学校に通い、優しい両親や仲のいい兄弟姉妹と交わり、だれも何の不思議も抱かないのだ。・・・しかしそれはやはり現実ではなくシーオは再び母と乗るフェリーに戻ってくる。(写真上:バンクーバー~ビクトリア間を往復するフェリー、写真左:シーオが育ったバンクーバー。シーオは辛い経験しかないこの街を「灰色の街」と呼ぶが、実際は海と山のある素晴らしくきれいな都市だそうです。)               

叔母のシャロンに預けられたシーオ(叔母は公務員で小さなアパートに住みシーオを可愛がPhoto_4 る誠実な女性)はどうしても夢の家族が忘れられず、叔母に頼んで”見たような景色”のある町をまわり、とうとうあの丘の家の夢の家族を探し出すのだ。しかし、実際の家族は両親の時たまのいがみ合い、兄弟姉妹の絶えない喧嘩などごく普通のどこにでもある家族だった。(写真左:ビクトリア。母のりーは「生ける屍の街」といって嫌ったが、これは温暖な気候であるためリタイアしたお年寄りが多く住む為とか。しかしここも町全体が公園の様に美しく、活気のある都市ということだ。)                                                 

叔母のシャロンも加わる家族との交流が始まり、男に捨てられた母が転がり込み・・道路の向かいの公園墓地からセシリーという小説家のお化けが夜になると時々現れ、シーオに話に来て(シーオだけにしか見えない)・・ シーオはそんな中で彼らに助けられながら生きる力を身につけて行く。                                           

近頃の児童文学が描く「現代社会の子どもの置かれている厳しい環境」を改めて思い知Photo_6 っ た。そういう社会状況を無視して”幸せなこどもの幸せな生活だけを書くこと”がウソになってしまうということなのだろう。思うに世界で「両親の揃った暖かい家族」を持つこどもは子ども人口のマイノリティになってしまっていて、恵まれた彼らすら「受験地獄、競争社会」に幼いときから生きなければならないということなのだろうか。                                    

いつか「徹子の部屋」で徹子さんが「子どもが育つ過程でたったひとりでも(いい大人、立派な大人、子どもに何らかの影響を及ぼす大人)に巡り合えたとき、こどもはまっとうに育つことが出来る、自分の人生を見つけることができるんですね。」といっていたことを思い出す。シーオは「夢の家族のパパママや兄弟姉妹」と出会い、叔母シャロンと出会い、逆境から抜け出して自立できる力をつけ始めた。しかし夢の家族との出会いにはセシリーという幽霊のマジックが必要だった。現実にはそんなマジックは存在しない。厳しい環境の中で将来の見えない子どもたちが夢を持ってそれを現実のものにするために、彼らが多くのいい大人(政治も含む)に出会えることを願わずにおれない。最後に「こどもがきびしい現実から逃避するのに夢想は当然。」と作者は記しているが、同じカナダの小説「赤毛のアン」も夢想癖の少女だった。もちろんアンはシーオに比べるととても恵まれて成長するが。

今日は「初詣」日和ではあるけれど

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久しぶりにウォーキングをしなければならないのだが、レンタルDVDの返却期限が迫っているのを理由に、外出はパス。同居人ひとりで出かけていった。例年より少し人の出が少ないようだったそうで、デジカメが切り取った風景。 我が家から往復で歩数9500ほどの距離にあ  Photo_7 る成田不動尊。千葉にある本院から私鉄会社が客寄せのために分院したものだという。閑静な住宅地を歩くこと約40分ほどで到着する。というものの私も2~3回程度しか行ったことがない寝正月派なのです。突き当たりに見えているのが目的地の不動尊。Photo_9 ようやくにして到着のようです。境内は煙(護摩を焚いている?)が焚かれ、参詣客はその煙を身体に浴びて「無病息災」を祈願します。不動明王はもともとインドのバラモン教にルーツを持つとのことで、日本に渡来して密教の神となったとき初めて「恐ろしい顔をした偶像」にされた由。火によって煩悩を払い、大願成就を果たそうということらしい。Photo_10  このお寺を建てたときに、門前通りを作らなかったらしく、電車の駅からお寺まで門前町はない。住宅地の中をくねくねと歩いていくのだが、道沿いの住民は夜通しさぞや騒音で悩まされることだろう。Photo_12  大晦日は終夜運転がされていて元旦の午前0時頃には遠くにある我が家のベランダに駅のアナウンスが聞こえるくらいだから。ところで、おみやげは定番の名物「せんべい」。クッキーのようにバターや牛乳が入っていないのでさっぱりと美味しい昔ながらの味だった。                     

ところで昨夜はどこかの局で「日本代表」の特集をしており、なつかしいトルシェやオシムも出てきていろいろと南アの試合や「これからの日本は何をすればいいか」などをコメントし、なかなか面白かった。ところが2006年ドイツ杯のジーコ監督が出演していない。(この手の番組で見たことない)多分ジーコが出演を断ってのことなのだろうが、何かヘンだし、あの「黄金の世代」を率いた4年間を飛ばして総括すPhoto_15 るのは本当の総括にならない。ジーコは日本代表監督を終えたあと、トルコのフェネルバフチェ(トップチーム)、ロシアのチェスカ・モスクワ(現在、本田が所属するトップチーム)の監督を短期間歴任し、現在はブラジルに帰っている。「名選手、名監督に非ず」の典型例とはいえ、やはりドイツを抜いて過去の歩みを総括するのはおかしいよ、と思うのだが。Photo_18                                                 













ジーコ、あなたのドイツの総括を聞きたいよ。日本のサポはあなたを批判はしていても決して憎んでいるわけではないのだから。Photo_17

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